第千二百六十五話 星々煌めき、雷轟く(十五)
「照彦!」
瑞葉の叫びは、幾重にも鳴り響く雷鳴に掻き消され、爆光がその視界をも染め上げていった。
トールの雷鎚による、全身全霊の一撃。
いくら照彦の星象現界が防御に特化したものへと変じたとはいえ、ただでは済むまい――蒼秀ですらそう確信したのだが、しかし。
「なるほど。星髄に至るとは、つまり、こういうことだったんですね」
照彦の声が光の彼方から聞こえてきたかと思うと、次第にその光が薄れていき、姿が輪郭を帯びていく。照彦の眼前に銀河守護神の大きな手のひらがあり、雷鎚を受け止めていたのだ。
銀河守護圏と命名された星域は、銀河守護神が変じたものだ。そして、攻撃特化の銀河守護神が防御特化の銀河守護圏へと激変する中で、光の巨人そのものは必ずしも消滅したわけではないことは、明白だった。瑞葉や朝彦たちをトールの攻撃から守っていたのも、光の巨人、その体の一部だったのだから。
そして、いま、照彦をトールの渾身の一撃から護ったのもまた、光の巨人の一部――光り輝く巨大な両腕だった。
照彦の背後に銀河守護神の上半身があり、彼を包み込むようにして、護っていた。
防御特化の星域、その力を一点に集中したのである。
それによって、トールの星神魔法たる雷鎚から身を守ったというわけだ。
トールは、そんなことお構いなしに雷鎚を振り翳し、再度叩きつける。一瞬の連撃。直撃の度に雷光が爆ぜ、余波が戦場を掻き混ぜる。
照彦はといえば、むしろ、トールの猛攻に感謝すらしていた。トールが自分に攻撃を集中させるのであれば、銀河守護圏の力を分散させる必要がなく、自分以外の星将たちが攻撃に専念することもできよう。そして。
「図星のようです」
照彦が瑞葉と朝彦に視線を送ったときには、ふたりの星将は既に動いていた。照彦の無事を確認し、鉄壁の防御力を見せつけられれば、心配も吹き飛ぶというものだったし、彼の言葉とトールの反応を目の当たりにすれば、あの発言が核心を突いていたことは疑いようがない。
「おおおおおっ!」
トールの咆哮は、天から降り注ぐ雷鳴そのものだ。照彦に図星を衝かれたが故に、形振り構ってなどいられないとでもいうのか。それとも、星将たちの護りの要である照彦をこそ、真っ先に斃すべきだと判断したのか。
(きっと両方ね)
瑞葉は、胸中で告げると、眼前の新たな標的に意識を集中させた。蒼秀と雷霆神、九乃一が激闘を繰り広げる相手。城ノ宮日流子を完璧に近く再現した星霊は、天之瓊矛に酷似した矛を振り回し、戦場を混沌とさせている。
三対一。
星髄に達した星将たちの力は、以前とは比較にならないものであり、あれほど圧倒的だった戦力差を大きく覆そうとしている。
そこに瑞葉と朝彦が加われば、もはや、偽日流子に勝ち目はない。
「撃水投槍!」
「七百弐式改・眩曜球!」
瑞葉が大量の水気を槍状に圧縮して投擲すると、照彦は、戦団式魔導戦技を星神魔法として駆使した。
戦団式魔導戦術は、導士ならばだれもが学ぶ魔法の基礎にして要である。多くの導士が戦団式魔導戦術を使うか、これを自己流に改良して用いる。朝彦もそうだ。魔法局が伊佐那流魔導戦術を元に考案しただけあって、あらゆる属性、あらゆる型式の魔法が揃っているのだ。
余程、自己流の魔法を使いたいというような欲求でもない限り、戦団式魔導戦術で十分なのだ。
ふたりが放った水槍と光球は、しかし、偽日流子の眼前に構築された分厚い岩壁に激突し、爆散する。濛々と立ちこめるのは、霧。その真っ只中を突っ切ったのは、五本の光剣。朝彦の星霊たち。
「――なるほどね」
九乃一は、五本の光剣が殺到したことで偽日流子が防戦一方になる様を見た。瞬時に、その背後を突く。星装の影から取り出した巨大な手裏剣でもって斬りつければ、蒼秀と雷霆神もまた、同時に雷撃を浴びせる。超極大の稲妻。それはまさに天地を貫く雷光の柱であり、偽日流子の全身をずたずたに破壊していく。
偽日流子が矛を振り翳そうとするも、その右腕が切り飛ばされた。九乃一の大手裏剣だ。さらに天下五剣が星霊の体を切り刻み、真海神三叉が頭部を粉砕する。もはや原型をまったく留めないほどに破壊された星霊だが、動きを止めることはない。星霊なのだ。星象現界によって具象した星神力の結晶。完全に破壊し尽くさない限り、行動を止める理由がない。
が。
「見えた」
蒼秀が告げ、雷霆神が飛ぶ。
破壊されたことで露出したのは、偽日流子の胸の内。人間ならば心臓の位置に、それは確かに存在した。禍々《まがまが》しくも紫黒に輝く結晶体。超高密度、超高濃度の魔素の結晶たるそれは、紛れもなく殻石であり、照彦の推察が見事的中していたことを示した。
「おおおお――」
偽日流子の咆哮は、断末魔となった。
偽日流子の懐へと一足飛びに飛び込んだ雷霆神の右手が、その手に握られた金剛杵が、一瞬にして殻石を貫いたのだ。
殻石は、鬼級幻魔の魔晶核が変じたもの。その硬度は、魔晶核と同等。並の攻型魔法ですら容易く破壊できるほどに柔らかく、故に、殻主たちは、殻石を厳重に隔離し、保管するのである。
殻石の表面に走る無数の亀裂が、その狭間から零れ出す大量の雷光が、莫大な魔素が、この戦いの終わりを、トールの死を告げていく。
「ぬう……」
トールは、雷鎚を振り上げたまま、動きを止めた。女神が討たれ、殻石が破壊されたのだ。もはや、トールに戦う力は残されていない。命そのものが、尽き果てようとしている。
いや、尽き果てた。
見れば、女神に四人の星将が群がり、その強大化した力を叩きつけていた。さしもの女神も、四人がかりではどうにもならなかったようだ。
そして、自分は、たったひとりの星将すら殺しきれなかった。
「惜しい。実に、惜しい」
「なにがです?」
照彦は、どうにも泰然としたトールの口振りに怪訝な顔になった。殻石が破壊されたのだ。殻石は、魔晶核。トールの心臓そのものだ。破壊されれば最後、跡形もなく滅び去るだけなのだが、しかし、トールは、なぜか笑っている。
まだなにか、隠し球でも残っているというのか。
「汝らは、我が最初で最後の好敵手。なればこそ、もっと汝らと闘っていたかった。ただ、それだけよ――」
雷魔将は、星将たちを手放しで賞賛すると、己が魔晶体の崩壊を認めた。雷鎚が霧散し、指先から崩れ始める。崩壊を止める手立てはない。
殻石が、魔晶核が破壊されたのだ。
言葉を遺す時間があっただけ、十分というものだろう。
照彦は、トールの巨躯が音もなく崩壊していく様を見ていた。ほかの星将たちも、だ。偽日流子が跡形もなく消滅すれば、あとは、トールだけだ。トールの天を衝く巨体が、静かに、影すら残さず消えていく。
戦いは、終わった。
雷魔将との戦いは、想像を絶する死闘となり、想定とはまったく異なる結末を迎えたのだ。
「終わったな」
「やれやれだね」
「ふううううう……さすがに疲れたわあああああ……」
朝彦は、その場に倒れ込んだ。周囲の状況を確認するゆとりもない。力を使い果たした。立っていることすらままならないほどに。
ほかの星将たちも同じだ。
だれもが等しく消耗し尽くしている。
それでもどうにか周囲を見回すのは、瑞葉だ。雷神討滅軍総指揮官としての役割を果たさなければならない。
まずは、トールの死がトール軍にどのような影響を与えるのか、見届けなければならなかった。この消耗も疲労も、解消するのは、それからのことだ。
もしかすると、このまま力尽きるまで戦い続ける羽目にもなりえた。だが。
見ている限りでは、その可能性はなさそうだった。
雷神の庭は、トールの死とともに全域を覆っていた星象現界から解放された。天を覆う雷雲も消え失せ、目に痛いほどの青空と、まばゆいばかりの太陽が姿を覗かせる。
それとともに、トール軍の幻魔たちが大きく動いたのだ。
『トール軍、雷神の庭から引き上げていきます! 向かう先は、恐府の中心……!』
「つまり、オトロシャがトール軍の残党を引き受けるということかな」
「それならば、まだいいな」
「せやな」
トール軍残党がこのままこの地で戦い続けるのも最悪だが、他の方面へ移動するのもまた、よろしくない結果に繋がり得た。だから、星将たちは、安堵するのだ。
これで、雷神討滅軍の役割は果たせた。
それこそ、十二分に。
「本当に……お疲れ様。だれひとり欠けることなくトールを斃せたのは、重畳以外のなにものでもないわね」
瑞葉がようやく一息つくことができたのは、トールの討滅とトール軍の動向が知れたからであり、雷神の庭に生き残った導士たちの鬨の声を聞いたからだ。
だれもが勝利を胸に、安堵しきっているのが伝わってくる。
これは、大きな一歩だ。
恐府制圧、オトロシャ討滅の第一歩――。
『……諸君、よく、聞いてくれ』
そのとき、星将たちの耳朶に神威の声が飛び込んできた。
『神流が……第二軍団長・神木神流が、死んだ』




