第百二十七話 初任務・皆代幸多の場合(一)
七月三日。
この日は、幸多が導士としての初任務を行う日だった。
そのこともあり、いつも以上に早起きした幸多は、昨日と同じように統魔を起こさないように寝台を抜け出し、準備を済ませた。
朝のネットテレビ番組では、昨日、央都四市各所で起きた様々な事件事故を取り扱っていたが、中でも大きく取り上げられたのは、葦原市北山区山中町で起きた幻魔災害だった。
妖級幻魔ジンの現出が確認されたのだ。
霊級、獣級とは比べるべくもないほどに凶悪な存在である妖級幻魔は、出現するだけでその周囲に甚大な被害をもたらすことでも知られている。実際、今回の幻魔災害も、出現地点一帯の民家が倒壊し、数多くの被害が出ていた。
しかし、死者どころか重軽傷者一人出ていない、ということは、どういうことなのかといえば、単純な話だ。
対応が間に合ったからだ。
というより、巡回任務中だった第十軍団所属の御蔵小隊がジンの出現に遭遇し、即座に討伐したからこそ、その程度の被害で済んだのだ。
その御蔵小隊には、草薙真が臨時隊員として同行していたという話を、幸多は真から直接聞いている。携帯端末に搭載されたコミュニケーションアプリ・ヒトコトを通じて、だ。
真とは、連絡手段を交換しており、時々やり取りしていた。
昨日も、彼が任務を終えたことを伝えてきたのだが、そのとき、幻魔災害と遭遇し、幻魔の討伐に参加出来たことは有益な経験になった、と、彼は述べていた。
ニュースでは、御蔵小隊の活躍が取り上げられ、新人導士草薙真が初任務で大金星を上げたということで大きな話題となっていた。
この一件によって草薙真の名は、さらに知れ渡ることだろう。
元より対抗戦決勝大会での活躍が彼の知名度を上げていたとはいえ、導士としての活躍は、まったく違ったものだ。
対抗戦は学生たちの青春の一時だが、戦団の導士となれば、命懸けの戦いとなる。
真が命を懸けて幻魔を倒したという事実は、この上なく大きいのだ。
幸多にとっても同期である彼の活躍は、大いに励みになった。
朝食と支度を終え、自室を覗くと、統魔はまだ眠りこけていた。今日の彼は非番ではないが、任務の時間帯まではまだまだ余裕があるのだろう。だから、惰眠を貪ることも許されている。
「行ってくるよ」
囁くように言うと、統魔が布団の中から右手を掲げてきたので、幸多はくすりとした。無意識の反応なのか、寝惚けてのことなのかはわからない。
家を出ると、晴れ渡る空が眩いばかりの青さを煌めかせていた。大気は既に熱を帯び始めていて、じきに気温も上がっていくだろう。
昔は、もっと暑かったらしい。
真夏になると三十度後半になるのが当然だったというのは、とても信じられなかった。
かつて、魔法時代黄金期、魔法の発明と加速度的な普及によって、誰もが魔法を使えるようになった時代、地球全土の自然環境の回復にこそ魔法を使うべきだと主張した人々がいる。そして実際に地球全土の自然環境が回復し、人類のみならずあらゆる生物の楽園へと生まれ変わったのだから、そのような主張が間違いなどではなかった、ということだろう。
自然環境の破壊に基づく異常気象は鳴りを潜め、地球温暖化と騒がれていた時代は遥か遠い過去のものとなった。
もっとも、そうして人類が取り戻した緑豊かで生命に満ち溢れた地球は、幻魔によって破壊され尽くし、いまや見る影もないのだが。
それでも、かつて温暖化と騒がれていた時代と比べると、夏の央都は、決して暑すぎるということはなかった。
ほかの季節に比べれば気温が高いのも事実なのだが、過ごしにくい暑さというのは、想像ができない。
夏の熱を帯び始めた風に煽られながら、未来河沿いの道を進み、戦団本部を目指す。
統魔が住んでいて、幸多が移り住んだ天風荘は、葦原市を北東から南西に向かって流れる未来河の南側、本部町と河南町の境界付近に位置している。
戦団本部とは目と鼻の先という距離であり、歩いて数分で辿り着いた。
まだ早朝だったが、戦団本部の敷地内には多数の導士がいた。なにやら喋りながら総合訓練所に向かう導士たちや、本部棟に入っていく導士たち、導士たちは、様々な目的で早朝の戦団本部を動いている。
戦団本部の敷地内には、十二軍団の兵舎が存在している。それら一つ一つに何百人もの導士が寝泊まりしているのだから、戦団本部が導士で賑わっているのは昼夜を問わない。
幸多は、そんな戦団本部にとっての当たり前の光景を眺めたりしながら、第七軍団兵舎に向かった。
氷の城と評される兵舎の前には、何人もの導士たちがいくつかの小隊に別れるようにして屯していた。いずれも任務に赴くための準備中といった様子であり、準備運動をしていう導士や、あくびをもらす導士などがいた。
皆、制服姿だ。
「皆代くん、こっちだよ」
「は、はい!」
名を呼ばれて、幸多は、どきりとした。声がした方向に目を向けると、呼びかけてきた人物が手を挙げて存在を主張してくれているため、すぐにわかった。
幸多は、今日、成井小隊の臨時隊員として初任務を行うことが、第七軍団長・伊佐那美由理によって決定された。
成井小隊は、当然ながら、第七軍団に所属する導士で構成されている。
「おはよう。随分早いじゃないか」
「おはようございます。なんだか待っていられなくて」
「いてもたってもいられない、か。まあ、わかるよ」
そういってにこやかな表情を浮かべたのは、成井英太だ。成井小隊の小隊名は、彼の姓から取られている。つまり、彼が小隊長だ。
優しげな風貌の青年であり、長く伸ばした小豆色の髪を後ろで一つに束ねている。身長は幸多よりずっと高く、やや太り気味に見えるというのは、特徴といっていいだろう。
黒基調の制服の胸元には、輝光級二位を示す星印が輝いている。
「任務にはまだ時間があるから、自己紹介からしておこうか。ぼくは成井英太。まあ、知ってくれている、かな?」
「はい、一応、皆さんのことは調べておきました」
「さすがは軍団長が弟子に選んだだけのことはあるね。勉強家だ」
成井英太は、言動からも人当たりの良い人物だということが良く伝わってきた。隊長にするなら、彼のような人物がいいのかもしれないし、だからこそ、四人もの部下が彼の元に集まっているのだろうとも思えた。
成井小隊は、五人編成だった。
とはいえ、誰もが成井英太のような人間ばかりではない。幸多に対し、冷たい目を向ける導士もいた。
「隊長はなんでもかんでも褒めすぎだな。ああ、あたしは山中伊吹。いくら美由理様の弟子だからって容赦はしないから。そして、足を引っ張るのだけは勘弁ね」
「は、はい」
幸多は、山中伊吹と名乗ってきた導士に目を向けた。彼女は、既にそっぽを向いていて、目線を合わせようともしてくれなかった。鉄色の頭髪の、目つきの鋭い女性導士。閃光級二位を示す星印が首元に輝いている。
「なにもそんな風にいうことはないと思うんだけどねえ、まあ、彼女も悪い奴じゃないということは、わかってやって欲しい。おれは広尾真一。こっちは」
「行常憲康だ。よろしく」
「よろしくお願いします」
広尾真一と行常憲康の二人も、閃光級二位だった。広尾真一は高身長で引き締まった体型をした、空色の髪の男だ。行常憲康は薄紅色の頭髪で、こちらも長身の男だった。
「わたしは古大内美奈子よ。伊吹、美由理様の弟子に志願して、断れたことがあるから、ね……」
「なるほど……」
古大内美奈子にそんなことを耳打ちされて、幸多は、大きく納得した。
伊佐那美由理は、戦団指折りの魔法士だ。美由理に弟子入りしたいと考える導士は数多といて、美由理はそれら全てが素気なく断ってきたという話は、あまりにも有名だ。幸多が美由理の初めての弟子だということからもわかるだろう。
美由理の弟子になりたかった導士たちにしてみれば、どうして魔法不能者なんかが弟子に選ばれたのか、と不思議でならなかっただろうし、疑問に思ったに違いなかった。山中伊吹のような反応を示したとして、なんらおかしなことではないのだ。
古大内美奈子は、灰桜色の髪を持つ、これまた長身の女性だった。
成井小隊で幸多より身長が低いのは、山中伊吹くらいのものだが、だからといって彼女の力量が幸多以下だと考えるのは早計であり、愚考だ。
「では、きみは?」
成井英太が、幸多に自己紹介を求めた。小隊全員が自己紹介したのだから、ということだろう。
幸多は、隊員たちの目線が集まるのを自覚して、緊張感を覚えた。
「ぼくは、皆代幸多です。魔法不能者ですが、皆さんの足を引っ張らないつもりですので、何卒、よろしくお願いします」
「そう気を張らなくて良い。小隊は、いや、戦団は、互いの足を引っ張り合うような組織じゃないんだ。皆で助け合い、互いに支え合うことにこそ戦団の組織としての本質がある。だから、きみも遠慮なくぼくたちに頼ってくれれば良い」
「はい!」
「良い返事だ。では、任務の概要について話そうか」
成井英太は、柔和な笑顔を一瞬にして掻き消すと、成井小隊が本日行う任務について話し始めた。