第千二百六十七話 神流の火(二)
突如、嵐が起こった。
それも類い希なる大嵐である。
それは、式守姉弟が大得意とする合性魔法、四天招来・嵐王の発動によって生じたものだとすれば、あまりにも大規模すぎた。威力も、精度も、範囲も――魔法を構成するすべての要素が、想定の数倍、いや、数十倍以上なのではないかと思えるほどのものだったのだ。
式守姉弟の全周囲を掻き混ぜ、大気を引き裂き、結晶樹を薙ぎ倒し、稲妻の雨すらも飲み込み、幻魔の大群を吹き飛ばす。
「これは……」
「春ちゃん、凄い!?」
「さっすが春姉! ぼくたちの知らない間にとんでもない魔法技量になってる!?」
「そんなわけないだろ」
吃驚するあまり混乱さえしている冬芽と秋葉に対し、夏樹は、極めて冷静な態度で訂正した。
式守小隊は、姉弟で小隊を組んでいる。任務は無論のこと、日常的な訓練も生活も常に行動をともにしており、長時間離れるということがない。そのことに窮屈さを覚えることもなければ、鬱陶しさを感じることもないからのが、この四姉弟の特徴といえば特徴かもしれない。
たとえ肉親であっても、半身の如き兄弟であっても、年がら年中、いつ如何なる時も一緒に行動するようなことになれば、耐えられるものでもないのだという。
とりわけ仲の良さが知られている導士兄弟たちに聞いてもそうらしいのだから、夏樹たちが特殊なのだろう。
そんな夏樹たち式守姉弟の中で、春花だけ隠れて訓練をするなど、ありえないことだ。
夏樹は、神流と師弟関係を結んでいるということもあって、ときに姉弟と離れて修行することもあるのだが、しかし、春花はそうではない。
春花は、秋葉、冬芽の面倒を見るという重要な役割も持っているのだ。ふたりの知らない間に魔法技量が増していることなど、断じてなかった。
では、これはなんなのか。
四天招来・嵐王は、万能型の合性魔法だ。攻防補、あらゆる型式の魔法を自在に制御し、駆使する。攻撃に特化させれば、生半可な攻型魔法を遙かに上回る力を発揮しえたし、防型、補型も同様だった。
だが、発動の瞬間の嵐王がこれほどまでの破壊力を発揮したことなど、これまで、一度だってなかった。
春花の反応からも、想定外の事態だということは明らかだ。
霊級、獣級は無論のこと、妖級幻魔フェアリーやピクシーの魔晶体すらも容易く切り刻み、あるいは両断していく暴風は、やはり、ただの四天招来・嵐王ではない。
それ以上に。
「これは、星象現界だ」
夏樹が告げると、春花たちは、彼を見た。そしてその目線を追う。夏樹の目は、四人の頭上に向けられていたのだが、そこには、虹色の翼を持つ大型の猛禽が、その物々しくも美しい姿を見せつけるようにして浮かんでいた。幻魔などではないことは、一目でわかる。
星霊だ。
「星霊……わたしの?」
「春ちゃん、星象現界、使えたんだ!?」
「さっすが春姉、ぼくらの知らないところで――」
「その流れはさっきやっただろ」
「えー」
「いいじゃーん」
「ふう……」
夏樹は、秋葉と冬芽が頬を膨らませるのを無視し、周囲に目を向けた。渦巻くのは、莫大な魔力。だが、ただの魔力ではない。超高純度のそれは、星神力《せいsんりょく》と呼ばれるものであり、虹色の鳥から放たれ、圧倒的な破壊を巻き起こしている。
その結果、幻魔がこちらに殺到してきたのは、当然だろう。
星象現界が生み出すある種の重力場が、幻魔を引き寄せている。引力。星霊の持つ莫大な星神力は、幻魔の習性や本能を刺激するのだ。
「星象……現界……わたしが――」
春花は、にわかには信じがたい事態に直面し、衝撃と混乱の中にいた。だが、吹き荒ぶ暴風と、飛来する数多の魔法が、彼女の意識を現実へと引き戻す。暴力的に。破壊的に。
戦場のただ中。
呆然としている暇などなければ、感慨に耽っている余裕などあろうはずもない。
「やるわよ、嵐王!」
「名前、そのままなんだ?」
「なんかもっといーのつけよーよ」
「そういうのはあとでいいだろ、あとで」
「えー」
「つまんなーい」
「そんな場合じゃないでしょ!」
春花は、弟妹たちの不満顔を振り切り、星霊の制御に意識を集中した。全身から満ち溢れるのは、星神力。四天招来の発動は、膨大な魔力を伴うものだ。四人の魔力を重ね合わせているのだから、当然だろう。今回も、そうだと思った。
だが、いまならばわかる。
この身に溢れる魔力が、常とは異なるものであり、極めて強大で、意識を席巻していくほどのものだということが。
虹色の翼を持つ猛禽は、美しくも獰猛なまなざしを幻魔たちに向けている。翼を広げ、嵐を起こし、幻魔の猛攻を打ち払い、幻魔の大群を吹き飛ばしながら。
操るは、風。
この黒禍の森に満ちる風気を支配し、制御し、暴走させ、破壊を紡ぐ。
四天招来ではなく、星象現界。
つまり、これは、春花個人の魔法だ。
夏樹は、冬芽に目配せし、防型魔法を使わせると、自分は秋葉とともに攻手としての役割を果たそうとした。
そのときだ。
前方、フェアリーの大群が布陣する森の狭間に、火の玉が降ってきた。遥か上空、雷雲を突き破って落下してきたそれは、フェアリーたちを巻き込みながら地面に衝突すると、凄まじい爆風でもって周囲一帯の土砂や結晶樹、幻魔の死骸を舞い上げていった。
「今度は、なんだ?」
夏樹は、火の玉の落下点に意識を傾けつつも、春花が幻魔を容易く撃破していく様を見ていた。春花の星霊は、彼女の命ずるままに暴風圏を拡大し、超広範囲に存在する数多の幻魔を撃滅していく。
春花の本来の役割は補手だが、星象現界を用いるというのであれば、攻手に回って貰ってもなんら問題ない。いま、春花は式守小隊の最高火力になっているのだから。
その破壊の嵐によって、隕石周辺に立ちこめていた爆煙が吹き飛び、隕石そのものを包み込んでいた炎も吹き消した。
見れば、巨大な岩塊だ。
「あれ、なに?」
「隕石?」
「だとすれば、もっととんでもない被害になっていだろうが」
見たところ、岩塊が破壊したのは、その周囲一帯だけであり、とても宇宙から飛来してきたものとは思えない。
いや、そもそも、隕石が降ってくるようなことがあれば、情報官からの警告があったはずだ。
そんなことを考えている間に岩塊に変化が生じた。岩塊の表面に亀裂が入ったかと思うと、急速に崩れ始め、内側に潜んでいたなにかがその姿を現し始めたのだ。
「式守小隊、下がりなさい」
「今すぐに!」
指示は、頭上から。
仰ぎ見ると、神木神流と獅子王万里彩の姿があった。ふたりとも星象現界を発動している。
神流の星象現界・銃神戦域は、空間展開型。広範囲に銃の結界を構築する星域は、いままさに式守小隊の周囲一帯、春花の暴風圏を飲み込んでいる。
一方、万里彩の星象現界は、星装。名を木花開耶姫。極彩色の花弁が無数に咲き誇る、幻想的にして神秘的な星装であり、それを纏う万里彩の姿は、女神そのものだ。
星象現界を発動しているはずの春花だが、ふたりとの厳然たる力の差を感じ取っていた。星象現界を開眼したからといって、即時即刻、星将に敵うはずがないことくらい火を見るより明らかだ。
「天津風……」
春花は、真言を唱え、嵐王が起こす暴風で弟妹たちを包み込んだ。命令に従うために。。
そして、そのころになると、岩塊が完全に崩れ去っていて、一体の怪物が姿を現していた。
人間に酷似した姿形をした幻魔。妖級以上は間違いないが、神流の記憶の中に類似した姿の妖級は存在しない上、その魔素質量から、鬼級と断定する。男性形の鬼級幻魔は、白地に大小無数の黒い斑点がある衣を身に纏っていた。ぼさぼさの黒髪の間から捻れた二本の角が飛び出していて、どうにも気怠そうな表情をしている。
やる気もなければ、覇気もない。
神流も万里彩も、そんな鬼級幻魔は見たことがなかった。
「えーと……なんだっけな……。まあ……なんでもいいか……うん」
それは、なにやらぶつぶつとつぶやくと、神流たちに目を向けた。血のように紅く、黒い目が、禍々《まがまが》しい光を帯びる。




