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ノーマジック・ノーライフ~魔法世界の最強無能者~【改題】  作者: 雷星
魔界の無能少年

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第千二百七十八話 神流の火(十三)

「――万里彩まりあ。あなたは、初めて〈ほし〉をたときのことを覚えていますか?」

「え……?」

 万里彩は、神流かみるからの唐突な質問に虚を突かれ、思わず生返事なまへんじを浮かべた。尊敬する大先輩である神流に対し、普段ならば決して取らない反応。だが、状況が状況だ。

 悪魔がその本性を露わにし、絶大無比としかいいようのない力を発揮している最中。

 荒れ狂う星神力せいしんりょくが強大な重力場となり、黒禍こっかの森の魔素という魔素を引き寄せているこの状況下で交わす話題ではない。

 絶体絶命の窮地きゅうちに等しい。

 そんなことは、神流も理解しているはずだが。

 星髄せいずいに至った星象現界、その星装せいそうによって異形の悪魔と化したベルフェゴールは、じっと、こちらを見ていた。どす黒くも血なまぐさい紅い瞳。燃え滾る怒気どき殺意さついに満ちた視線は、星将たちの一挙手一投足をも見逃すまいという意志の現れに違いない。

 先程までの気怠げな態度は、どこにも見当たらない。

「わたくしは、覚えています。ええ、覚えていますとも」

「神流様?」

「……そして、わたくしは、今日、この日のためにこそ、〈星〉を視たのだと確信しました」

「なにを……」

 神流の視線は、ただ真っ直ぐに、ベルフェゴールへと注がれている。その異形の巨躯がわずかに屈んだかと思えば、つぎの瞬間、神流たちの頭上へと移動した。律像りつぞうが瞬き、数多あまたの魔力体が降り注ぐ。星神せいしん魔法による絨毯爆撃じゅうたんばくげき。だが、神流は反応している。銃神戦域オールガンズアルカディアが、自動的に迎撃したのだ。

 全銃砲火器が唸りを上げ、魔力体を撃ち落としていく。

 魔力体と魔力体の激突によって起こるのは、超爆発。凄まじいまでの余波が破壊の嵐となり、万里彩が神流を引っ張ってその場を飛び離れていなければ、それだけでずたぼろになっていたのではないかと思うほどだ。

「忘れもしない。わたくしが〈星〉を視たのは、総長閣下に弟子入りを志願したときのことです」

「神流様……!」

「聞いてください、万里彩。これは、わたくしの遺言ゆいごんなのかもしれないのですから」

 万里彩は、その瞬間に見せた神流の微笑びしょうがいつになく透き通っていることに気づき、絶句した。神流が突如として語り始めたこともそうだったし、話の内容も、そうだ。なにもかもが、万里彩に覚悟をさせる。

 いや、違う。

 神流だ。

 神流が、覚悟を決めている。

 命をす覚悟を。

 それほどの相手だということは、わかりきっている。こちらの勝ち目は限りなく薄い。ベルフェゴールをたおす方法は、ただひとつ。幸多こうた異能いのうだ。幸多の異能だけが、悪魔を滅ぼす可能性を持っている。だがしかし、その彼は、ベルフェゴールの触手の棺に囚われているのが現状だ。

 まず、幸多を解放しなければならないのだが、そのためにもベルフェゴールの攻撃を耐え抜かなければならない。

 変異した悪魔は、先程までとは打って変わって、息もかせぬ猛攻をしかけてきている。

「遺言。遺言か。さすがに戦力差を理解したようだな。だが、それでどうなるものでもあるまい。我が堕獄だごくに落ちるだけのことだ」

 ベルフェゴールは、神流と万里彩に殺到さっとうしたかと思うと、その頭上で翼を開いた。三枚六対の巨大な翼。その飛膜に浮かび上がったのは、複雑怪奇な紋様。律像である。

「おれはベルフェゴール。〈怠惰たいだ〉を司りし、〈七悪しちあく〉が一柱いっちゅう。そう、おれは、〈七悪〉になるべくして生まれたのだ!」

 ベルフェゴールの叫びは真言しんごんであり、律像が瞬いた。まるで星々の輝きの如く。

 そして、物凄まじい重圧が星将たちを飲み込んだ。


「――それは、違うかな」

 アザゼルは、一笑いっしょうす。

 無明むみょうの暗黒、その深淵しんえんに、彼はただひとり、在った。つい先程まで〈七悪〉たちと観戦していたのだが、いまや彼は、いつものようにひとりになっていた。それが彼なのだから、だれも気にはしないだろう。

 〈七悪〉の中でもっとも孤立しているのが、彼だ。

 アザゼル。〈嫉妬〉を司る悪魔。

 頭上にうずたかく積み重なるのは、闇。ただの闇だ。それは遥か無限の彼方まで続いており、一切の救いもなければ、希望など存在し得ない。

 そんな領域。

 闇の世界ハデス、その七つに分かたれた領域のひとつであり、だれもが立ち入ることを許可されていない場所。

「まあ……七つの大罪ならば、〈怠惰〉の居場所はあったかもしれない。けれど、〈七悪〉は、違うんだよ」

 アザゼルの手が、棺に触れる。

 彼が腰掛けているのは、真っ黒な棺だ。この無明の暗黒よりも昏く、黒いそれは、禍々しい装飾が施されていて、とてもではないが、死者を弔うためのものには見えなかった。

「可哀想なベルフェゴール。アーリマン辺りにでも唆されたんだろう。サタンがそのような真似をする理由がないもの」

 アザゼルは、黒環こくかん越しにベルフェゴールが星域せいいきを展開する様を見ていた。広域に及ぶ彼の支配域。〈怠惰〉を司る悪魔に相応しい結界であり、それを構築した以上、星将たちに勝ち目はあるまい。

 だが。

「きみは、〈七悪〉にはなれない。残念ながら、〈七悪〉に〈怠惰〉の座はないんだよ」

 アザゼルは、冷ややかに告げる。

「最後の座に生まれちるのは、きっと、彼女だ。彼女こそが、彼の絶望に相応しい。サタンもそれを理解しているし、だからこそ、〈怠惰〉の座を破棄したんだろうね」

 棺を撫でながら、アザゼルは、告げた。

「そう……大いなる計画は、失敗した」

 立ち上がり、棺を見下ろした彼は、目の前を覆う黒環に触れた。頭部を覆うようにして回り続ける黒い環、その表面に青白い燐光りんこうが走る。すると、黒環が変形し、その涼やかな目元がはっきりと現れた。

 それによって明らかになるのは、白銀の熾天使してんしメタトロンと瓜二つな顔であり、アザゼルは、その口元を歪め、笑みを浮かべた。

「そして、結局、よすがすがるしかないのが、幻魔の幻魔たる所以ゆえんなのかもしれないね」

 酷薄こくはくな、しかしどこか儚さを感じさせる微笑を。


(これは……!?)

 万里彩は、ベルフェゴールの双眸そうぼうが赤黒く輝く様を目の当たりにして、はっとした。頭上に飛来した悪魔が、つぎの瞬間に目の前に降り立ったのだ。三対の翼が最大限に開かれたのは、一瞬。つぎの瞬間には、広大な星域せいいきが展開されている。

 それはどす黒い瘴気の渦であり、万里彩の意識を塗り潰すかのような重圧を持っていた。

 その星域が持つ力が一体どのようなものなのか、瞬時に理解できた。

 悪魔の拳が万里彩の胸元に激突したにも関わらず、万里彩自身が一切反応できなかったのだ。反応したのは、星装。木花開耶姫このはなのさくやひめ花弁はなびらが咲き誇り、ベルフェゴールの拳を絡め取って、衝撃を限りなく和らげたのである。

 木花開耶姫は、特に防御能力の高い星装である。全身あらゆる箇所に多種多様な花々が息づいており、万里彩の意識とは無関係に反応し、対応する。

 だが、万里彩がその事実を認識できたのは、ベルフェゴールの追撃が無数の蔓によって編み上げられた防壁に受け止められたときだった。

 意識が、鈍い。

「なるほど」

 ベルフェゴールは、足に絡みついてきた蔓を風の刃で切り捨てると、即座に飛び退いた。弾丸の雨が、ベルフェゴールの残像を撃ち抜く。銃神戦域の銃撃。

 神流が反応したのは、それからだ。

 万里彩の背後からベルフェゴールを狙うものの、悪魔の動きが早すぎて、狙いを定めることもままならない。先程までとは比較にならないほどの速度の差。ベルフェゴールの星域の影響に違いないが、だとすれば、非常に厄介だ。

「神流様」

「……ええ」

 神流は、万里彩の声が低くくぐもっているように聞こえたことで、確信を得た。万里彩の動作そのものが、鈍くなっている。

 無論、神流もだ。

 ベルフェゴールに追いつけないのも、反応できないのも、すべて、相手の星域の影響下にあるからだ。

 ベルフェゴールの星域は、星域内にいる対象を鈍重にする能力を持っているのではないか。

 動作だけではなく、感覚も、思考も、なにもかもを鈍く重いものにしているのだとすればとんでもなく強力だが、しかし、星髄せいずいに至ったというのであれば、それくらいできて当然かもしれない。

 星髄に至るとはつまり、己が〈星〉を完全に理解するということなのだから。

(わたくしは……)

 神流は、鈍い思考の中で、考える。

 ベルフェゴールだけが全力を発揮しうる結界。ベルフェゴールの世界。

 堕獄。

 意識も思考も感覚も、なにもかもが酷く鈍化し、重く沈んでいく。

 神流の覚悟すらも、魂をも捉える重力場に引き摺られ、堕ちていくかのようだった。


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