第百二十八話 初任務・皆代幸多の場合(二)
戦団は、人類生存圏の維持、央都の秩序と平穏を護るための武装組織、武力集団である。
戦団という組織の誕生には、央都が誕生した経緯が密接に関わっていて、切り離せないものだ。
央都は、人類生存圏は、戦団の活躍によって誕生したからだ。
葦原市、出雲市、大和市、水穂市の央都四市は、その土台となる土地を幻魔から奪還した戦団によって計画され、開発され、建造され、誕生したのだ。
そして、その法秩序を守護するのが戦団の役割であり、導士たちの使命だった。
中でも戦務局戦闘部に所属する導士たちの務めは、央都という狭い人類の楽土を護るためのものであり、極めて重要なものといっても過言ではあるまい。
幻魔討伐こそ最も重要な任務とされているが、幻魔災害はいつなんどき発生するものかわからない代物である。
そういう事情もあり、央都全土は常に警戒態勢に入っていなければならなかった。
しかし、それでは央都市民が安穏無事に暮らすことなどできるわけもなく、平和な日常を謳歌することも出来ない。
社会を維持することもままならない。
戦団は、央都四市それぞれに活動拠点となる基地を作り、各市各所に駐屯所を設けた。基地には常時多数の導士が待機しており、駐屯所には常に複数名の導士が配備されている。さらに央都の要所要所で警戒任務に当たる導士たちがいて、市内各所を巡回する導士たちがいる。
それが、戦務局戦闘部導士たちの主な任務である。
つまり、央都四市は、常に導士たちによって警戒網が敷かれている状態であるとうことだ。導士たちは、常日頃、幻魔災害の発生に備えて、任務に当たっている。幻魔災害が発生次第鎮圧し、それによって被害を最小限に抑えることこそ、央都の社会、央都の秩序を守ることに直結するからだ。
そしてそうでもしなければ、央都は、人類生存圏としてまともに機能することもできないだろう。
かつて――それこそ二十年前までは、ここまでする必要はなかった、といわれている。
幻魔災害が発生することなどほとんどなかったからだ。
しかし、ここ十年近く、幻魔災害の発生頻度が限りなく増大しており、戦団は、日常的な厳戒態勢を余儀なくされた。
そうした日常的な厳戒態勢が、央都市民にある程度安心して普通の生活を送ることができるようにしているといっても過言ではなかった。
導士たちが、市民の目の届く場所に常にいて、警戒し、走り回っているからこそ、安逸を貪ることができている。たとえ幻魔災害が発生したとしても、戦団の導士たちがなんとかしてくれるだろうという確信があるからだ。
幸多は、成井小隊の臨時隊員として初任務を行うことになったのだが、新人導士の初任務と言えば、巡回任務と相場が決まっているということは当然知っている。
巡回任務を何度となく繰り返し行い、導士の仕事に慣れてきたところで別の任務を割り当てられる。それが新人導士の定番とされている。
「今回、ぼくたちが見回るのは、西稲区石堀町だ」
成井英太の多目的携帯端末から出力された幻板が、目的地周辺の地図を表示している。西稲区は、葦原市の西部一帯の地域であり、中津町、石堀町、美浜町から成り立っている。
石堀町は、央都開発に大きく貢献した採掘場の存在で知られている。石堀町という名称も、採掘場が由来となっている。
石掘町の名物である採掘場は、いまでも現役だ。採掘場で掘り出された鉱物が加工され、様々な分野で利用されているという。たとえば、戦団の導士たちが用いる導衣や法機に用いられる魔法金属の原材料が、採掘された鉱物だったりする。
人類生存圏という狭い世界では、資源は極めて有限であり、貴重だ。そして、資源を採掘することのできる場所というのも、とても重要だった。
だから、巡回任務を行う、というわけではないのだが。
「何度も言うが、なにも気負うことはないよ。任務に出たからと行って幻魔に遭遇する可能性は、限りなく低いんだ。これだけ頻繁に幻魔災害が発生するようになった今ですら、ね」
成井英太は、幸多の緊張をほぐすべく、務めて明るく穏やかにいった。
毎日のように幻魔災害が発生し、速やかに鎮圧されたと報道されている現実と、幻魔災害に遭遇する確率の問題は全く別の話だ、と、彼はいった。幻魔災害が頻発しているのは事実だが、しかし、だからといって任務に赴いた全ての小隊、全ての導士が幻魔と遭遇するわけではない、というのもまた、当然の事実なのだ。
幸多は、そんな風に諭されて安堵したものの、しかし、幻魔と戦うために戦団に入ったのだということも思うのだ。
幻魔災害の発生は、多大な被害を伴う。
故に、幻魔災害など発生しない方がいいに決まっているのだが、一方で、幻魔と戦い、倒し、滅ぼさなければならないという使命感にも駆られるのだ。
この身一つでどこまでできるものか。
拳を握りしめ、考えても、答えは出ない。
「そろそろ時間だな。皆、準備は良いね。転身!」
成井英太のかけ声に準ずるようにして小隊の全員が転身機を発動させた。無論、幸多もだ。全員が転身機の発する光に包まれ、制服姿から導衣姿へと変身する。
そしてそれは、なにも成井小隊だけの話ではなかった。
兵舎周辺で屯していた何名もの導士たちが同じように転身機を使い、導衣に身を包み込んでいた。ほとんどの導士が、手に法機を持っている。
制服や導衣、星印同様、法機も戦団からの支給品だろう。
幸多には、法機が支給されていない。
当たり前のことだ。
幸多が法機を手にしたところで、魔法を使うことが出来ない以上、宝の持ち腐れにしかならない。法機は金属製であるため、打撃武器としての使い道もないではないが、幻魔相手には全く意味がないといっていい。
幻魔には、通常兵器は通用しない。
魔法金属による打撃も、通常兵器による攻撃となんら変わらないのだ。
幻魔以外の――たとえば、人間の魔法犯罪者相手にならば使えなくもないだろうが、それならば別の武器を用意した方が効率がいいし、幸多ならば徒手空拳で十分だった。
ただの魔法士相手ならば、素手でも負ける気はしなかった。
幸多は、そういう理由もあり、自分に法機が支給されなかったことを不満に感じることはなかった。
「飛空」
法器に跨がった成井小隊の面々が、法機に設定された真言を口々に唱え、魔法を発動する。法機は、法器同様、魔法を簡易的に発動するための魔具であり、魔機だ。
真言を唱えるだけで魔法が発動するということは、それだけで便利であり、故にこそ、熟練の魔法士たちも当然のように活用する。戦団最高峰の魔法士である星将たちも、当たり前のように法機を用い、簡易化された魔法を駆使しているのだ。
法機や法器を魔法を行使するための補助輪と呼び、軽んじるのは、それこそ、魔法士としての実力の足りない人間である、と、高名な魔法士が断じている。
「きみは、わたしの後ろに乗ってくれるかな」
そう、幸多に提案してくれたのは、古大内美奈子である。彼女のBROOM型法機は、全体が桃色に染められており、鋭角的な形状をしていた。特に後部の鋭さは、魔女の箒というより、巨大な槍のような印象を受けるほどだった。
「は、はい」
幸多はすぐに古大内美奈子の元に駆け寄り、その法機に跨がった。振り落とされないように法機をしっかりと掴む。
すると、山中伊吹が幸多を一瞥して、聞こえるような声でいってきた。
「空も飛べないなんて、本当大変ね、魔法不能者って」
「そうだな。だが、彼は強いぞ」
「知ってる。でもそれって、人間相手に、でしょ? それ、なんの意味があるわけ? 魔法犯罪者相手に頑張ってもらう? それだけ?」
「ちょっと伊吹」
古大内美奈子が山中伊吹を諫めるも、彼女はさらに眉間に皺を寄せた。
「なに? 本当のことをいっちゃだめってわけ?」
「それが本当のことかどうかはこれからわかることだ。きみも、入団当初は役立たずの烙印を押されかけただろう」
「それは……」
「だれであれ、一目で人の資質を見抜くことなどできるわけがない。ましてやぼくたちのような半端者なら尚更だ。それともきみは、軍団長よりも優れた目利きができると?」
「だれもそんなことはいってないでしょ」
「そうだな。きみは、ただ寝起きで苛立っているだけだ」
成井英太は、山中伊吹の言動をそのように認定すると、一方的に話を打ち切った。一同を見回す。
「準備は良いな」
幸多は、微妙な居心地の悪さを感じつつも、山中伊吹のそれは当たり前の反応だろうとも思っていた。自分が魔法士ならば同じようなことを考えたかもしれない。
「成井小隊、出撃!」
成井英太の号令とともに成井小隊五人の法機が空高く舞い上がった。
幸多は、古大内美奈子の法機から落ちないように注意しながら、分厚い大気の層を切り裂くように飛んでいく感覚を全身で感じた。
夏の青空が眩いばかりに光を帯びて、成井小隊の出撃を祝福するようだった。
戦団本部から西へ。
目的地は、すぐそこだ。
空を飛んでいけば、なにものにも邪魔されることはなく、まさにあっという間だった。
人類生存圏・央都の中心たる葦原市、その中枢である中津区は、央都最大の都市部である。都心とでもいうべき場所であり、人の数も多ければ、建物の密度も圧倒的だ。戦団にとって重要な建物があるだけでなく、央都にとっても重要な建物が密集している。
一方の西稲区は、そうではない。当初は農耕地帯として開発されていたという経緯もあり、辺り一面に広大な田園地帯が広がっている。
そして、西稲区石堀町は、以前も述べたとおり、採掘場で知られた町であり、いまもなお新たな採掘場が誕生しては、様々な材料に用いられる鉱物が採掘され続けている。
やがて目的地に辿り着くと、成井英太から順次降り立っていく。そして、着地した側から法機を転送した。BROOM型法機は、空を飛ぶ分には便利だが、持ち歩くには不便だ。長すぎて邪魔になるし、手が塞がるのも問題だ。
転身機を用いれば、転送は一瞬で済む。そして、必要なときに呼び出せばいいだけだ。法機に限った話ではない。法機以外にも様々な道具を転送することができるのが、転身機なのだ。
「そうそう幻魔と遭遇することはないだろうが、全員、気を引き締めて任務に当たるように」
成井英太は、石堀町の町並みを見回しながら、いった。
幸多の初任務は、こうして始まった。