第百二十五話 初任務・草薙真の場合(二)
「わたしは日吉紗奈。隊長とは同期だけど、先に輝士になられちゃったから、部下になってあげたってわけ。優しいわよね、わたし」
任務地への道すがら、同行する導士が本当に自己紹介を始めて来たものだから、真は、少しばかり当惑した。
御蔵小隊は、兵舎を出るなり、法機を取り出した。法機は、転身機の物質転送機能――通称・召喚機能によって呼び出したものであり、なにもない空間に生じた光の中から具現した魔法の杖は、まさに魔法使いの得物に相応しかった。
法機は、一般市民が活用している法器を戦団が戦闘用に改良したものの総称だ。同じ名称で字が違うだけというのはややこしいが、仕方がない。
法器は、殺傷能力を持つことが許可されておらず、攻撃的な魔法を組み込むことができないが、法機はそうではない。幻魔との戦闘を念頭に入れ、全面的な機能の改修、改良等が施されており、攻撃的な魔法を組み込むことも可能である。
とはいえ、法機に組み込むことのできる魔法というのは、極めて簡単な魔法ばかりであり、高威力高精度の魔法を簡易的に発動することは、現状では不可能だという話だった。
真も、法機を呼び出すのと同時に転身し、導衣に着替えている。
法機もまた、導衣同様、戦団から支給されたものだ。
法機も導衣も拡張性が極めて高く、使用者の戦い方や任務に合わせ、性能や設定等を変更することが可能だった。
真の黒い導衣と黒い法機は、支給されたときからなんら設定を変えていない。
小隊全員で空を飛び、目的地へと向かう。
日吉紗奈が自己紹介をしてきたのは、そんな最中のことだった。
「そうですね」
適当に相槌を打つと、相手はあからさまに不機嫌そうな表情を見せたが、真にはどうすることもできない。青色の法機に跨がり、千草色の髪を風に靡かせる様は、魔女と呼ぶに相応しいだろうし、不機嫌そうな表情もよく似合っている、などといえば、さらなる不興を買いそうだった。
「ぼくは細田ルウ。まあ、短い間かもしれないけど、よろしくね」
「よろしくお願いします」
細田ルウは、漆黒の法機に横乗りになっていて、真に向かってにこやかに手を振ってきた。紺青色の髪を一つに束ねた、背の低い女性だ。
最後の一人は、男だ。長身痩躯という言葉が似合う、灰茶色の髪をぼさぼさに伸ばした男。
「おれは五位ノ池哲哉だ。おまえとは同い年だが、一応、先輩だからな」
「そうですか」
戦団では先輩後輩なんて関係ないといったのは、皆代統魔だったか。
先輩風を吹かせようとする五位ノ池哲哉を横目に見て、皆代統魔との違いになんともいえない気分になるのは、どういうことなのかと、真は思った。統魔を評価したくない自分と、評価しなければならない現実の狭間にいるからだろう、と、認識する。
どこまで彼のことが嫌いなのか、と、苦笑するのだが、心の奥底に刻みつけられてしまった意識というのは、そう簡単に拭い去れるものでもないらしい。
「知っているだろうが、戦闘部の任務は、なにも幻魔災害の鎮圧だけではない。常に幻魔災害の発生に備え、見回ることも重要な任務だ」
「そういう任務は、巡回任務っていうのよ」
「ほかには、待機任務、警戒任務、そして衛星任務があるけど、まあ、知ってるよね?」
「はい、一応は」
「そりゃあ、央都に生まれて知らないものはいないだろうさ」
うんうんと力強く頷くのは、五位ノ池だ。
彼の言うとおり、央都に生まれ、央都で育てば、自然を知っていく情報ばかりだった。
央都は、戦団に拠って成立しているといっても過言ではない。戦団こそが央都の守護者であり、央都の秩序の根幹なのだ。戦団がなければ央都は維持することはできず、故に、央都市民は、戦団の活動内容を知っている必要がある。
戦団の導士たちが日夜どのような活動をしているのか。日々、どれだけの働いているのか。そうした情報は、戦団の広報部を通じて央都市民に広く知れ渡っていたし、子供のころから学校で教わったものだった。
そのような教育の過程で、戦団の導士が如何に素晴らしいもので、貴い存在なのかと、徹底的に教え込まれていく。
導士として命を張って戦うことの崇高さは、何者にも代えがたいものであり、央都になくてはならないものだ、と、誰もが教わり、誰もが学ぶ。
この央都において、導士を悪くいうものがいるとすれば、ごくごく一部の反戦団的な立場を取っているものだけであり、ほとんどの市民が戦団を応援し、導士への敬意を忘れなかった。
真だって、そうだった。
捻くれてこんがらがってしまっていたが、それでも、戦団の導士たちへの尊敬の気持ちは、決して消え去ることはなかったのだ。
だから、こうして本来の自分に立ち戻ることができたのだろう、と、客観的に考える。
「新人導士の初任務といえば、大抵の場合、巡回任務になる。今回もそうだ」
「まあ、任務に出たからと言っても必ず幻魔に遭遇するわけでもないけどね」
「大半は、空振りに終わるからさ」
「そして、それでいいんだ。究極的に言えば、おれたちに出番なんてないほうがいい。そのほうがずっと安全で、安心なんだからな」
御蔵小隊の導士たちの考えは、戦団に所属する導士にとっての基本的な考えでもあるのだろう。
確かに彼らの言うとおりだ、と、真も思う。
抜けるような青空と、眩いばかりの太陽、日光を浴びて輝く雲の群れ、眼下には動き出したばかりの町並みが広がっていて、そこには確かに平穏な日常がある。誰もが安寧を享受し、今日という一日を始めようとしている、そんな景色。
幻魔災害は、そうした日常を一瞬にして破壊してしまう。
真は、子供のころ、幻魔災害に直面した。
突如目の前に現れた妖級幻魔は、幼い真の体をずたぼろにして、危うく死にかけたのだ。そのとき、颯爽と現れたのが伊佐那麒麟であり、戦団の女神は、妖級幻魔を一蹴し、真の傷を癒やしてくれた。
それ以来、真は幻魔を討伐する導士になりたいと思うようになったのだが、しかし、幻魔災害など起きない方がいいという彼らの考えもまた、道理だと思った。
やがて、御蔵小隊一行は、任地に到達した。
空を飛べば、あっという間だった。
葦原市北山区山中町。
北山区は、葦原市の北部一帯のことを指す。葦原市の北側には山々が峰を連ねて聳え立っているのだが、その地形と方角から付けられたのが、北山区という名称である。
山中町は、北山区の三つある町の中で中心に位置し、東は御名方町、西は山祇町に隣接している。
北山区の北部から央都外に渡って横たわり、北端が出雲市へと至るほどに巨大な山脈は、御名方山脈と命名されているのだが、その御名方山脈の一部が北山区に根ざしている。
特に山中町は、町の北半分ほどが御名方山と一体化しており、町そのものが緩やかに傾斜しているような印象すらあった。
また、御名方山の中腹には、央都最大の発電施設である央都発電所がその威容を見せつけるように聳え立っていることでも知られている。央都発電所は、日夜、央都中に膨大な電力を供給しており、いわば央都の生命線といっても過言ではないだろう。
そんな山中町の町中に降り立った御蔵小隊は、さっそく巡回任務を開始することとなった。
「巡回任務ってのは、地道に歩いて回るのが基本だ」
「飛行した方が楽だと思うでしょ? 実はそうじゃないの。だって、一日中飛び続けるなんてできるわけないでしょ」
「……確かに」
真は、先輩導士たちの言葉を受けて、静かに頷いた。何故地上に降りたのかと思ったが、いわれてみればその通りだった。
法機を媒介した飛行魔法であっても、魔力は消耗するものだ。魔力は、体内の魔素を練り上げて生み出すものであり、そのためには集中力と精神力がいる。魔力の消耗とは即ち、神経を磨り減らし、体力を喪失することに他ならない。
一日中空を飛び続けるとは、つまり、そういうことだ。
だからこそ、地上に降り立って、地道ながらも歩き回る方が疲れないということなのだろうが。
「でも、本当、地味だよね」
細田ルウが冗談交じりにいったときだった。
爆音とともに前方の家屋が吹き飛び、地鳴りのような咆哮が轟いた。