第千二百八十二話 神流の火(十七)
神流は、〈星〉を視ていた。
己が内に広がる宇宙、その全き深淵に煌めく〈星〉、その全貌をついに捉えたのだ。
なぜ、どうして、いまこの瞬間にそうなったのかはわからない。わからないが、神流は、〈星〉の全容を解き明かすに至った。
つまりは、星髄だ。
己が魔法の元型たる〈星〉、そのすべてが明らかとなり、星象現界が形を変えた。星髄へと至ることによる、星象現界の変貌。
満ち溢れるのは、星神力。莫大にして絶大な力の奔流が、神流の全身を止めどなく駆け巡り、貫くかのようだった。細胞が震える。血液が燃え上がり、命が叫び、魂に火が点いた。
(視える)
神流は、ベルフェゴールが展開する星域、その多層構造の結界を目視していた。禍々しくもどす黒い瘴気が星域内に存在するすべてのものを囚え、地の底へと引きずり下ろそうとするかのような、そんな光景。万里彩も陽真も重力の渦に囚われ、一瞬にして力を失ってしまった。
脱力し、その場に崩れ落ちるのだが、その動きすらも緩慢だった。
魔法によってこの重力圏を打破しようというこちらの作戦が見破られたか、あるいは、単純に星域の性能が大きく向上したのか、それとも、その両方か。いずれにせよ、堕獄は、星神魔法による精神制御すらも突破するほどに凶悪なものになっているのは間違いない。
そんな中、神流は、重力に抗っている。
(わたくしには、すべてが視えている……!)
ベルフェゴールが翼を閃かせ、突風を巻き起こして星将たちを吹き飛ばそうとするも、その飛膜を熱光線が焼き切り、集まった風気を霧散させた。
神流の真なる星装・銃女神、その武装群・銃天使による牽制攻撃である。
それは、神流が編み出した擬似召喚魔法・銃精が星象現界の一部として発現したものだ。擬似召喚魔法の際には輪郭も不確かで攻撃力も控えめだったが、星象現界へと昇華されたことにより、すべてが大幅に強化されている。翼の生えた銃のようなそれらは、銃の天使と呼ぶに相応しいかもしれない。
そして、銃女神。神流の失なわれた体の部位も完璧に補う星装は、彼女の想像力の結晶そのものだ。
沸き上がる力が、神流の中の火を燃え上がらせる。
「幸多! わたくしに続きなさい!」
「はい!」
神流が叫べば、幸多も当然のように反応する。
幸多が堕獄に囚われるはずがないことは、わかりきっている。彼は完全無能者。魔法の恩恵を受けることもできなければ、魔法に支配されることもない。
魔法に祝福されざるものにして、呪われざるもの。
ベルフェゴールが神流を睨めつける。その形相は限りない怒りに醜く歪み、まさに悪魔そのものといってよかった。
「まずはおまえだ……おまえから、殺す……!」
「最初からそうするべきでしたね! わたくしだけが、星髄に至っているのですから!」
神流が掲げた右腕、その指先から星神力の弾丸を連射する一方、その背後に浮かぶ弾帯の光輪が回転し、大量の弾丸が発射される。それだけではない。全身、様々な箇所から銃火器が展開し、銃弾、砲弾、爆弾が乱射された。
もちろん、銃天使も攻撃を続けており、ベルフェゴールは、集中砲火から逃れるべく、その場から飛び退かざるを得なかった。が、神流は逃さない。超神速で飛び回る悪魔に対し、火線を集中させ、虚空に爆撃をばら撒いていく。大量の誘導弾が悪魔を追い、悪魔の放つ魔法によって撃ち落とされ、爆砕の連鎖を引き起こす。
大気が震撼し、天地が晦冥する。頭上から降りしきる雷撃の雨など、もはやどこ吹く風だ。
この戦場には、関係がない。
その最中、幸多は、ベルフェゴールを目で追っていた。
悪魔を斃すのは、幸多の役割だ。それこそが、自分に課せられた使命。そのために生まれ、そのためにいまここにいる。そう、断言する。
全身を巡る超分子機械を励起し、蒼煌練気をその身に纏えば、限りなく研ぎ澄まされた五感が、星髄に至った星将と悪魔の超神速戦闘すらも捕捉する。闘衣や鎧套といった外付けの補助装置ではなく、幸多自身の能力が、星将と悪魔の決戦を認識していた。
常人の目では追い切れないであろう戦闘速度。
魔法士の戦いは、高速戦闘と呼ばれる。だれもが魔法を使えるようになれば、重力の軛から解き放たれ、物理法則などお構いなしに飛び回るようになるのも当然だろう。その上、魔法は、魔法誕生以前には想像すらできなかったことを容易く実現するものだ。人間が音速飛行することも容易く、深海は愚か、宇宙遊泳すらも実現した。
魔法とは、それほどの力なのだ。
神の御業に等しく、奇跡の片鱗であり、神秘の具現そのものといっていい。
そして、魔法の誕生から二百年ものときが流れたいま、魔法士たちの魔法技量は、黎明期とは比べ物にならないほどのものとなっていて当然だった。
飛行魔法を用い、超音速で飛び回ることそのものは、別段珍しいことでもなんでもないということだ。
もっとも、超音速飛行を駆使して戦うとなれば、相応の魔法技量が必要なのだが、そんなものは戦闘部導士ならばだれもが当然のように備えているものだ。
ましてや、星将ともなれば、超音速を越えて当たり前だ。
星髄に至った神流が、超神速とでもいうべき戦闘速度を発揮するのも、道理としか言いようがない。
ベルフェゴールが黒い流星のように飛び回りながら神流の総攻撃を逃れ、ついには肉迫するも、無数の熱光線によって作り上げられた分厚い壁に阻まれ、差し伸ばした右腕を溶断される。だが、悪魔は、止まらない。溶断された断面から腕を復元し、神流の胸に拳を埋めた。爆風。吹き飛んだのは、神流。だが、神流の攻撃は止まない。銃弾、砲弾、爆弾、熱光線――ありとあらゆる銃砲火器による集中攻撃が、悪魔の全身を貫く。
ベルフェゴールは、吹き飛ばされた右腕を見ており、自身を貫く攻撃の数々に苦い顔をするばかりだ。
神流が、立ち直った。胸部装甲が大きく抉れているが、問題はなさそうだった。
少なくとも、幸多にはそう見えた。
神流が、悪魔に向かって両腕を掲げる。まるで天に祈りを捧げるかのように。
「銃神滅照!」
膨大な星神力が両腕を伝って手の先に収束したかと思うと、虚空に炎の紋様が浮かび上がった。紋様の中に無数の光点が瞬き、つぎの瞬間、閃光が奔る。光がすべてを塗り潰したのは、一瞬。その一瞬の後、正常化した視界の真ん中で、ベルフェゴールの上半身が消し飛んでいる。
さらに全方位からの一斉射撃によって、ベルフェゴールの魔晶体が粉々に打ち砕かれていく中、幸多は、神流が大きく吹き飛ばされるのを見た。
「神流様!」
「構うな!」
叫んだのは、神流。
口の中に広がる鉄の味に目を見開きながら、神流は、視界の片隅に過った悪魔の影に対応した。先程の攻撃で破壊したのは、おそらく鏡像だろう。
星象現界は、魔法の元型たる〈星〉を現すもの。ならば、星象現界の特性は、得意とする魔法に関わるものであるはずだ。
つまり、ベルフェゴールは、鏡像魔法の使い手なのだ。
見れば、周囲に複数のベルフェゴールがいた。いずれも全く同等の魔素質量を帯びており、本物を特定することは難しい。少なくとも、瞬時に判断することは不可能だ。
神流は、背後からの攻撃を右腕で受け止めると、透かさず、全方位に爆撃を行った。鏡像は、本物ほど強くはない。そして、鏡像は、増やせば増やすほど、弱く、脆くなる。それは、星象現界からも明らかだ。
だから、あまり増やしていないのだろう。
ベルフェゴールの鏡像は、五体。
本体を含め六体の悪魔が、神流を取り囲んでいる。それらを爆発に巻き込んで吹き飛ばしても、再び鏡像が出現するものだから、やはり、一掃する以外に方法はないのか。
爆炎渦巻く中、悪魔が神流を見据えていた。
「おまえは殺す」
「いいえ、滅びるのはあなたですよ、ベルフェゴール!」
「そのザマでよくいえたものだ」
「星将ひとりう殺せないあなたがいえたことですか」
神流は、明後日の方向に折れ曲がった右腕を星装で強引に動かしながら、叫ぶ。そもそも、右前腕は失われているのだ。なんの問題もない。
問題は、どうやって悪魔を出し抜くか、ということだ。
幸多をどうぶつけるか。
幸多は、この戦闘についてこれてはいる。
だが、神流の攻撃があまりにも苛烈すぎて、割り込むことができないのだ。
(やはり、方法はひとつ)
神流は、ベルフェゴールとその鏡像たちが殺到してくるのを待った。
覚悟は、とうに決まっている。




