第千三百八十五話 竜と竜(七)
「地上数千メートル……といったところか」
神威は、ブルードラゴンがその一対の翼を最大限に広げる様を見据えながら、告げた。竜の背後には広大な青が広がっている。雲ひとつない空模様。降り注ぐのは無尽の太陽光線であり、その狭間に広がるは、地球と宇宙の境界線。
地上から打ち上げ続けた結果、この超高高度へと到達したのである。
だが、それこそが神威が蒼竜を上空へと突き上げ続けた意味だ。
これならば、竜気の衝突による余波、その被害を気にする必要はあるまい。少なくとも、現状の出力ならば、だが。
「ん?」
神威は、ふと、眼下から光が差し込んでくるのを感じて、一瞥した。巨大にして壮麗な構造物が高空を浮かび、移動している。そして、その構造物には太陽の如き光源があり、光り輝くものたちが数多にいた。
天使たち。
(……あれが天使の、天軍の拠点か)
地上からでは目視することは愚か、感知することもできそうにない超高高度に浮かび、移動し続ける空中都市。かつて人類が魔法文明の発展の過程で作り上げたそれが、文明が滅び去ったいま、天使たちの拠点として再利用されているのは皮肉というべきかなんというべきか。
(いまは、どうでもいい)
神威は、蒼竜に視線を戻し、竜の咆哮を聞いた。大気を引き裂く大音声が真言となり、竜の全身に浮かび上がった律像を魔法として実現する。竜気による魔法、竜魔法とも竜気魔法ともいうべきそれは、星象現界中の、星神力を用いた星神魔法とすら比較にならない威力を誇る。
もちろん、神威も竜気魔法でもって対抗しているのだが。
蒼竜の翼から放たれるのは、無数の流星。目にも鮮やかな蒼白の流星群が数多の軌跡を描き、神威に殺到してくるのだ。その迫力足るや筆舌に尽くしがたい。
百万の流星。
対する神威は、左腕を頭上に掲げる。
「砕龍鞭」
全周囲に乱れ飛ぶ紅蓮の閃光は、まるで鞭のようにしなり、縦横無尽に暴れ回って、流星群を叩き落としていく。超広範囲に及ぶ破壊の乱舞。
竜気魔法の激突は、そのたびに空間を爆砕し、余波が周囲一帯の魔素という魔素を吹き飛ばしていった。魔素の喪失と充溢。戦いの最中、戦場の魔素が失われたのだとしても、瞬時にどこからともなく流れ込んでくるため、決して永久に消滅するということはない。
この世には、魔素が満ちている。
蒼竜の攻撃は、止まない。龍の尾が神威に襲い掛かり、天高く打ち上げたのだ。
「はっ」
神威は、蒼竜がこちらの意図を理解しているかのような行動に出たので、顔を歪めた。尾の一撃で粉砕された右足を瞬時に復元し、ついでに腕も再生する。竜眼から流れ込む無尽蔵にも等しい竜気が、神威にひとならざる絶大な力を与えている。
まるで神の如き力だ。
絶対者にして、全能者。
この力があれば、なにもできないことはない。
この力があれば、なにものにも負けることはない。
確信が、迷いを絶つ。
(そう、いまだ。いまだけが、この戦いを終わらせる唯一の好機)
「そうだろう、ブルードラゴン!」
神威は叫び、眼下から迫り来る蒼竜の突撃を両腕で受け止めた。蒼竜の顎が開き、口腔内に蓄積した竜気が咆哮とともに発射、蒼白の光芒が神威を飲み込んだ。
光芒は大気圏を貫き、宇宙空間へと至る。
宇宙の真空すらも灼き尽くす破壊の奔流、そのただ中で、神威は蒼竜を見ていた。全身の鱗という鱗を輝かせる巨竜は、宇宙空間に適応するためか、大きく変貌しようとしていた。より鋭利で攻撃的な印象を与える姿となり、翼が異形化し、三対六枚に増えたのだ。それら翼が輝きを増す様を見れば、相手が神威を見失ってなどいないことは明らかだ。
神威は、光芒の中で全身を破壊される中、竜眼の力を完全解放したのである。それによってどうにか原形を留めることができ、失った体の部位を復元するに至る。
神威と蒼竜の戦場はついに大気圏を突破し、宇宙空間へと到達した。
変貌を遂げた蒼竜の背後に浮かぶ地球の巨大さは、神威の目を細めさせた。
「……黒いな」
地球は青かった、という名言があるが、しかし、神威の目に映る地球は、どす黒く、禍々しい異形の惑星のように思えてならなかった。記録に残された宇宙からの地球の映像のいずれとも一致しない。
あらゆる生物が死に絶え、地表の大半を覆う海がどす黒く塗り潰され、あらゆる大地がその形を激変させたとあれば、これが地球といわれて、だれが信じるというのか。
「あまりに、黒い」
故に、感動も感慨もあったものではない。
ただ、絶望的な気分になるだけだ。
地球が置かれた現状がどれほど絶望的なのかを再確認した、というべきか。
地球全土が魔界と化し、幻魔の楽園と成り果てていることが改めてわかったのだ。
この地球全土の自然環境を魔天創世以前の状態に戻すだけでも、どれだけの年月がかかるのだろう。
それよりも前に、幻魔から天地を取り戻さなければならないのだが。
そして、その前に――。
「まずはおまえだ、ブルードラゴン」
六枚の翼を広げる蒼竜は、またしても咆哮とともに流星群を放ってきた。蒼白に輝く竜気の光弾が三百万発。神威を包囲覆滅するべく、全周囲から殺到してくるのだが、神威は避けようともしない。
宇宙空間にあって、神威は、その音を聞いていた。宇宙の真空にも満ちた魔素を伝わる破壊の音。迫り来る死の旋律、滅びの音色は、神威の細胞という細胞を奮起させる。
「そしてここは宇宙。出し惜しみは無しだ」
既に竜眼の力を完全解放した神威には、流星群の動きが緩慢に見えていた。魔法は、魔素に満ちた空間でこそ、その真価を発揮する。魔素が多ければ多いほど、その威力、精度、効果が高まるのは、魔法に込めた魔力や星神力の量に限った話ではない。
故に、幻魔大帝エベルは、魔天創世を起こしたのではないか。
地球全土の魔素濃度を数倍、いや、数十倍に引き上げることによって、幻魔にとってより住みやすい世界へと作り替えただけでなく、幻魔の基本的な行動手段である魔法を効率的に使えるようにしたのではないか。
では、宇宙はどうか。
少なくともこの宇宙にも、魔素は満ちている。
しかし、濃度でいえば、地球よりもずっと薄い。現在の地球が濃すぎるのだが、それによってこの感覚に慣れるのに多少の時間が必要かもしれなかった。
それは、ブルードラゴンも同じはずだ。
ブルードラゴンが宇宙を度々訪れているということでもなければ、神威同様、この低濃度の魔素空間に翻弄されるのではないか。
いや、しかし、竜気の流星群は、相変わらず破壊的であり、神威を圧倒した。だから、神威は告げるのだ。
「滅龍神威」
真言とともに発動するのは、星象現界。
竜気とは、竜級幻魔のみが到達できる領域の魔力であり、魔素質量においては、星神力を遥かに上回る。しかし、魔法の元型を具現する究極魔法たる星象現界は、竜気であっても同様に意味を為す。
つまり神威は、竜気による星象現界を発動したのであり、その瞬間、彼の全身から拡散された莫大な竜気が迫り来る流星の尽くを吹き飛ばし、宇宙空間に超新星爆発の如き閃光を満たした。
吹き荒れる強大無比な力が彼の全身を破壊し、再生し、粉砕し、復元する。繰り返される生と死の螺旋の果て、その肉体は限りなく竜に近くなる。
つまりは、幻魔だ。
人間から、幻魔への変貌。
そんなことがありえるというのか。
(あるんだろう)
神威は、胸中、苦笑とともに告げる。
ブルードラゴンが目を細めたのは、神威のその姿を見たからだ。
神威は、右眼から虹色の光を発し、蒼竜を見つめていた。
暗黒の宇宙空間に浮かぶ彼の姿は、神々しくさえあったのだ。




