第百二十六話 初任務・草薙真の場合(三)
爆音とともに吹き飛んだのは、ごく普通のありふれた家屋だった。央都四市のどこでも見られるような合成金属製の建材を用いた建物。その壁が、屋根が、その他もろもろが吹き飛ばされ、濛々たる爆煙が舞い上がる中、地響きにも似た咆哮が鼓膜に突き刺さるかのように響き渡る。
大気を突き破り、掻き混ぜ、吹き荒ぶ。
それは魔力の奔流であり、幻魔の力そのものだ。
「こちら御蔵小隊、幻魔災害の発生を肉眼で確認。これより討伐行動に移行する」
御蔵健彦は、即座に通信機越しに作戦司令室に報告すると、隊員たちを顎でしゃくった。
「各員、警戒!」
「了解!」
「了解!」
「了解」
真は、三人の隊員たちを真似るようにしていうと、家屋の残骸が吹き飛ばされていく様を見ていた。大気の渦が家屋を構成していた建材や、家屋の中にあったのであろう様々なものを空高く舞い上げていく。
暴風が、渦巻ているようだ。
真たちの携帯端末もそうだが、そこら中から幻魔災害の発生による警報音が鳴り響いていた。不快感すら覚えるほどの金切音。しかし、それほどまでに強烈な印象を与えるような音でなければ、警報にはならないのだ。
そして、周囲の人家はといえば、沈黙している。それはそうだろう。
幻魔災害が発生しているというのに、家の外に出てくる愚か者はいない。
元々外にいたのであれば避難場所に向かって逃げ惑うのもわからなくないが、家の中にいるのであれば、わざわざ外に出て、危険な目に遭う可能性を増やすなど、ありえないことだ。
央都の建築物は、市内各所に存在する避難所へと通じる地下通路への出入り口を設置することが義務づけられている。あらゆる建物がそうだ。民家の一つ一つにもそうした出入り口があるのだ。
だから、在宅中の市民は、幻魔災害警報が鳴り響いても、外には出てこない。自宅から地下通路へ、地下通路から避難所に向かうからだ。
そうした都市構造は、この葦原市を始めとする央都四市が計画的に開発されたことを証明している。
央都開発時にこそなかった幻魔災害が、いずれ頻発する可能性があるということは、わかりきっていたからだ。
火を見るより明らかだ。
将来、何百万、何千万という数に人口が増えた暁には、毎日のように幻魔災害が起こる可能性は極めて高い。確定事項といっていい。
そうした遥か未来を見据えた上で、央都の開発が計画された、といわれている。
道幅が広く、建物の高度制限が設けられているのも、幻魔との戦闘を考慮した結果だ。幻魔災害の二次被害、三次被害を極力減らすことを念頭に置いて、央都の開発は進められた。
「魔素質量から妖級下位と断定された。気を引き締めろよ!」
作戦司令室からの報告を受けて、御蔵が警戒を呼びかけたときには、幻魔の全容が明らかになっていた。
巨人だった。
身の丈五メートルほどはあろうかという巨躯を誇る人型の幻魔。全身が翡翠のような透き通った緑の結晶体で覆われているように見えるのは、幻魔の外骨格たる魔晶体のせいだろう。魔晶体は、超高密度の魔力の結晶と言われている。
その翡翠色の巨人は、二本の足で立ち、二本の腕をだらりとぶらさげている。猫背気味で、頭は大きく、真っ白な頭髪が吹き荒れる風によって激しく揺らめいていた。
双眸は赤黒く輝き、こちらを睨みつけているかのようだ。
風魔人。
同種の妖級幻魔・炎魔人が炎の化身ならば、ジンは嵐の化身と呼ぶに相応しい幻魔だ。
「初任務だ、気負わなくていい。きみは、おれたちの戦いを見ていればいいのだからな」
御蔵が真にそう告げると、真っ先に動いたのは、五位ノ池だった。彼は、ジンの巨躯に向かって敢然と挑みかかり、その攻撃を誘った。
ジンが雄叫びを上げ、五位ノ池に向かっていく。そのずんぐりとした巨躯からは想像もつかないほどの速度でもって、五位ノ池に肉薄し、拳を振り上げる。五位ノ池が両手を掲げ、叫んだ。
「衛防盾!」
真言とともに、五位ノ池の前方に巨大な魔法の盾が出現し、振り下ろされた巨拳を受け止めた。衝撃が轟音となって響き渡る。
そこへ、御蔵とルウが同時に攻撃を仕掛けた。
「八百壱式黒断斧!」
「参百弐式空破弾!」
御蔵が五位ノ池の頭上で闇の大斧を振り抜けば、離れた距離からルウが球状に圧縮した空気の塊を撃ち放つ。闇の大斧がジンの右腕に食い込み、空気弾がそれを後押しした。巨大な腕が一瞬にして千切れ飛んでいく。
真は、五位ノ池と御蔵、そしてルウの見事なまでの連携を目の当たりにして、彼らへの評価を改めた。さすがは輝光級導士率いる小隊だと認めざるを得ない。
だが、幻魔は、それだけで動きを止めるわけもない。右腕の切断面から血液のように魔力を垂れ流しながら、怒りの声を上げ、左腕を振り上げる。
すると、突風が巻き起こって、御蔵と五位ノ池の二人を同時に吹き飛ばした。
「六拾参式精霊手!」
日吉紗奈が魔法で生み出した巨大な掌が、吹き飛ばされるさなかの御蔵と五位ノ池を受け止め、事なきを得る。しかし、二人とも全身傷だらけになって、血まみれだった。
ジンは、怒り狂ったように咆哮を発し、自身を中心とする竜巻を起こしていた。強烈な風圧が全周囲に存在するものを尽く吹き飛ばしていく。地面がえぐれ、周囲の家屋が破壊されていく。このままではかなりの広範囲に被害が及ぶことになりかねない。
「下位とはいえ、さすがは妖級だな」
「一筋縄ではいかないね」
五位ノ池とルウがそれぞれに感想を漏らす中、真は、練り上げていた想像を具現するべく、口を開いた。
「七支霊刀」
真の真言とともに、軽く翳した右手に炎の剣が出現する。刀身が七つに枝分かれした、いわゆる七支刀と呼ばれる形状の刀剣。さながら燃え盛る炎のようだ。
それは、対抗戦決勝大会の幻闘で用いた擬似召喚魔法・七支宝刀に似ているが、まったく異なるものである。
まず、七支霊刀は、擬似召喚魔法ではないというところからして、大きく違う。
真は、吹き荒れる竜巻の真っ只中から、ジンの赤黒い巨大な目がこちらを凝視するのを認めた。
幻魔は、魔力を欲する。魔力を欲し、人間を襲う。人間が死ねば、莫大な魔力を生み出すからだ。その魔力を摂取することこそ、幻魔にとっての至上の喜びなのだろう、と、考えられている。だから人間を見れば襲わずにはいられないのだし、人類の天敵と呼ばれるほどに人間を殺してきたのだ。
ジンがいままさに真に狙いを定めたのも、そのためだ。
この場に存在するもっとも魔力密度の高い存在、それが彼の手にしている七支霊刀だからにほかならない。
真は、それを承知で、魔法と発動させた。
「お、おい、待て」
御蔵は、勝手な行動を取ろうとする真を制止しようとしたが、真の耳には聞こえていなかった。真は、ジンだけを見ていた。ジンの巨躯を覆うように吹き荒ぶ魔力の奔流、その竜巻を見据え、地を蹴った。
真が空中高く飛び上がれば、ジンが雄叫びとともに左腕を振り上げる。吹き荒れる竜巻が収束し、一匹の龍の如く真に襲いかかった。
「まじかよ」
「衛防盾!」
透かさず五位ノ池が防型魔法を発動させ、真の前方に魔法の盾を具現させた。魔法の盾が竜巻を受け止め、破壊的な音を拡散させていく。
その最中にあって、真は、七支霊刀をジンに向かって振り翳していた。
七つの切っ先が火を灯し、強烈な閃光を発する。瞬間、七本の熱光線が様々な軌道を描きながら風魔人の巨躯に突き刺さっていくと、次々と炸裂し、爆散していった。
七支霊刀は、七支宝刀を大幅に改造した魔法である。改良とはいえないのは、七支宝刀と七支霊刀は全く別種の魔法だからだ。
七支宝刀は擬似召喚魔法であり、自由自在に動き回り、自動的に攻撃してくれるという極めて大きな利点がある。その分取り回しが悪い上、発動までに多大な時間と魔力を必要とするという難点もあった。
一方、七支霊刀は、発動までに必要な時間も魔力も七支宝刀と比較するまでもなく少なくて済むのだが、手に持っていなければならないという違いがある。
威力も、精度も、範囲も、七支宝刀の方が遥かに高い。全てにおいて高水準なのが、七支宝刀なのだ。
が、ジンを倒すには、七支霊刀でも十分だったようだ。
無数の熱光線がジンの巨躯に殺到し、爆撃を繰り返す。ジンの咆哮が嵐を呼び、周囲に凄まじい被害をもたらすのだが、それも長くは続かなかった。
やがて、爆撃の中でジンの巨体がぐらりと揺れた。
真は、ゆっくりと崩れ落ちていく翡翠色の巨躯を見下ろしながら、七支霊刀を構え続けた。ジンが倒れていくのは、七支霊刀の熱光線が魔晶体を突き破り、さらに魔晶核を貫いたからだ。ジンは、二度と動き出すことはない。絶命したのだ。
そこまで確認して、ようやく魔法を解除する。
「きみ、本当に新人か?」
「凄いね、物怖じもしないどころか、妖級幻魔を圧倒するなんて」
「でも、隊長の命令には従って欲しいものね?」
地上に降り立った真は、御蔵小隊の面々に囲まれて、口々に様々なことを言われた。
彼は、そうした言葉を聞き入れながら、反省点を思い浮かべつつも、自分の魔法が確かに通用したという事実を認識し、手応えも感じた。
自分も、いつかは伊佐那麒麟のようになれるだろうか。
彼が考えるのは、いつだってそれだった。