第千三百八十四話 竜と竜(六)
声が聞こえる。
遥か彼方、どこか遠い場所でぶつかり合うふたつの声。
ひとつは、人間。強い自我と個性の塊であり、魂の拍動すらも聞こえてくるかのようだった。命を燃やしている。燃やし尽くそうとしている。
もうひとつは、幻魔。超純度魔素生命体たるそれは、極めて強烈な自我と個性を持っているはずだが、しかし、主張は聞こえない。ただ、戦っている。戦うために魔素を燃やしている。燃やし尽くそうとしている。
ただし、両者の力は、彼女を圧倒していることは疑いようがなく、故に、疑問がもたげてくるのだ。
人間がこれほどの力を持つことなど、あり得るのか、と。
「あり得る……か」
熾天使ウリエルは、静かに告げ、ゆっくりと翼を広げ、起き上がろうとした。彼女は、自分がいまのいままで意識を失い、夢を見ていたことを覚えている。
その夢の記憶が、朧気に意識を苛んでいる。
「だ、大丈夫ですか? ウリエル……様……」
「様?」
幻魔たるウリエルの身を案じるだけでなく、名前に敬称すらつけてきたのは、美乃利ミオリである。しかも、目の前にいた。
「あ、いえ……その……なんとお呼びすればいいのかわからなくて……」
ミオリは、彼女の部下ともどもに困惑しきっていた。自分たちがなぜ、幻魔を相手にこのような反応をしているのか、しなければならないのか、自分自身でも理解できていないとでもいうような、そんな態度。
「わたしは幻魔だぞ」
「ですが、わたしたちを護ってくださいましたから」
「ふむ……」
恐る恐る、しかし、強い意志を持ってウリエルを見つめてきた導士のまなざしの強さは、彼女が星将に並び立つだけの実力者であることを証明しているようだ。
そして、ウリエルは自分がなにをしたのかを把握する。
どうやら、ウリエルは、自身の六枚の翼で彼女たちを包み込み、それによってなにかから庇おうとしたようだった。
おそらくそれはオトロシャの星象現界への無意識の反応なのだが、ウリエル自身が夢に堕とされた以上、彼女たちも同様、強制的な眠りにつかされていたに違いない。
オトロシャの星象現界と思しき精神魔法は、熾天使の魔法防壁すら容易く突破し、精神を支配した。彼女の翼の内側にいたからといって、無事で済む道理はない。
「天使は人類の味方、なのでしょう?」
「……そうだが」
しかし、と、ウリエルは、なんともいえない顔になる。
ミオリは、熱に浮かされたような顔で、まるでなにかを期待しているようにこちらを見ていた。ウリエルの顔を、じっと、見つめている。その瞳には希望があり、光があり、熱がある。
ウリエルの翼の中にいた彼女の部下たちはといえば、ミオリの反応にこそ、困り果てているといわんばかりだが。
ウリエルは、己が槍を手にすると、立ち上がった。
「ならば、人類の味方らしく、幻魔を掃討するとしよう」
ここは、雷神の庭。
既に恐府全域からオトロシャの影響は消え去っており、正反対の性質の結界に覆われていた。つまり、戦団が霊石結界と呼ぶものに置き換わったということだ。それによって起こるのは、オトロシャ軍の瓦解であり、オトロシャ配下の幻魔たちの大脱走である。
既に大量の幻魔が雷神の庭に溢れかえっており、雷神討滅軍の疲弊しきった導士たちが必死になって対抗している様子が窺い知れた。
ここでこそ、熾天使の力を発揮するべきだ。
でなければ、夢の余韻を吹き飛ばせない。
ラファエルは、土砂に埋もれた状態で目を覚ました。
なんだかとても懐かしい夢を見た気がする。この上なく甘く、優しく、幸福な夢。そんなものを見る機会が訪れるとは、想像したこともなかったし、熾天使たる自分とは無縁のものだと思っていた。
確信すらあったのだが。
「オトロシャの星象現界……か」
魔界特有の死せる土砂を魔力で吹き飛ばしながら起き上がると、この地に満ちる清浄な空気に目を細めた。つい先程までとはまるで異なる気配は、この地が霊石結界に覆われたことを示している。
恐府は潰え、人類はその勢力圏を拡大した。
「いや、人類生存圏だったか」
そして頭上。
二体の竜級が激戦を繰り広げ、その余波だけでこの結界を揺るがしているという現状を目の当たりにすれば、熾天使としての使命を思い出さざるを得ない。
ここは、地霊の都。
溢れるは、大量の幻魔。
クシナダ軍は既に瓦解しており、命令系統などあろうはずもなく、だれもかれもが好き勝手に動き回っている。
大半が、この霊石結界の外へ出ようとしているのであり、それは無視していい。
一体でも多くの幻魔を殺すことに意味はない――とは言い切れないものの、拘る必要はない。
斃すべきは、人類に、戦団に敵する幻魔たちだ。
戦団は、此度の戦いで消耗し尽くしている。だれもが疲弊し、力尽きる寸前といっても良い状態であり、放っておけば、オトロシャ軍の残党相手に全滅しかねない。
だからこそ、ラファエルはここにいる。
どうやらクシナダは死に、それ故、地霊の都が大混乱に陥っているようなのだが、それでも人間を目の当たりにすれば、殺意を全開にするのが幻魔という生き物だ。
それらを片っ端から撃破していくことに躊躇はない。
ラファエルは、魔力を解放した。
夢を見た。
夢の中で自分は人間だった。人間、神木神流の人生を追体験しているような夢。その夢は、幸福に満ち、永遠を欲するほどだった。
永遠の幸福。
そんなものがあるわけがないことくらい、理解している。
すべてのものは有限だ。
幻魔すら、無限にはなりえない。
ミカエルは、目を見開き、前方から飛来した魔力体を薙ぎ払った。
三対六枚の翼を開き、魔力を紅蓮の炎の如く燃え滾らせた熾天使は、黒禍の森を埋め尽くしていく幻魔の大軍勢を相手にしていた。
それらは、夢の終わりとともに動き出し、黒禍の森の外へ、この霊石結界の外へと抜け出そうとしていた。
ただそれだけならば、問題はない。
が、進路上に戦団の導士たちがいる場合は、話は別だ。
天軍は、人類の守護者である。
そして、天軍の代表者としてこの地に降臨した熾天使たるもの、彼らを護らずして、なにを果たすというのか。
「使命――」
ミカエルは、告げ、剣を振り下ろした。長大な刀身が回転し始めると、切っ先から火球が放たれた。連続的に、間断なく。
まさに火炎弾の乱れ打ちであり、それらは並み居る幻魔の群れを尽く消し飛ばしていく。直撃と同時に大爆発が起こり、爆砕が連鎖し、断末魔が散乱する。
妖級以下の幻魔など、たとえ大軍であろうとも熾天使の敵ではない。
全力を発揮するまでもなく、ただ、軽く薙ぎ払っていく。
「わたしの使命……」
その間、ミカエルの脳裏を過るのは、神木神流という人間の記憶であり、人生だ。
彼女が生きた証は、この地で燃えて尽きた。
そして、ミカエルは、この地に降り立った。
それがすべてだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
神木神流の終わりの死が、ミカエルの生の始まりである。
「まあ……悪くはないよ」
ルシフェルの一言に渋い顔になったのは、メタトロンだ。
「なにがだ?」
「この状況がさ」
「どう見ても最悪だが」
メタトロンは、ガブリエルの魔法球に映し出される光景を見て、告げた。
恐王オトロシャが戦団に敗れ去ったのは、いい。それによって人類生存圏が拡大することも、央都が安定に近づくことも喜ぶべき事だ。
そして、その後始末に熾天使たちが活躍していることも、いいだろう。
事と次第によっては、熾天使たちの独断専行も帳消しになりうる。
問題は、神木神威と竜級幻魔ブルードラゴンの衝突である。
「そうかな? 捉え方次第だよ」
「そうですね」
「おれにはそうは思えないが……」
「きみの危惧もわかるよ」
ルシフェルは、メタトロンの心情を理解し、告げた。
「結果次第では、すべてが台無しになりかねないのもまた、事実だよ。でもそれを案ずるのは、すべてが終わってからでいい」
ルシフェルは、いった。
竜級の激突に付け入る隙など、あろうはずもないのだから。




