第千二百六十二話 星々煌めき、雷轟く(十二)
瑞葉が、真海神三叉を振り翳すと、周囲に渦巻いていた水気が打ち出され、奔流となってトールへと殺到した。それは直撃の寸前、何十倍にも膨れ上がり、洪水となってトールの巨躯を飲み込む。
三十メートル以上の巨体を圧倒しかけるほどの力。
蒼秀とその星霊、九乃一が、偽日流子とやり合っているからこその、好機。
「さすがや」
朝彦は、星将たちの深化に感銘すら覚えていた。深化した星象現界をなんの問題もなく使いこなす様を目の当たりにすれば、さすがというほかに言葉はない。
先程までほとんど一方的な展開となり、圧倒され、全滅寸前にまで追い遣られていたというのに、どういう理屈か戦線に復帰しただけでなく、星髄に達した星象現界によって戦況を覆し始めている。
星髄。
〈星〉の真髄にして、精髄。
これこそ、本来あるべき星象現界なのだろう。
「おれは……」
朝彦は、その手に握るべき秘剣陽炎が存在しないことに気づき、はっとした。意識を失った瞬間、星象現界は途切れた。星装たる秘剣陽炎も消えて失せたのだが、覚醒と同時に星象現界を再度発動している。だのに、彼の手の内になかった。握り慣れた柄の感触を思い出すことすらできない。星神力は、ある。それどころか、以前にも増して膨れ上がっており、全身の細胞が脈打っている感覚すらあった。意識が拡大し、五感が鋭敏化している。
星象現界の深化。
「おれも?」
朝彦は、ようやく、自身の背後に浮かぶ五本の光剣を認識した。莫大な光を凝縮して作り出された光の剣たち。それが星装ではなく星霊だということは、朝彦には瞬時に理解できた。星装から星霊への変化。まさに星髄に達したことによる星象現界の変異そのものであり、だからこそ力の増大を感じるのだと認識したとき、朝彦は、トールに視線を戻していた。
瑞葉の猛攻が、トールの巨体を揺らしている、その最中。
「征けや、天下五剣!」
朝彦は、命名と同時に五本の光剣をトールへと向かわせた。五本の光条が視界を切り裂き、その勢いのまま、トールの魔晶体を斬りつけていく。
「実に、実に素晴らしい! 素晴らしいぞ……!」
星将たちの猛攻を受けてなお、トールは、態度を変えない。むしろ、より激しく、より強く、歓喜の声を上げる。それによって増大するのがトールの星神力であり、雷鳴が唸り、雷光が降り注ぐ。滝の如き稲妻が星将たちを打とうとするも、照彦の星域がそれらを受け止め、弾き飛ばした。
銀河守護神《G・ガーディアン》の攻撃力を防御力へと完全に転化したからなのか、銀河守護圏の防御性能は、ずば抜けていた。少なくとも、星将たちですらこれほどの防型魔法を見たことがない。防型に特化した星象現界ですら、銀河守護圏には適うまい。
それはそうだろう――だれもが納得する。
星髄に至り、真の姿を見せた星象現界が、表面的な〈星〉の形を際限しただけの星象現界に負けるはずがない。
その圧倒的な事実は、星将たち自身が、身を持って理解していた。
それこそ、トールがそれだ。
トールの星象現界は、星髄へと至っていた。偽日流子の前に為す術もなく全滅しかけたのが、つい先程のことだ。五星将が全力を尽くしても、全く敵わなかった。それが、星象現界の深度の差なのだとすれば、〈星〉の理解度の差なのだとすれば、今度こそ、覆しうるのではないか。
天下五剣がトールの巨躯をずたずたに切り裂いていけば、真海神三叉が唸りを上げて、巨大な水の渦を生み出す。それがトールの右腕を飲み込み、削り取るまで時間はかからなかった。容易く、軽々とねじ切り、吹き飛ばす。
だが、その程度で怯むトールではない。右腕を瞬時に復元したトールは、天下五剣を弾き飛ばし、その勢いで瑞葉を掴んだ。
「だが、遅いな!」
「そうかしら」
瑞葉は、トールの手のひらの中で、真海神三叉を旋回させた。水気が螺旋を描き、破壊の渦を描き出す。雷魔将の堅牢強固な魔晶体も、真海神三叉の破壊力の前では意味を為さない。一瞬にして大穴が開き、瑞葉は自由になる。トールと目が合った。目を見開いている。赤黒い目。幻魔の眼。
「あなたは、致命的な失態をしてしまった」
「ほう?」
トールは、粉砕された右手を瞬く間に再生すると、瑞葉を殴りつけた。超極大魔素質量による渾身の一撃。手応えは、あった。しかし。
「わたしたちを気絶させただけで満足して、放置した。それでは勝敗は決し得ないというのに。闘争に溺れ、戦いの本質を忘れてしまった――その結果が、このザマよ」
「随分と大きく出たものだな! 確かに、汝らは戦線に復帰した! だが、それでどうだというのだ! なにも変わっておらぬではないか!」
「変わっとるやろ」
朝彦は、トールの頭上から断言すると、天下五剣をその頭部に集中させた。五本の光剣は、無数の光跡を描く。まさに陽炎の如く正体を掴ませない星霊たち。あっという間にトールの頭部を破壊し尽くすと、上半身の破壊へと突き進む。
「こんな状況、さっきまでは考えられんかったやろが」
「まったく、その通りですね」
照彦は、銀河守護圏の維持に全力を尽くしている。金城鉄壁たる光の結界は、ただ、そこにあるだけで意味があるのだ。星域内を戦場とする限り、星将たちが致命的な攻撃を受けることはない。銀河守護圏とは、銀河守護神の守護圏内を意味する。いまやその形をほとんど失った光の巨人は、しかし、確かに存在しているのだ。
星霊・日流子の矛の切っ先が九乃一の脇腹に突き刺さったかと思いきや、光の指先が受け止め、弾き飛ばす。それこそ、銀河守護圏による自動防御だ。範囲内の味方を敵の攻撃か自動的に護る、強力無比な防型魔法。
それが、銀河守護圏。
銀河守護神は、攻防一体の星象現界だったが、銀河守護圏は、防衛能力に特化している。そしてそのほうが照彦の性質に合っているような気がしていた。
星髄に至ることによって、〈星〉は、真の形を現すという。
つまり、銀河守護圏こそが照彦の本当の〈星〉の形なのだろう。
一方、蒼秀の雷霆神が無数の稲妻を星霊・日流子に浴びせれば、さしもの星霊もただでは済まなかった。全身を灼かれ、燃えていく。それでも星霊は止まらない。それはそうだろう。星霊は、形ある限り、いや、形がなくなろうとも、命令が変わらぬ限り、敵を攻撃し続ける。
猛攻。
矛による目にも止まらぬ連続攻撃は、しかし、先程までと同じく、銀河守護圏によって防がれており、九乃一も雷霆神もなんの苦もなく戦い続けることができている。
九乃一は、児雷也の黒装束によってその能力を遺憾なく発揮していた。つまりは、速度だ。戦団最速の名を欲しいままにしてきた彼は、星霊・日流子すら反応できない速度で攻撃を畳みかけており、次第に押し始めていた。
そして、トールがその巨躯の大半を失い、崩れ落ち始めた。
「魔晶核は?」
「人間の心臓と同じ位置にあったわ」
「破壊したんだな?」
「おれが壊させてもらいましたで」
「だとすれば、これは――」
蒼秀は、トールの十数メートルもの巨躯が音を立てて倒れていく様を認めながらも、雷霆神宮殿になんら変化も起きていないこともまた、認識せざるを得なかった。
星霊も、依然、戦い続けている。
トールの魔晶核《心臓》を破壊したのであれば、その星象現界も消滅するはずだ。星域も、星霊も、跡形もなく消え失せなければならない。
星象現界だけが存続することなど、ありえない。
魔法とは、想像力の具現。
想像力の根源が失われれば、消滅するのも当然のことだ。
だが、雷霆神宮殿は、この雷神の庭を覆っており、雷の雨を降らせ続けているし、偽日流子も、九乃一、蒼秀、雷霆神と死闘を繰り広げている。
「まさか」
蒼秀の脳裏に過ったのは、ひとつの、そして最悪の可能性。
「ここは、奴の〈殻〉だとでもいうのか?」
「〈殻〉?」
「そんなこと、ありえるの?」
「奴の魔晶核を破壊してなお星象現界がその役割を終えていないというのであれば、ほかに考えようがない」
「……ええ、そうですね。それ以外の可能性はありえません。トールは、雷霆神宮殿という星象現界ではなく、己が〈殻〉を構築していた。恐府《きょううh》という〈殻〉の中に」
照彦は、トールの魔晶体の残骸が溶けるように消滅し、莫大な星神力が虚空を漂う様を見ていた。そしてそれが次第に集まり、ひとつの形を成していくのがわかる。
「だったら、なんでオトロシャが黙っとるんや?」
「オトロシャは、三魔将を支配している。オベロンが戦団と手を組もうとしたのも、オトロシャの指示だった。トールが恐府内に〈殻〉を作ることもまた、オトロシャの命令だという可能性も否定できまい」
「そうね。完全無欠に支配しているのであれば、なにをさせたって問題ないものね」
星将たちが話し合っている間にも、トールの魔晶体が再構築されていく。
それはつまり、トールを撃滅するには、殻石を探しだし、破壊するよりほかはないということを意味していた。




