第千二百八十三話 神流の火(十八)
五体の鏡像と一体の本物――六体の悪魔たちが神流へと猛然と突っ込んでくる。隙間すら存在しない一斉射撃の真っ只中を突っ切って。悪魔に致命傷は存在しない。一見、深刻な損傷であろうとも、立ち所に元通りに回復する。それが悪魔だ。
だからこそ、銃弾の雨も、砲弾の渦も、爆撃の嵐も、熱光線の乱舞すらも、まったく意に介さない。
無論、そのような力業ができるのは、ベルフェゴール本体だけだ。
鏡像たちが崩壊し、本体だけとなったのは、一瞬。その一瞬後には、新たな鏡像が五体、神流により近い位置に出現する。そして、さらに距離を詰め、粉砕され、再出現。そのようにして神流に迫る悪魔たちだが、既に本体は判明している。
神流は、本体だけを見ていた。
鏡像にどれほどの力があろうとも、問題ではない。重要なのは、本体を斃すこと。そしてそれができるのは、神流ではない。
幸多が、動いている。
青白い燐光が尾を曳き、ベルフェゴールの背後へと迫っていた。
当然、悪魔もそれに気づいている。
神流に攻撃を集中させたとあれば、幸多が動くのは道理だ。
それでも、ベルフェゴールは、進む。大量の熱光線に全身を焼き切られながら、しかし、そのつぎの瞬間には元通りに復元する悪魔の肉体を駆使し、神流を眼前に捉えた。神流の双眸が輝く。
律像が瞬いた。
「自爆殺」
「それは、知っている――」
神流の心臓を抉るべく繰り出した拳が、その大きく抉れた胸部装甲に触れた瞬間だった。閃光と轟音が、神流の全周囲に吹き荒れ、鏡像を尽く消し飛ばす。何度となく出現する鏡像がそのたびに破壊されるほどの、超爆発。
だが、ベルフェゴールの右手は、確かに神流の胸部装甲を貫いていた。星神力の結晶たる星装、その超魔法合金よりも強固な装甲を軽々と貫き、皮膚を破り、内臓へと、心臓へと至ろうとする。
ベルフェゴールが瞠目したのは、神流の自爆魔法が自分ではなく、鏡像を吹き飛ばすためだけのものだと気づいたからだ。そして、神流の両の手が、悪魔の右腕に絡みついたからでもある。機械仕掛けの手。変形し、拘束具となる。
「掴まえましたよ」
神流が悪魔に告げた瞬間、ベルフェゴールは、己が右腕を切り離し、飛び退った。暴風が巻き起こり、青白い燐光が視界を掠める。
上空へ至った悪魔は、神流が即座にベルフェゴールの右腕を投げ捨て、幸多を抱き留める様を見た。幸多の拳が強い光を放っている。青白い燐光。大気中の魔素との摩擦によって生じる、情報子の輝き。
ふと気づけば、翼の一枚が根元から失われていた。三対六枚の翼が、右二枚、左三枚になったのだ。
自爆殺による爆砕の連鎖の狭間、背後から殺到してきた幸多が、ベルフェゴールを殴りかかってきたその結果だ。すんでの所で回避できたものの、もし直撃を受けていれば、致命的な事態になっていただろう。
幸多による打撃は、これで三度、受けたことになる。
「……欠落した情報は、二度と補完されることはない……」
己が胸の空洞を見、そして、幸多に視線を向ける。
幸多は、神流に抱えられていた。彼は完全無能者だ。魔法を使うこともできなければ、空を飛ぶことなどできるわけもない。
「ならば……」
ベルフェゴールは、五枚の翼で大気を叩いた。激しい突風が神流たちを襲う。が、そんなものが悪魔の狙いであるはずがない。
さらなる高空へと至った悪魔は、雷雲の中にその姿を隠してしまった。
神流は、幸多を支えながら、暗雲の中に渦巻く膨大な星神力を視ていた。禍々《まがまが》しく、破壊的な力の渦。その中から真空の刃が飛来してきたものだから、神流は、幸多を抱き抱えるようにして空を舞った。
降り注ぐ大量の攻撃魔法を全力で回避しつつ、銃天使を差し向ける。数十体の擬似星霊とでもいうべきそれらが雷雲目掛けて熱光線を照射するも、その程度の攻撃でベルフェゴールが音を上げる理屈はない。
「上空から一方的に攻撃されるとなると、厄介ですね……。ぼくには、打つ手がありません」
「……幸多」
「はい?」
神流の静かな声に、幸多は、はっとした。星将のまなざしは、天に向けられている。ただ、真っ直ぐ。
「何度も言いましたが、この戦いの勝敗は、あなたにかかっています。あなただけが、悪魔を滅ぼすことができる。ベルフェゴールが撤退しないというのであれば、わたくしたち星将の命を欲するというのであれば、戦って、斃しきる以外に道はない。となれば、どうしたところで、あなたに気張ってもらうしかありません」
「はい」
「……本当は、あなたにもっと時間を上げたかった。あなたがその力を、源理の力を十全に使いこなせるようになるまでの時間を。胸を張って、自信を持って、悪魔に立ち向かっていけるくらいの実力と経験を積み上げられるだけの時間を。ですが」
神流は、頭上から殺到する衝撃波を躱しながら、いった。雷雲の高度から降ってくる魔法は、しかし、その威力をほとんど減衰していない。
星髄へと至った星象現界使いの星神魔法なのだ。威力も、精度も、射程も、範囲も――なにもかもが頭抜けている。
そして、悪魔である。
人間の魔法士のように、星象現界の発動と維持によって力尽きる可能性は、皆無に等しいのではないか。
時間切れによる戦術的勝利など、存在しない。
「そのようなことをいっていられる事態ではありません。ですから、わたくしからあなたへ、最後の授業と致しましょう」
「最後の授業……?」
「ええ。わたくしはあなたの師匠ではありませんから。いつまでも師事している場合ではないでしょう。あなたの本当の師匠は、美由理です。美由理にこそ、学びなさい。彼女は、戦闘部最高の魔法士です。魔法技量において彼女に並ぶものはいません。あなたは完全無能者ですが、彼女に学べることはいくらでもありますよ。ないはずがない」
そういって、神流は幸多に顔を向け、微笑んだ。その微笑はあまりにも透明過ぎて、幸多が思わず見惚れるのも無理はなかった。
その間も、頭上からは大量の衝撃波や真空の刃が飛来してきており、回避しきれなくなっていた。
故に、神流は、攻撃に転じたのである。
虚空を蹴るようにして急上昇しつつ、頭上に弾幕を形成する。星装による弾幕は、星神魔法の弾幕と同じだ。そして、悪魔の星神魔法と激突し、爆砕を引き起こす真っ只中を駆け抜ければ、雷雲を眼前に捉えた。
幸多を抱き抱えたまま。
どす黒くも禍々しい黒雲の狭間、雷鳴の合唱が四方八方から轟き、稲光が遥か彼方まで駆け抜けていく。雷が絶え間なく降り注ぎ、恐府全土を破壊していく様が見えた。
悪魔が、雷光を逆光にして、姿を見せる。暴風の結界が、銃天使の熱光線を阻んでいた。
「それで……その状態で、このおれとやり合えると……? 随分と……舐められたものだ……」
「ええ、戦えますよ、〈怠惰〉の悪魔。あなたがどれだけ凶悪たろうと、鬼級の中でも上位に君臨しようとも、明確な弱点があり、その弱点を突くことができるのですから……こちらには十二分に勝ち目がある」
「はっ……」
ベルフェゴールは、もはや、神流の強気には取り合わない。
神流は、自分を鼓舞しているだけだ。虚勢を張っているのと同じだ。
確かに、弱点はある。
唯一無二の弱点。
大特異点・皆代幸多の存在である。
既に三度、幸多の攻撃を受け、その部位が欠損している。永久の空白。絶対の欠落。失われた情報がどのようなものだったのか、思い出すことすらもかなわない。情報を失うとは、つまり、そういうことだ。
だが、それだけだ。
依然、優位なのはベルフェゴールだ。




