第千二百七十一話 神流の火(六)
幸多の鏡像に異変が起こったのは、幸多が動いた瞬間だった。
星将とその星象現界すらもほとんど完璧に近く再現された、堕落せよ我が世界によって生み出された鏡像たち。幸多の鏡像もまた、身に纏う闘衣、鎧套に至るまで再現されていたし、その双眸から青白い燐光が漏れていた。情報子と魔素の摩擦によって生じる火花。そしてそれは幸多の全身を巡る情報子の輝きであり、蒼煌練気の光だ。
幸多は、どうにかして鏡像を突破し、ベルフェゴールに辿り着かなければならず、おもむろに飛び出したのもそのためだった。蒼煌練気の輝きが、青白い燐光が、鋭い尾を曳く。
すると、当然のように鏡像が反応した。
鏡像が、反撃だけを行うように設定されているらしいということは、星将への対応からも明らかだ。幸多が攻撃する意志を持って動いたから、鏡像もまた、反応した。その反応は、やはり素早い。蒼煌練気によって引き上げられた身体能力は、通常の数倍から数十倍――。
そして、幸多の鏡像は、幸多の眼前に立ちはだかった瞬間、全身が泥のように崩れてしまった。肉体も闘衣も鎧套も、なにもかも。青白い火花を撒き散らしながら、消滅していく。
「え?」
「あ……あー……」
幸多が驚くと、ベルフェゴールも目をぱちくりとさせた。反応は鈍いが、愕然としているように見えなくもない。
「なるほど……さすがは特異点……完全無能者……」
「……そういうことか」
ベルフェゴールの発言によって、鏡像が崩壊した理由を悟った幸多だったが、立ち止まりはしなかった。ソファに寝転がっている悪魔に向かって、飛びかかる。すると、無数の火線が進路を塞いだ。神流の鏡像、その星象現界・銃神戦域が牙を向けてきたのだ。。
幸多を直接狙うのではなく、その進路上を銃撃したのは、そうでもしなければ捉えきれないと判断したからか。
さらに大量の水塊が頭上から降り注いできて、視界を埋め尽くしたために後退を余儀なくされる。こちらは、万里彩の鏡像の星神魔法。
銃撃、砲撃、爆撃――攻撃特化の星域である銃神戦域が敵に回った挙げ句、万里彩の鏡像も木花開耶姫によってその戦闘能力を極限に引き出している。
幸多の鏡像こそ崩壊したものの、それで戦況が好転したようには思えなかった。
「星象現界すらも再現する星象現界、か」
「アーリマンの星象現界も、星象現界を再現していましたわね」
「はい」
「使用者すらも鏡像として再現するベルフェゴールの星象現界のほうが厄介といえば厄介ですが……しかし、〈七悪〉に成ることを目標としているような、悪魔の末席に加わったばかりであろうものの星象現界が、アーリマンと同等かそれ以上のものであるとは考えにくいでしょう。アーリマンを陵駕する能力の持ち主ならば、最初から〈七悪〉に加えているはず」
神流は、この状況においても極めて冷静に判断しつつ、己が星域の火砲を前方に集中させた。破壊的な弾幕が、鏡像の一斉射撃と激突し、爆砕の連鎖が引き起こされる。立ちこめる爆煙が三人の視界を覆い尽くすまで、時間はかからない。
「葵渦」
万里彩も、鏡像に対抗するべく星神魔法を発動、星神魔法同士の衝突によって生じるのは、物凄まじい余波。
それら余波をも相殺するのが、万里彩の力だ。星装から咲き乱れる水の花弁が、堅牢なる魔法壁となって幸多たちを護っている。
「神流様の仰るとおりならば、どこかに欠点なり弱点なりがあるに違いありませんわ!」
「そんなものは……ない……。だから……観念して……死ぬがいい」
「なにを馬鹿げたことを」
「ほう……」
ベルフェゴールが思わず声を上げたのは、彼の眼前に神流たち三人が出現したからだ。中心には、幸多。皆代幸多が、両腕で二星将を抱き抱えていた。
爆砕の連鎖は、途切れることなく続いている。つまり、鏡像は、銃神戦域の集中射撃に対抗しているのであり、神流たちは、爆煙に紛れるようにして、ベルフェゴールへと急接近したのだ。
そして、それを成し遂げたのが、幸多だ。幸多の全速力が鏡像すら感知し得ない速度を発揮した。
「やはり鏡像は所詮鏡像。わたくしたちの表面的な能力を再現できても、内面は、思考までは再現することなど不可能」
「ましてや、あなたと戦っているのがわたくしたち三人だけではないのですものね」
「その通り!」
幸多は、拳を握り締め、ベルフェゴールと対峙した。
幸多が神流と万里彩を抱き抱えるようにして飛び出したのは、独断でもなければ、神流たちの作戦でもなかった。作戦司令室からの提示された作戦のひとつであり、神流と万里彩がその作戦を採用したがため、幸多はこの上ない緊張を強いられたのである。
神流と万里彩に触れるのだ。緊張しない理由がない。
だが、作戦は、上手くいった。
神流と万里彩の猛攻が目眩ましとなり、ベルフェゴールを眼前に捉える距離へと至ったのだ。ゆったりとした、座り心地、寝心地抜群のソファは、どう見たところで戦闘向きではない。
「幸多。この戦いの要は、あなたです。それは、ここからも変わりません」
「そうですわ、皆代輝士。いまやあなたをたかが輝光級と侮るものなどいません。わたくしたちが、その証明となりますもの」
「はい!」
「あー……勝手に盛り上がってるところ悪いけどさ……」
ベルフェゴールが、なぜか、バツの悪そうな顔をしてきたものだから、幸多たちは、違和感を覚えた。なぜ、悪魔がそのような表情をするのか。幻魔の中でも鬼級ともなれば極めて個性的であり、様々な人格を持ち、考え方や在り方もそれぞれだ。しかし、人間に対し気の毒そうな態度を取るというのは、どういう了見なのか。
しかも、ベルフェゴールは、星将を殺すため、ここに現れたはずだ。
「周りを見なよ」
「……これは」
いわれるまま視線を巡らせた幸多が愕然としたのは、ソファを中心とする全周囲に無数の鏡像が現れており、幸多たちを包囲していたからだ。鏡像は、神流と万里彩のものばかりであり、幸多の鏡像は一体としていない。
「これこそ……おれの星象現界……その本領だ……。さて……どうする……?」
気怠げな、そして、気の毒そうな態度の悪魔に対し、神流と万里彩の決意は変わらない。互いに目線を交わしたのは一瞬。つぎの瞬間には、ふたりは同時に攻撃に転じており、既に幾重にも構築されていた律像が星々の輝きを帯びた。
「大爆殺!」
「大海薔薇」
ふたりが繰り出したのは、全周囲攻撃用の攻型魔法である。
神流を中心とする超広範囲を巻き込む大爆発と、万里彩が巻き起こす黒く輝く大洪水は、三人を取り囲む無数の鏡像を瞬く間に飲み込み、双極属性の反発によってさらなる破壊の連鎖を引き起こしていく。破壊に次ぐ破壊。爆砕に次ぐ爆砕。大破壊としか言いようのない超現象の中、幸多は、ベルフェゴールに肉迫している。
それまでソファにその身を任せきっていた悪魔が、思わず飛び退いたのは、幸多がおもむろに駆け寄り、その顔面を殴りつけようとしたからだ。青白い燐光を放つ打撃。直撃を受ければ、堪ったものではない。
ただの鬼級幻魔ならばまだしも、ベルフェゴールは、悪魔なのだ。
幸多と相対した瞬間、悪魔ならではの不死性、不滅性は、悪魔が故の欠点にして弱点へと変わった。
「いきなりとは……随分と御挨拶だな……」
「なにをいまさら!」
幸多は、憤然と言い返し、ベルフェゴールのソファを貫いた手を引き抜いた。飛び退く。頭上に飛び上がったベルフェゴールが、黒い魔力体を降り注がせたのだ。それはソファを直撃し、粉砕する。
「襲いかかってたのは、そっちだろ!」
「おれは星将を殺しに来たんだ……おまえじゃない……」
「神流様も万里彩様も殺させるものか!」
「……剣呑だなあ……」
ベルフェゴールは、幸多の剣幕にあくびすら漏らした。星象現界は維持したままであり、鏡像は際限なく増え続けている。だが、それらを圧倒しているのが星将たちであり、鏡像の一体たりとも幸多に近づかせまいとしている。
数を増やした結果、一体一体の能力が極端に落ちているからだ。
「やはり……二体に絞るべきか……?」
そうすると、今度は先程のような戦術で虚を突かれかねない。
鏡像は、万能ではない。
不意に、幸多の姿が消えた。青白い燐光がわずかに残り、その動きでどこに向かったのかを認識する。背後。振り向き様、ベルフェゴールは、暴風を巻き起こした。幸多を視界に捉えた瞬間、その全身をずたずたに切り裂き、吹き飛ばす。
幸多は、全身から血を噴き出しながらあらぬ方向へと飛んでいった。
「……まだ……使いこなせてはいない……か」
ベルフェゴールは、星将たちに視線を戻し、その星神魔法の破壊力に感じ入るような素振りを見せた。




