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第百三十一話 初任務・皆代幸多の場合(五)

「結構な数でしたね」

 古大内美奈子ふるおうちみなこは、屋根上に転がる獣級幻魔じゅうきゅうげんまの死骸を数えながら、いった。

 いくら幻魔災害が頻発しているとはいえ、これだけの数の幻魔と一度に戦うことなど、そうあることではなかった。

「十六体かな」

「ケットシーだけだったから良かったものの、妖級の一体でもいたら結構やばかったかもな」

「確かに」

「統率も取れていなかったし、楽だったよ」

 隊員たちの会話よりも、成井英太なるいえいたは、幸多こうたのことが気になった。幸多は、戦闘に参加していなかったはずだ。少なくとも、屋根上の激戦にはいなかった。

 それなのに、幸多は、全身傷だらけで血まみれだった。導衣どういが切り刻まれ、その切り口に血が付着している。特に顔面に刻まれた傷口が痛々しい。

 なのに、幸多は、平然とした様子で立っている。

「きみ、その傷はどうした?」

「ケットシーを倒すのに手間取ってしまって」

「ケットシーを倒……した?」

「嘘でしょ」

 山中伊吹やまなかいぶきがくだらない冗談と笑い飛ばそうとして、すぐに幸多がそんな人間ではないことに気づき、屋根上から路上を見下ろした。

 そこには、ケットシーの死骸が三つ、転がっている。そのうち一つは成井英太の手によるものであり、炎にかれている。

 残り二つは、そうした魔法による外傷が一切なかった。見事なまでに綺麗な死骸は、魔晶核ましょうかくだけを破壊されたことを示している。まるで標本のようだ、と、山中伊吹は思った。

 見事な手際と言わざるを得ない。

「やるじゃん」

 山中伊吹は、口笛を吹くとともに、皆代みなしろ幸多に対する評価を改めた。

 もっとも、幸多は全身傷だらけで血まみれだった。それは、彼がケットシーの魔晶核を破壊するためにそうならざるを得なかったということを示している。

 彼が傷つくことすら恐れない勇敢さと行動力、そして戦闘力を併せ持っていることも、証明している。

 伊吹は、幸多に向かって、片目を瞑って見せた。

「見直したよ、皆代。いえ、幸多って呼んだほうがいいかな?」

「どちらでも、呼びやすい方で」

「じゃあ、幸多って呼ぶわ」

 幸多が、突如として馴れ馴れしくなった山中伊吹の変貌ぶりに戸惑っていると、古大内美奈子が近寄ってきて、耳元で囁いた。

「伊吹がああいうってことは、きみのことを認めたってことだよ」

「そうなんですね」

「でも、きみ本当に大丈夫? 傷だらけだけど」

 美奈子は、幸多の傷だらけの全身を見て、いった。幸多が成井小隊の臨時隊員として初任務に赴くことが決まってからというもの、彼女は彼のことを多少なりとも調べていた。

 皆代幸多は、完全無能者と呼ばれる央都おうと唯一の存在だという。そして彼には、体に直接作用する種類の魔法は一切効果がないということも知った。つまり、魔法で彼の傷を塞ぐことができないということだ。

 美奈子は、成井小隊において主に治癒魔法を担当している。幻魔との戦いで傷ついた隊員たちを即座に治療するのが彼女の役目なのだ。

 本来ならば、すぐにでも幸多の傷を塞ぐべく魔法を使うべきなのだが、そんなことをしても無駄だということがわかっている以上、どうすることもできない。

 幸多は、まったく気にしていないとでも言いたげな顔をする。

「まあ、いつものことです」

「いつもの?」

「ぼくは魔法が使えませんから、幻魔と戦うとなると傷だらけになるんですよね。骨が折れてないだけマシかも」

「もしかしてきみ、戦団に入る前から幻魔と戦ってたの?」

「はい」

「……とんでもないね」

 美奈子は、呆気に取られたような、まったく理解できないとでもいうような顔をしている自分に気づいたが、それを止められるわけもなかった。

 一般の魔法士まほうしですら幻魔と戦おうとはしない。

 幻魔と戦うのは戦団の役目であり、仕事であり、使命なのだ。一般市民が手を出すべきものではないし、戦団の導士どうしに全てを任せるべきだった。だからこそ戦団は圧倒的な権力を以てこの央都に君臨できているといっても過言ではない。

 余程の事態でもなければ幻魔と戦うべきではない、と、戦団も市民に強く言い聞かせている。幻魔に挑めば、幻魔を余計に刺激するだけであり、被害を広げるだけで終わる可能性も高いからだ。

 その道の熟練者である戦団の導士たちに任せておけばいい。

 市民は、そのために税金を納めているのだ。

 戦団に護られるというのは、市民に与えられた当然の権利であり、ある意味においては義務といってもいいものだ。

 市民とは、戦団の導士に護られるべき存在なのだ。

 戦団が、そう定義している。

 そして、導士たちは、市民を護るために命を懸けて幻魔と戦う。

 それが、導士の義務であり、権利だ。

 それなのに、幸多は、どうやら戦団に入る以前から、完全無能者の身の上で幻魔と戦ってきたらしい。それで今日まで生き残っているのだから、彼が手慣れた様子でケットシー二体を始末したというのも頷けるというものだが、とはいえ、理解の及ぶことではない。

 魔法士として生まれ育った美奈子でも、星央魔導院に通うようになるまでは、幻魔と戦おうなどと考えたこともなかった。

 魔導院の幻想訓練で幻魔の再現体と戦闘したときですら、震えたものだ。

 今でも、幻魔を前にすれば震える。

 いま、このときのように。

「え?」

 美奈子は、自分の手が震えていることに気づき、疑問を覚えた。幻魔は掃討した。十六体ばかりのケットシーを殲滅し、幻魔災害特別対応部隊――通称幻災隊の到着を待って、巡回任務を再開するというところだったはずだ。

 それなのに、手が震え、足が震え、体が震えていた。恐怖に身が竦んでいた。

 身動きひとつ出来なかった。

「これは……」

「どういうこと?」

 美奈子以外の隊員たちも違和感に気づき始めたが、幸多だけは、彼らが感じているものを感じ取れなかった。

 幸多は、魔力を感知することができない。

 ただ、幸多は、確かに見ていた。

 それまで幻災隊の到着を待ち、部下たちと談笑に興じていた成井英太が突如違和感に顔をしかめる様を。同様に、山中伊吹や行常憲康ゆきつねのりやすが異変を感じ取ったような素振りを見せた。

 幸多には、それがわからない。

 ただ、彼らの様子から、なにかが起きているのだろうということだけは伝わってきて、警戒しようとした。

 けれども、そんなことにはなんの意味もなかった。

 唐突に、成井英太の背後で空間がねじ曲がった。彼の背後に見えていた町並みがぐにゃりと歪んだかと思うと、虚空に裂け目が生じた。それは赤黒い亀裂であり、その中から赤黒い閃光がほとばしった。

 成井英太の頭が胴体から切り離され、切断面から鮮血が噴き出す様は、嘘のようだった。

「人様が寝ているときに騒ぎ立てるとは、人間というのは、どういう教育を受けているんだ?」

 深く、重く、耳朶じだに染みこむように響く声は、幾重にも跳ね返って不快感を増大させていった。

 虚空に開かれた赤黒い亀裂、その淵に数本の指が乗った。人間のそれとは大きく違う、異形の指先。灰色の指先。それは、亀裂を上下に押し開くと、中からその手の持ち主を炎天下に曝け出して見せる。

 灰色なのは、指先だけではなかった。腕も肩も首も顔面も、全身が灰色だった。人間に酷似した、しかし明確な違いのある姿態。長身痩躯、一見すると人間に見えなくもないが、灰色の光沢を帯びた肉体がそう認識することを拒絶した。ぼさぼさに伸び放題の髪も灰色だ。両目ともに赤黒く、なぜか真っ赤な眼鏡を頭に乗せている。顔立ちは整っているといっていい。

 全体は灰色で、一部に髑髏の模様が入った衣服を身につけている。

 その姿形からは、一目見て、鬼級幻魔であるとわかる。

「隊長!?」

「そんな!?」

「なんで!?」

 成井小隊の面々が口々に叫んだのは、ようやく動くことができたからだ。まるで金縛りに遭っていたものたちが一斉に解放されたように。

 そして、全員の思考が動き出す。眼の前で隊長を惨殺された衝撃が頭の中を真っ白にしていたが、それが厳然たる現実だと認識した瞬間、幾分、冷静さを取り戻させた。

「ここはおれ様の寝床だ。そう決めていたんだ。だのに貴様等が暴れて回るものだから、せっかくの安穏たる惰眠ももはや夢の中だ。腹も減ったし、どうしてくれる」

 灰色の鬼級幻魔は、無造作に左手を振った。すると、虚空に赤黒い軌跡が走り、頭を失い立ち尽くしていた成井英太の体をばらばらに切断した。


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