第千二百六十話 星々煌めき、雷轟く(十)
ウリエルは、トールが化身具象型星象現界によって生み出したのであろう星霊を見据え、槍を握る手に力を込めた。ウリエルの槍は、武装顕現型星象現界。いわゆる星装である。
名を、地之珠槍。
「またしても、天之瓊矛か」
「またしても?」
「ああ……これで二度目だ」
ウリエルの記憶にあるのは、アーリマンが再現した天之瓊矛である。その際に判明したのは、アーリマンがどうやら他者の星象現界を再現するという極めて特異な星象現界の使い手であるらしいということと、再現された星象現界は、アーリマンの能力によって大幅に強化されていたということだった。
さて、トールの星霊は、どうか。
トールが再現したのは、天之瓊矛ではなく、城ノ宮日流子だ。
戦団のかつての第五軍団長にして星将。トールとの死闘の末、サタンによって殺された人間。それがなぜ、トールの星霊として具象しているのか。それほどまでに城ノ宮日流子の存在がトールの記憶に残っているとでもいうのだろうか。
ウリエルには、想像もつかないし、理解もできない。
幻魔が人間を認識し、記憶に留めることなど、ありうることだろうか。
少なくともウリエルの知っている限りでは、幻魔が人間への執着を見せたという記録はなかったはずだ。
(この記憶が当てになるのかどうかという問題もあるが……)
それよりもなによりも、だ。
「あの魔素質量、尋常ではないな」
「お、おそらく……星髄に至っているのではないか、と」
恐る恐るといった様子で口を開いたのは、ミオリ。彼女はどうにか立ち上がったものの、ウリエルの背後に控えたままだ。ウリエルとしては、それでいい。彼女は、足手纏いにしかならないからだ。人間だからどうこういうのではない。ミオリの戦闘能力が、ウリエルとトールの戦いについてこられないというだけのことだ。
ミオリ自身、それは自覚していた。元よりミオリの星象現界は、補助に特化したものであって、戦闘向きではない。星霊が編み上げた擬似星装を纏うことでどうにか食い下がれているだけであり、それでさえ、トール相手にはどうにもならなかった。
圧倒的な力の差は、小手先の技術で乗り越えられるものではない。
「星髄?」
「……星象現界とは、〈星〉の元型を現す究極魔法。ですが、わたしたちが星象現界によって具現していたのは、〈星〉の元型、その表層に過ぎなかった。星髄とは、〈星〉の真髄にして、精髄。星髄に至ったものだけが、〈星〉の元型を完全に現すことができる、と……」
「……なるほど。しかし、そのような情報、幻魔に教えても良かったのか?」
「え……?」
ウリエルに心配され、ミオリは、頭の中が真っ白になった。なぜ、自分は、こんなにもウリエルと親しげに話してしまったのか。まるで、長い間仕えてきたかのような感覚があって、それがミオリの口を軽くした。心までも軽くなっている。
先程までの重圧が嘘のようだった。
「わたしは、構うまいが」
ウリエルは、告げ、地を蹴った。爆風がミオリを煽り、星装が舞い上がる中、ウリエルが一条の閃光となる。一瞬にしてトールへと肉迫したウリエルだが、その進路を阻むものがいた。星霊である。城ノ宮日流子を模した星霊は、トールの星髄、その具象。それこそ、トールの〈星〉そのものであるという事実は、ミオリにとっては受け入れがたいものだったし、信じがたいものだ。
日流子の尊厳を蹂躙し、冒涜し、恥辱の限りを尽くしている。
沸き上がる怒りは、しかし、力にならない。
「美乃利副長、下がってください」
「え?」
「これ以上は、危険です」
ミオリに告げ、彼女の前に立ちはだかるようにして現れたのは、統魔とルナだった。黄金の衣を纏う統魔と白銀の衣を纏うルナ。対の存在といわんばかりに輝くふたりが、脇目も振らず、トールに向かっていく。
ミオリは、ただ、見守っていることしかできない。
(いえ)
胸中、頭を振り、視線を巡らせれば、天衣織女が星将たちの治療を続けている。天衣織女の衣から伸びた無数の光の糸。それらが星将たちの傷を塞ぎ、血を止め、細胞をも縫合しているのだ。時間はかかるが、全員を再起させることも不可能ではないはずだった。
死んではいないのだから。
致命的な攻撃を食らってはいても、体の一部を失ってはいても、生きている。
ならば、天衣織女で治療できる。天衣織女は、補型魔法に特化した星象現界。補型魔法には、当然、治癒魔法も含まれている。そして、治癒魔法こそ、ミオリの得意とする魔法なのだ。
爆光が散乱し、余波がミオリを吹き飛ばす。そんなミオリを受け止めたのは、またしてもウリエルだった。
「なるほど、あれはただの星象現界ではないな」
ウリエルは、日流子を模した星霊、その力を目の当たりにして、理解した。
星髄に至るというのがどういうことなのかはわからないが、ともかく、真価を発揮した星象現界の威力はわかった。少なくとも、ウリエルをも圧倒するほどのものであることは間違いない。
ウリエルの手に握り締められた琥珀でできたような異形の槍は、地属性の星神力の結晶である。槍を飾る無数の宝玉が神々しい光を放ち、振り抜くだけで大地が呼応し、地震や地割れが起き、地形が激変した。
トールを取り巻く戦場も、既に様変わりしている。
トールそのものが大地を破壊し尽くしているというのもあるが、ウリエルの槍の能力によって、瀕死の星将や杖長たちが遠ざけられ、また、護られている。彼らが回復しなければ、戦線に復帰しなければ、状況は変わるまい。
ウリエルだけではどうしようもないのだ。
(彼を以てしても)
ウリエルがそう考えたのも束の間、統魔がトールの雷鎚の直撃を受け、爆光とともに吹き飛ばされていった。それまでに何度となく激突し、そのたびに凄まじい余波が天地を揺らしている。
そしていまや、トールと対峙しているのは、本荘ルナだけになってしまった。
ルナは、トールを凝視していた。城ノ宮日流子を模した星霊が飛びかかってくるも、彼女は黙殺する。すると、ウリエルが星霊に斬りかかり、両者の間で超神速の攻防が始まった。矛と槍の激突。そのたびに周囲一帯が震撼するほどの衝撃波が発生し、ルナの髪を煽った。
「汝は、なぜ、戦わぬ?」
トールが、ルナを見ていた。
遥か上空、数十メートルの高度から降り注ぐ幻魔のまなざしは、まさに神の視線だ。そんな彼からしても、眼前にあって微動だにしないルナの存在は、不可解そのものだった。星象現界を発動し、全身に星神力が満ちているのであれば、戦闘にはなるはずだ。トールにはまったく敵わないだろうが、しかし、立ち向かってくる気配もなければ、一矢報いようともしないのは、理解できない。
そんなものは、戦士ではない。
戦士でないのであれば、戦場に立つべきではない。
この神聖にして偉大なる領域には、己が命を捧げる決意と覚悟を持った戦士こそが相応しい。
それ以外のすべてが、不要だ。
「なぜだ?」
「これが……この状況が……あなたの望みなのね」
ルナは、トールの顔を仰ぎ見、雷を帯びた頭髪がもはや後光のように輝いているのを見た。禍々《まがまが》しく、そして、恐ろしいほどに神々しい。幻魔は、人類の天敵だという。人類にとっての恐怖の象徴であり、遺伝子に刻まれた絶望は、決して拭い去ることはできない。
それこそ、神との対峙に似ているのではないか。
もっとも――。
「望み? 望みだと?」
「あなたの願い。あなたの望み。あなたの祈り。あなたの想い。あなたの――」
「汝は、なにをいっている?」
「わたしは、やっぱり、ここにいるべきではなかった」
「……血迷うたか」
トールは、わけのわからないことを宣うだけの存在と成り果てた少女に向かって、雷鎚を振り翳す。遥か上空から、地上数メートルの高度にいるものに向かっての、一撃。それはまさに霹靂であり、一瞬にしてルナを粉砕した――かに見えたが。
「わたしは、統魔たちと一緒にいるべきじゃなかった。こんなことになるなら。ううん……そんなこと、わかっていたのに。わかりきっていたのに」
ルナの嘆くような声が聞こえたかと思うと、トールは、星神力の爆発を感じた。それも同時に五つも、だ。
「でも……ううん、だからこそ、あなたは負ける。敗れ去る」
「なに……?」
「わたしは、ただ、皆の望みを叶えるだけだもの。だから――」
彼女の言葉がなにを意味するのか、トールにはまるで理解できないが、ひとつだけわかったことがある。
それは、トールの願いがいままさに叶おうとしているということだ。
地上にて、五つの星が、盛大な光を放っていた。
それは、ただの星象現界の輝きではない。
トールと同質の――。




