第千三百八十七話 竜と竜(九)
ブルードラゴンが、長い首をもたげ、左眼を光らせる。竜眼。七色の光を発するそれがまさに神秘そのものであることはいうまでもない。ただの目。されど、竜の眼。万物の霊長たる幻魔の頂点に君臨し、全生命の極致へと到達した存在の力、その片鱗。
衝撃が神威の星装、その結界を蹂躙した。
竜鱗の鎧とでもいうべき星装は、幾重もの層からなる魔法防壁を自動的に構築し続けており、それは一種の重力場にして結界でもあった。
そしてそれは、蒼竜も同じ。
竜眼の力を完全解放したが故に、到達する境地もまた、同じ。
そのため、神威もまた、蒼竜を睨み付けた。ただの一瞥。その視線に込められた意志が力のうねりとなり、蒼竜の巨躯を覆う巨大な重力場を歪めようとした。しかし、跳ね返される。
同じだ。
神威もまた、蒼竜の視線を弾き返した。
「目で殺すのは、格下相手にのみ通用することだぞ」
告げ、神威は、地を蹴った。刹那、月の地面に神威の巨大な足跡が刻まれる。その直後には、神威は蒼竜を眼前に捉えている。ただの一歩。だがそれは、超神速の一歩でもある。それだけで周囲に凄まじい余波が生じ、衝撃波が月の表面を駆け巡り、幻魔の死骸を宇宙へと吹き飛ばしていった。
「おれは、格下か?」
竜が吼え、神威の超神速の拳撃を翼で受け止める。多重防壁をさらに強化するための翼の展開。衝撃波が結界の表面を波立たせ、幾何学模様が無限に拡散した。結界を構築する律像がわずかに浮かび上がったのだ。
竜級同士の戦いともなれば、常に、無意識的に律像を形成し続けるものだ。
「この戦いは、おれが望んだことらしい。だが、長年、おまえが望んできたことでもあるはずだ。そうだろう、ブルードラゴン!」
雄叫びとともに蹴り上げれば、多重結界ごと蒼竜を打ち上げ、立て続けに放った極大の光芒が魔法壁に穴を開けた。超爆砕の連鎖が、結界内に吹き荒れる。
「おまえは、おれとの戦いを望み続けていた! おれが力を使うたび、竜眼を解放する度、ただ魔法を使うだけで、おまえはおれの前に現れ、蹂躙し、去って行った! おれを斃さず、殺さず、滅ぼさず、ただ痛めつけるだけ痛めつけてな!」
蒼竜の咆哮とともに六翼が光を放ち、流星群が驟雨の如く降り注ぐ。
対する神威は、拳の連打で応じる。超光速の拳撃によって生じる竜気の衝撃波が、神威に集中する流星群を粉砕していけば、さしものブルードラゴンも戦法を変えた。素早く宙返りしたかと思えば、長大な尾を叩きつけてきたのである。
一閃。
凄まじい速度と質量による超威力の打撃は、神威の多重結界を貫き、星装へと到達した。ただし、肉体を破壊し尽くすには至らない。
両腕で受け止め、その衝撃が全身に伝わり、細胞という細胞が痛めつけられる感覚を味わいつつも、足が月の地面に埋まるのを認めるのみだ。竜の顔がこちらを覗いている。口が開いた。咆哮とともに放射される光線が、無防備な神威を射貫く。
星装を貫く無数の光線。
さすがの神威も血を吐いたが、それだけだ。両手で尾を掴み、握り締めて竜鱗を指先で突き破る。竜が目を細めた。
「おれは、この力は、来たるときまで使うべきではないと考えていた。この力は、この竜眼の力は、竜気は、災厄を呼び寄せる。おまえという災厄を、滅びそのものを」
神威が全身全霊の力を込めて蒼竜の巨体を振り回し、天高く放り投げれば、一瞬にして月の重力圏から離脱していく。
流星が、天に昇るように。
当然、追う。
「そして、それはおれも同じ。おれも災厄そのものだ。この竜眼が、滅びの力ならば、使うべきときはおまえとの決戦のみ」
竜眼の力を用いれば、鬼級幻魔を斃すことなど児戯に等しい。
これまで何度となく実践し、成功してきており、この力を使って世界中から鬼級幻魔を滅ぼし尽くすのも不可能ではないのではないか、とさえ想像したこともあった。
確かにそうかもしれない。
竜眼の力を、竜気を、竜級魔法士としての力のすべてを使いこなせれば、地球上から鬼級以下の幻魔を一掃できるかもしれない。
だが、その果てに待ち受けるであろうブルードラゴンとの決戦を考えれば、安易に力を使うことは許されなかった。
地球上の幻魔を一掃しようと竜眼を解放した結果、全力の蒼竜が襲い掛かってくるに違いないのだ。そうなれば、神威ひとりではどうすることもできなくなりかねない。
それに、だ。
竜眼の力で滅ぼすことができるのは、鬼級までであって、地球上の各地に眠る竜級幻魔を打倒することは適わない。
ケイオスドラゴン、レッドドラゴン、ブラックドラゴン、ホワイトドラゴン、グリーンドラゴン、オロチ――そして、ブルードラゴン。
これらすべての竜級幻魔を滅ぼすことができるのであればともかく、ブルードラゴンにすら敵うかどうかわからない状態で、神威単独による幻魔殲滅に乗り出すなど、言語道断であろう。
無為無策、無謀極まりない。
時を、待つべきだ。
まず、人類生存圏たる央都を安定させ、人口を増やし、戦団の戦力を増強することから始めるべきだった。
戦団が神威の力を必要としないくらいの実力を備えたとき、ようやく、ブルードラゴンとの決戦を迎えることができるのだから。
それまでは、神威は、力を練り上げることに集中するべきだった。
竜眼。
ブルードラゴンによって奪われた右眼、その傷痕に植え付けられた力の結晶。神威の魔素を吸収して成長を続けたそれが、いつしか神威の右眼として機能するようになったものの、人間のものとは思えない異形が故、また、絶大な力を発するが故、眼帯の形をした制御装置によって封印しなければならなかった。
この力は、安易に振り翳していいものではない。
使えば最後、厄災を呼ぶ。
いま、月面を離れ、宇宙空間へと至り、太陽の光を浴びて神々しいまでに輝くそれが、顕在化した破滅そのものであることは、いうまでもない。
存在するだけで周囲に天変地異をもたらす怪物。
月面には、ブルードラゴンの力の痕跡が無数に刻まれており、あのまま戦い続けていれば、周回軌道すらずれてしまうのではないかと思えるほどだった。
それほどの力。
故にこそ、月面では戦えない。
月を破壊するような結果になれば、それこそ、破滅だ。
「おれがこの数十年間、このときがくるのをどれだけ待ち侘びていたか、おまえにわかるか?」
神威もまた、月面を離れた。月の重力圏を突破し、宇宙へ至る。真空に満ちた魔素が竜気に反応し、急速に燃焼するが、黙殺。殺到する流星群にこそ、意識を向けるべきだった。
ブルードラゴンにとってこの流星群は、攻撃手段などではない。
ただの牽制。
その牽制攻撃が、月を爆砕しかねない威力を秘めていることはいうまでもなく、そのため、神威は全力で宇宙を飛んだ。三対六枚の光の翼を羽撃かせ、加速すれば、流星群もまた、それを追う。
そこへ、光線。
先程、神威の星装を貫いたのと同じ光線が、今度は脇腹を突き破った。そしてそのまま腹を切断しようとしたようだが、辛くも身を捩って回避する。負傷部位を復元するのに時間はかからない。真言。
「絶・屠龍輪」
神威を中心に展開する多重の光輪が迫り来る流星群の尽くを切り裂き、爆砕の嵐を引き起こせば、爆煙の向こう側からさらに三度、光線が飛んできた。
「何度も同じ手を食らうものかよ」
神威は、口の端を歪めると、光輪で光線を遮断、あらぬ方向へと弾き飛ばして見せた。そして、流星群が終われば、蒼竜との距離も縮まっている。
蒼竜の竜眼が、さらに輝きを増していた。
《わたしもだよ、神威》
突如、神威の頭の中に響いたのは、女の声。
聞き覚えのあるその声は、あまりにも懐かしく、そして、神威は、怒りに震えるほかなかった。




