第千二百八十一話 神流の火(十六)
「ですが、あなたは負ける。あなたは敗れ去る。わたくしたちと、幸多の前に」
「は……よく言えたものだ」
ベルフェゴールは、大見得を切る神流を前にして、苦笑せざるを得なかった。
戦力差は、圧倒的。三人の星将のうち、ふたりが戦闘不能に等しい状態だ。息を吹きかければそれだけで命を落とすほどの状況。残り二名、神流と幸多だけでは、ベルフェゴールを打倒しようがない。
虚勢。
「この状況をこそ、絶体絶命の窮地と呼ぶんだろうに」
「否定はしません。が」
神流は、幸多の肩に手を触れ、彼がこちらを一瞥するのを認めた。その視線、そのまなざしが、神流に力をくれる。
魔法の恩恵を受け得ざる完全無能者の彼が悪魔との死闘に身を投じているという事実が、そんな彼に頼らざるを得ないという現実が、神流の覚悟を燃え上がらせるのだ。
それは、火。
燃え盛る魂の火であり、瞳の奥に輝く〈星〉である。
「だからといって、諦めるつもりもありません」
刹那、ベルフェゴールへ、四方八方からの銃撃があった。銃神戦域による十字砲火。銃撃、砲撃、爆撃――あらゆる種類の弾丸が悪魔に集中し、爆砕の乱舞が引き起こされるも、つぎの瞬間に吹き荒れた暴風がすべてを薙ぎ払った。爆煙すらも押し流し、無傷の悪魔が姿を現す。
幸多は、異形化したベルフェゴールの絶大な力を見て取った。拳を握り締め、呼吸を整える。いまは、神流を信じるだけだ。
神流が血路を開くといった。
ならば、幸多はそれを信じ、その瞬間を逃さないように全神経を尖らせておくべきだろう。
ベルフェゴールの翼が大気を撃つ。瞬間、爆風が幸多の真横を通り過ぎた。神流がベルフェゴールに殴りつけられている。多重魔法防壁が突破され、神流の右腕が千切れ飛んでいた。鮮血が視界を染める。
幸多が反応しようにも、ベルフェゴールが速すぎた。超神速すらも越える戦闘速度。余波が、幸多の体を浮かせた。
神流は、慌てない。
「自爆殺」
神流の千切れた右前腕が、ベルフェゴールの眼前で閃光を発した。爆発。天地を震撼させるほどのそれは、さしもの悪魔も一瞬だが動きを止めた。その瞬間を見逃す神流ではない。悪魔の懐の潜り込み、左手をその腹に触れさせる。
「自爆殺」
神流は、平然と己が左手を爆発させると、それによってベルフェゴールの巨躯を吹き飛ばして見せた。立て続けの超爆発には、さすがの悪魔もたじろいだようだった。
もっとも、それで戦況が変わるはずもない。
悪魔の顔面と腹に空いた大穴は、瞬く間に塞がっていくからだ。
一方、神流の右腕を左手は失われたままだ。
「神流様……?」
幸多は、神流の犠牲を厭わぬ戦い方に鬼気迫るものを感じた。
いま神流が使ったのは、犠牲魔法とも代償魔法とも呼ばれる種類の魔法だ。肉体の一部を代償として差し出すことによって、魔法の精度や威力を通常の数倍から数十倍に引き上げるのである。それを星神魔法で行うということは、つまり、通常時の数百倍はくだらない威力を発揮するということだが。
実際、威力だけでいえば、とてつもないものだったはずだ。
異形化したベルフェゴールの魔晶体を傷つけただけでなく、大穴を開けたほどなのだ。
だがしかし、そんなことに大した意味はない。
「……おれは、無駄なことは嫌いなんだ。こんなことに一体なんの意味がある。ただ無意味に自分の体を失っただけだろうに」
「意味は、あります」
「うん?」
「わたくしの覚悟をお見せしたまでのこと」
「は……それが無意味だというんだ」
ベルフェゴールは、嘲笑い、顔面と腹部を完全に復元して見せた。
一方の神流は、右腕と左手の傷口を止血しただけであり、それ以上の回復は見込めなかった。人間である。幻魔のように欠損した部位を瞬時に回復することは難しい。妻鹿愛ほどの治癒魔法の達人ならば、彼女の星象現界ならば、ともかく。
また、生き残り、戦団本部に帰投することができれば、いくらでも回復のしようはあるのだが。
(どのみち、わたくしには関係がありませんね)
神流は、左腕を頭上に掲げた。全身全霊、星神力の限りを尽くす。全身の細胞という細胞が熱を帯びているのがわかる。血液が沸騰し、魔素が燃焼されている感覚。
「無駄、無意味、無明……」
ベルフェゴールが、再び、翼で大気を叩いた。刹那、神流の眼前に悪魔の顔が現れる。超神速の打撃。多重防壁が一撃にして突破され、拳が神流の腹に突き刺さった。告げる。
「掴まえました」
「はっ――」
「自爆殺」
神流の全身を代償とする超爆発がベルフェゴールを飲み込み、その魔晶体の尽くを灼いていく。爆発に次ぐ爆発の連鎖。周囲一帯を根こそぎ消し飛ばしかねないほどの威力。
幸多は、その爆光の中に星の煌めきを見た。
ベルフェゴールが唸りを上げてその場を飛び離れ、焼き焦げ、あるいは溶解した体を速やかに復元していく中、閃光がその右腕を溶断する。
悪魔が疑問符を上げる間もなく、無数の弾丸が翼を貫いた。さらに数多の熱光線がベルフェゴールの四方八方から殺到し、全身に穴を開ける。
「これは……」
「まさか……!」
陽真と万里彩は、瀕死の重傷からようやく立ち直ったところであり、いままさにベルフェゴールに攻撃を試みようとしていたのだが、二の足を踏んだ。
というのも、ベルフェゴールに対する苛烈な攻撃を目の当たりにしたからだ。
ベルフェゴールの魔晶体は、その異形化に伴い、異様なほどに強固なものになっていた。星装なのだろうから当然といえば当然なのだが、星将たちの星象現界、星神魔法ですら掠り傷をつけるので精一杯だったのだ。
神流が代償魔法でようやく大打撃を与えられたくらいだ。
それがいまや、単純な魔法攻撃で容易く魔晶体を傷つけることができている。
「星髄に至ったというのか?」
「そうですわ! そうに違いありませんわ!」
「星髄……」
愕然とする陽真、興奮に身を乗り出す万里彩、星の煌めきを視る幸多――三者三様の反応の中、ベルフェゴールもまた、それを視ていた。
爆煙の中、それは静かに浮かび上がってきていた。
神流である。
つい先程、己が肉体を犠牲とする代償魔法を発動させたはずの神流だが、その全身を紅蓮に輝く星装に包み込んでいた。銃を王冠として頭上に戴き、砲台を装甲としてその身に纏い、弾帯が光輪となって背後に輝いている。失われたはずの右腕と左手もまた、銃火器の集合体によって補われているようだ。
銃砲火器の化身とでもいうべきか。
「銃の女神……」
万里彩が、その神々しさとも禍々しさともつかない姿に見惚れる中、神流は、ベルフェゴールへの攻勢を緩めない。悪魔を包囲するなにかが銃弾やら熱光線を撃ち続ける一方、神流は、右腕を掲げた。右腕が回転し、弾丸を連射する。まるで回転式機関砲のように。
さらに弾帯の光輪が大きく展開し、無数の光弾がベルフェゴールに向かって放たれた。超絶的な弾幕が形成され、ベルフェゴールがむしろ圧倒され始めたものだから、万里彩たちも唖然とするほかなかった。
いくら星髄に至ったからといって、悪魔に対し、こうも一方的な展開になるものだろうか。
ベルフェゴールもまた、星髄に至っている。
人間と鬼級幻魔の魔素質量には、絶大な差があるのだ。互いに星象現界を発動すれば、鬼級に分があるように、両者が星髄に至れば、やはり、鬼級のほうが圧倒的に上だ。
しかし、現状、神流が悪魔を圧倒している節があった。
そんなことがありえるのか。
「無駄、無意味、無明――」
ベルフェゴールが告げ、星域が再展開する。
堕獄が、再び開かれたのだ。




