第千二百六十九話 神流の火(四)
「あー……」
ベルフェゴールの視界に煌めいたのは、青白い燐光。あまりにも儚く、一瞬にして消え入るような、けれども確かに存在する光。この世界を、この宇宙を根幹から支えるもの。
情報子。
それは、神流の導衣から漏れ出たかと思うと、渦を巻くようにして一点に収束、輪郭を帯び、ひとの形を成していく。
そして、空間転移を終えた人間が、ベルフェゴールを睨み付けてきたものだから、彼はうんざりするほかなかった。
闘衣、鎧套と呼ばれる武具に身を包んだ人物。褐色の瞳の奥に青白い燐光が瞬き、その体内を情報子が力強く脈打っていることは明らかだ。特異点が特異点たる異能を発揮している。人間にはおこがましく、だが、彼には相応しい能力。
情報子制御能力――戦団曰く、源理の力。
手にしているのは、刀。時代遅れも甚だしい通常兵器は、しかし、幻魔にも通用する最新兵器である。
悪魔には、まったく意味を為さないが。
「皆代……幸多……」
ベルフェゴールは、その人間のことをよく知っている。魔軍、いや、〈七悪〉がもっとも重要視する人間だ。
特異点。
または、大特異点。
この世界に変革をもたらしうるもの。
『転移魔法も必要ないなんて、とんでもないわね。本当』
「結構大変なんですよ、これでも」
『ええ。わかっているわ。でも、本当に大変なのは、ここからよ』
「はい」
それも、わかりきっている。
幸多は、イリアの言にうなずきつつも、ベルフェゴールというらしい悪魔、その姿を凝視していた。
イリアから通信があったのは、地霊の都で繰り広げられる幻魔との激戦の最中だった。
黒禍の森に悪魔が出現したというのだ。星将二名が対応中だが、勝ち目などあろうはずがないというのがイリアの見解だった。ただの鬼級幻魔ですら星将二名では分が悪い。その場合、副長や杖長を含め、全戦力を結集させれば、どうにかなりえたかもしれないが、しかし、現実はそういうわけにはいかない。
状況が許さない。
地霊の都もそうだが、黒禍の森も、雷魔将トールの星域に飲まれ、荒れ狂う稲光に曝されていたのだ。星神魔法に匹敵する稲妻から身を守るのに精一杯で、鬼級幻魔に対応するべく、戦力を結集している場合ではなかった。
しかも、悪魔だ。
ただの幻魔とは一線を画する存在であるそれらは、魔法で傷つけることはできても、斃すことができない。
星象現界を駆使しても、魔晶核すら残らないほどの攻撃を叩き込んでも、悪魔は、滅びない。一瞬にして、傷ひとつ残らず復元してしまう。元通りに。完全無欠に。
悪魔に通用するのは情報子を用いた攻撃だけであり、それができるのは、現状、幸多だけだった。
だから、イリアは、幸多に連絡を寄越したのであり、黒禍の森への転送を行おうとしたのだ。が、幸多は、特有の転移方法を用いることで、イリアの手を患わせなかった。
それは、己が肉体を構成する全要素を情報子へと分解し、通信機器とネットワークを介して目的地へと移動する方法である、以前、戦団本部から水穂市への長距離移動を一瞬で成し遂げたことがある。
今回の移動も一瞬だった。
一瞬にして神流の通信機から飛び出し、幸多の肉体を再構成した。肉体だけではない。幸多の身を包み込んでいた闘衣も、鎧套も、裂魔改すらも、完璧に再構築しており、不具合のひとつもなかった。
いくらでも替えの聞く武器や防具はともかくとして、体に問題がないことのほうが重要だ。肉体を構成する全要素の情報子への分解など、正気の沙汰ではない。失敗すれば最後、情報子となって世界に溶けてしまうのではないか――イリアが危惧を抱くのも無理からぬことだったし、幸多自身、恐怖心がないわけではなかった。
しかし、これまで何度となく挑戦し、成功させてきたのだ。
この緊急事態に用いないわけにはいかない。
幸多は、この源理の力を蒼転移と命名した。青白い燐光そのものとなり、空間転移に等しい長距離移動を行うからだ。
このように、幸多は、既にある程度は源理の力の使えるようになっている。
では、なぜ、幻魔との戦いで活用しないのかといえば、源理の力は対悪魔の力であり、悪魔がいつどこに現れてもいいように備えておく必要があるからだ。
源理の力は、負荷が凄まじい。
消耗はそれほどでもないのだが、反動が全身を襲ってくるのだ。
蒼転移だけならばまだしも、長時間に渡って源理の力を用いて戦い続けた場合、反動によって身動きが取れなくなる可能性が高い。万が一にも悪魔が現れたときに対応できなくなる。
そして今回、幸多の想定した事態に直面したというわけだ。
ベルフェゴールのどうにもだらけきったような態度が気に食わないが、そんな上っ面だけで相手の実力を判断してはならないことはわかりきっている。
相手は、悪魔。
鬼級幻魔なのだ。
本来ならば、幸多が敵う相手ではない。
だが、幸多は、源理の力をある程度扱えるようになったことで、戦団内における対悪魔戦力として数えられるようになっていた。というよりも、悪魔を斃すには、源理の力が必要不可欠であり、どう足掻いたところで幸多を頼みにするしかないというのが現状なのだが。
そして、幸多の戦闘能力はといえば、輝光級導士の中では最上位に位置するのだが、戦闘部全体を見た場合には、上位に入るかどうかというところだ。
それでは、鬼級幻魔とまともに戦えるはずもない。
では、どうするのか。
どうすれば、いいのか。
幸多は、ベルフェゴールに意識を集中しつつ、背後の星将たちを振り返った。
「神木軍団長、獅子王軍団長、ぼくも戦います! 戦わせてください!」
「もちろんです。幸多、あなたのその能力だけが頼みなのですから」
「神流様の仰る通りですわ。わたくしたちは、あなたを全力で支援して見せます。よろしくて?」
全力で頼み込んでくる幸多に対し、神流と万里彩は笑顔すら見せた。
鬼級幻魔との戦闘に輝士を加えるのは、通常ならばありえないことだが、悪魔が相手ならばそうはいってはいられない。悪魔には常識は通用しない。魔法力学の、理の外にいるのが悪魔ならば、こちらも理外の戦術を用いるのしかないのだ。
戦術・幸多、である。
相手が悪魔である以上、幸多の源理の力に期待する以外に方法はなく、故に、神流と万里彩は、瞬時に意識を切り替えた。
ベルフェゴールを斃すのではなく、幸多がベルフェゴールと戦えるように状況をを作るのだ。
「は、はい! 期待に応えられるよう、全力を尽くします!」
幸多は、二星将の反応を受けて、悪魔と向き直った。ベルフェゴールは、小首を傾げ、なにやらぶつぶついっている。
「皆代幸多……特異点……サタン様のお気に入り……ベルゼブブ様の宿敵……うん。魔風」
ベルフェゴールが軽く右腕を掲げ、手の先からどす黒い魔力体を放った。それは凶悪な風気の塊であり、飛翔しながら周囲の大気を掻き混ぜ、膨張、巨大な竜巻となる。そして、幸多に向かって直進するも、大量の銃撃を浴びて、敢えなく崩壊する。
撃ったのは、神流。神流の星象現界・銃神戦域は、ベルフェゴールの一挙一動に注目し、反応する。
その風の余韻を浴びながら、幸多はベルフェゴールへと突撃している。地を蹴り、飛び出したときには、全身の細胞が熱を帯びていた。
源理の力・蒼煌練気。
全身の情報子を呼び起こすだけでなく、全力で稼働させることにより、身体能力を極限まで引き出す技だ。この状態の幸多は、星象現界を発動した美由理とも対等に殴り合えるのだから、鬼級幻魔にだって、悪魔にだって、攻撃を叩き込むことができるはずだ。
事実、幸多は、既に眼前にベルフェゴールを捉えていた。ベルフェゴールの気怠げなまなざしは、変わらない。水流が悪魔の足に絡みつき、銃撃が翼を貫く。
「いくらなんでも多勢に無勢じゃないか……?」
「悪魔がよくいうよ!」
幸多の大刀がベルフェゴールを袈裟懸けに切り裂くも、切り口から噴き出した風圧が幸多を吹き飛ばす。そして、傷口があっという間に塞がるのを認める。幸多は、花弁の如き水の壁に受け止められる。万里彩の魔法だ。
この戦場は、膨大な火気と水気に満たされており、星将たちの一挙手一投足が、そのまま強力無比な魔法となる。
いわゆる、星神魔法と呼ばれる代物だ。
星神力によって繰り出される魔法は、通常の魔法の何倍、何十倍もの威力を誇るという。
それほどの魔法を叩きつけてもなお、鬼級幻魔は滅び去らない。
悪魔ならば、なおさらだ。




