第千二百七十九話 神流の火(十四)
ベルフェゴールは、星域・堕獄の中心に在って、万里彩と神流を見ていた。
見る限り、ふたりの星将は、堕獄に囚われ、まともに戦うことすらままならなくなっているはずだ。
堕獄は、強大な重力場そのものたる星域である。ただし、その重力は、物理的なものではない。直接肉体に作用するわけではないのだ。星域内に存在するベルフェゴール以外のすべてのものの精神を囚え、堕とし、封じ込める。
最後には、その魂を重力に渦の底に落とし込んで押し潰し、生きながらに死ぬ。
それが、堕獄の能力。
故に、既に囚われた星将たちはあらゆる行動が鈍くなっており、判断能力も低下し続けているのだ。つまり、ベルフェゴールが一方的に攻撃するできるはずなのだが、どうも上手く行かない。
理由は、単純。
星象現界の相性だ。
万里彩の星装は、本体を自動的に防衛する能力を持っているようであり、ベルフェゴールの攻撃に反応した。
堕獄が捕らえるのは、対象の精神。既に発動している星象現界には、なんの効果もない。
同様に、神流の星域も、堕獄の能力を無視して攻撃してきていた。
四方八方から殺到する銃弾、砲弾、爆弾は、弾切れの心配など必要ないといわんばかりだったし、実際にそうなのだろう。使い手の星神力が切れない限り、弾が尽きることはない。
ならば、待てばいい――とは、ならない。
ベルフェゴールは、一刻も早く、このふたりの星将を殺したかった。
サタンからの使命を果たし、〈七悪〉の座に上り詰めるためには、星将の命を捧げる必要がある。それも、可及的速やかに。
この力を使ったのだ。
たかが人間ふたりを相手に、全力を駆使する羽目になってしまった。
これは、恥だ。
屈辱が、ベルフェゴールを唸らせる。
神流と万里彩が堕獄に囚われているいまのうちに、殺すのだ。
ベルフェゴールが地を蹴るようにして踏み込めば、万里彩が反応した。
「葵渦!」
万里彩の渾身の星神魔法は、ベルフェゴールの進路上に破壊的な渦となって聳え立ち、さらに爆発を起こした。銃神戦域の爆撃が重なり、火と水の反発が起きたのだ。双極属性の反作用を利用した超爆撃。
もっとも、そんなものでベルフェゴールは動きを止めない。爆撃を浴びてもなお、その肉体はほとんど傷ついていなかったし、掠り傷程度、瞬時に塞がるものだ。たかが星神魔法では、足止めにすらならない。
爆煙を吹き飛ばし、突っ切るも、万里彩が姿を消している。
神流もだ。
「うん?」
ベルフェゴールは、その場から飛び離れると、水撃と爆撃の激突を見た。またしても起こる超爆発。悪魔は、爆風に煽られるようにして、空を舞った。
「焔神砲撃!」
「椿雨!」
さらに二星将の星神魔法がベルフェゴールを襲うが、黙殺する。羽撃き、爆煙の中を突き進むと、眼前に万里彩を捉えた。その目は、真っ直ぐにベルフェゴールを睨んでいる。瞳の奥に悪魔がいた。
「大海薔薇!」
破滅的な大洪水がベルフェゴールを飲み込むも、やはり、悪魔には全く効果がない。前進し、万里彩に肉迫する。万里彩が、飛び退いた。直後、爆撃。反属性爆発。
「……どういうことだ?」
ベルフェゴールは、星将たちの反応の早さに疑問を持った。堕獄に囚われている以上、思考も感覚も鈍化しているはずだ。そしてそれは悪化し続け、最終的にはなにも考えられなくなる。
だが、神流も万里彩も、どういうわけか、以前と全く同じように動いていた。
「なにが……」
「――二対一じゃ分が悪いからね」
声が、頭上から突っ込んできた。振り仰げば、巨大な岩塊が視界を埋め尽くす。情報照合。星象現界・正統なる王の剣――。
「雑魚が増えたところでどうなるものでもあるまいが」
「まあ、否定はしないさ」
悪魔の右腕に岩塊剣を受け止められて、播磨陽真は告げた。
遅れてきた助っ人は、導衣を靡かせ、巨大な剣の柄を両手で握り締めている。ただの剣ではない。刀身が巨大極まる岩塊に埋まった形状のそれを剣と呼ぶのは無理がある、と一部で評判だった。だが、剣だ。岩塊から刀身が覗いていたし、鍔があり、柄もあった。絢爛豪華に飾り付けられた魔法の剣。
陽真は、全力を込めた一撃が全く通用しない事実を認めつつ、ベルフェゴールの咆哮を聞いた。唸り声が天地を揺らす。吹き荒ぶのは、衝撃波。岩塊の表面に亀裂を走らせ、削り、ついには陽真を吹き飛ばす。
「おれたち人間は、どう足掻いたところで、おまえたちにとっては雑魚なんだろう。だが」
「だが?」
「負けるつもりはないな」
「そういうのを負け犬の遠吠えというんだ」
「いわないな」
陽真は、着地と同時にエクスカリバーを握り直した。全身、傷を負っている。ベルフェゴールの星神魔法は、さすがの威力だった。多重防壁を容易く突破し、導衣もろとも全身を切り刻んだ。痛覚を遮断していなければ、悲鳴を上げていたかもしれない。
それほどの傷。
だが、その程度の傷でもある。
生きているのだ。
導士たるもの、星将たるもの、命の限り戦うものだ。
「なあ、神流、万里彩。そうだろう?」
「その通りですわ」
「もちろん」
神流と万里彩は、陽真に合流すると、ベルフェゴールと対峙した。
星域・堕獄は、いまのところどうにか攻略できている。だが、この強引な攻略法が通用し続けるとは限らない。
その攻略法とは、魔法による精神の加速、である。
ベルフェゴールの星域・堕獄が星将たちの反応を著しく低下させていることを瞬時に解明した作戦司令部は、出現準備中だった陽真に対応策を授け、送り込んだ。陽真は、イリアの星象現界・神の創意によってこの場に転送され、瞬時に魔法を発動、神流と万里彩の星神を加速させたことによって、堕獄の呪縛から解き放つことに成功したのである。
無論、陽真も自身に同様の精神魔法を掛けている。
ベルフェゴールに見破られれば最後、対応される可能性は極めて高い。
だからこそ、
「速攻!」
陽真は、宣言とともに踏みだし、一足飛びにベルフェゴールに迫った。悪魔の翼が閃く。圧縮された風気が無数の弾丸となって陽真を襲うが、巨大な水壁が陽真ごとそれらを飲み込む。渦巻く水流が陽真をベルフェゴールに急接近させ、悪魔が目を見開く。ベルフェゴールの右手が剣の岩塊に突き刺さった。岩塊の表面に亀裂が走り、砕け散る。
そして、切り飛ばされたのは、ベルフェゴールの右腕。
陽真は、岩塊の中から現れた極大剣を振り抜き、それによって悪魔の腕を切り裂いたのだ。刀身に神秘的な文字や紋様が刻まれた魔法の剣。それこそ、星象現界・正統なる王の剣の本当の姿であり、この状態になって初めて全力を発揮することができるという、一風変わった星装なのだ。
「油断したな!」
「はっ」
ベルフェゴールの苦笑は、つぎの瞬間には切り飛ばされた右腕が復元したことによるものだ。人間ならば致命的にすらなり得る重傷も、悪魔にはなんの意味も影響もない。
星将がひとり増えようが、堕獄が攻略されようが、ベルフェゴールの圧倒的優位になんの違いもないのだ。
「おまえたち如きが、おれを殺せるとでも?」
「あなたを滅ぼすのは、わたくしたちではありませんわ!」
真言がぶつかり合い、星神魔法が炸裂する。
激流の渦がベルフェゴールを飲み込み、陽真のエクスカリバーが無数に剣閃を奔らせ、暴風圏がすべてを飲み込む。
その最中、神流は、幸多の元へと辿り着いた。幸多を取り込み、禍々しい異形の棺へと変化したベルフェゴールの触手。その中から幸多を解放しなければ、神流たちに勝ち目はない。
いや、人類そのものが、悪魔への対抗手段を失うことになりかねない。
神流は、棺に触れ、星神力を集中させた。幸多を解放するために棺を破壊した結果、彼に重傷を負わせるような羽目になれば、目も当てられない。
幸多には、傷ひとつ付けるわけにはいかなかった。
彼が、希望だ。




