第千二百五十七話 星々煌めき、雷轟く(七)
大地が揺れ始めたかと思うと、遥か上空を雷雲が飲み込んでいく。それも瞬く間にだ。気がついたときには、地霊の都方面の空が、帯電する黒雲に覆われていた。雷雲である。それが超高密度の魔素の塊であることは、魔法士ならば一目でわかろうというものだ。
地鳴りは未だ激しく、けたたましく響き続けている。地霊の都全体を揺らしているのだ。鳴動。天地そのものが震撼しているかのような、そんな状態。
「これは……」
幸多は、大鬼とも呼ばれる妖級幻魔オーガが振り下ろしてきた拳を裂魔改でいなすと、左前方から飛来してきた氷塊を飛んで躱した。続けざまに魔力体が殺到し、爆撃となって幸多を襲う。
地霊攻撃軍とクシナダ軍が熾烈な戦いを始めてから、どれほどの時間が経過したのだろう。
開戦当初、地霊攻撃軍とクシナダ軍の兵力差は、当然のようにクシナダ軍側が圧倒的に上回っていたが、それはいまもなお変わらない。厳然として絶大な兵力差が存在し、大いなる壁の如く立ちはだかっている。この兵力差を覆すためには、雑兵を薙ぎ倒さなければならないのだが、そのために戦力を消耗し、浪費する羽目になっている。
導士たちは、魔力を消耗しながら戦い続けており、幸多は、体力と精神力を磨り減らしながら、どうにかして大量の幻魔とやり合っているのだ。
当然だが、クシナダ軍を構成する幻魔の等級の割合は、霊級がもっとも多く、つぎに獣級、そして妖級の順番だ。とはいえ、妖級だけでも百万体はくだらないだろうし、すべての等級に強化個体が紛れ込んでおり、それらとの戦いは苛烈なものとならざるを得なかった。
霊級は獣級並みに、獣級は妖級に匹敵し、妖級の強化個体は、強力無比になる。
星象現界を駆使する杖長の相手ではないものの、妖級の強化個体が、地霊攻撃軍の戦線を掻き乱しているのは否定しようのない事実だった。各方面の最前線には星将、杖長が配置されているのだが、それだけでは強化個体の奇襲を防ぎ切ることは難しい。
数万単位の幻魔の撃破に成功しているものの、まだまだ足りない。もっと多くの幻魔を撃滅しなければならず、そのためには、地霊攻撃軍ももっと血を流さなければならないのだろう。既に多数の死傷者がでている。
杖長たちが率先して星象現界を駆使し、各方面で奮戦しているのだが、如何せん、兵力差が圧倒的すぎるのだ。
ただただ、消耗を強いられている。
そのような状況下、突如として地霊攻撃軍を襲ったのが、この天変地異だ。
天が唸り始めたかと思うと分厚い稲妻が降り注ぎ、コカトリスの群れに直撃、断末魔を上げさせた。
「だれかの星象現界ってわけじゃあねえよな?」
「うん。星象現界なのだとしたら、今頃になって影響し始めるのはおかしいからね」
真白は、煌城の維持に意識を割きつつ、周囲に視線を巡らせていた。義一の言うとおりなのだろうが、凄まじい雷鳴を響かせながら降り注ぐ稲妻が、こともあろうに幻魔の群れを消し飛ばしていく光景を目の当たりにすれば、いずれかの杖長の星象現界なのではないかと思うのも無理のない話だ。
「雷神の庭は常に雷雲に覆われてるって話だったよね?」
「うん……そうだけど……」
一二三が火球を乱射して霊級幻魔ニンフの集団を処理すれば、黒乃が破壊の渦を生み出し、妖級幻魔ガーゴイルを粉々にする。最高峰の攻型魔法の使い手である黒乃でも、妖級幻魔を撃破するのは一苦労だ。とはいえ、敵からの攻撃は、真白の魔法壁が完璧に防いでくれることもあり、攻撃に専念すればよく、そのおかげで戦えている。
そういう意味では、真星小隊の戦闘は安定していた。
役割がはっきりしているのは、なにも真星小隊だけではなく、戦闘部の全小隊がそうなのだが、しかし、防手の魔法技量だけでいえば頭抜けているのは間違いなかった。だからこそ、黒乃は安心していられるのであり、真白の側を離れなかった。
真白も自分が小隊の中核だと理解している。故に、防型魔法に全神経を注いでいるのだし、状況の変化に気を配っている場合ではなかった。
「……なるほど」
「幸多?」
「いま、通信が入って、わかったんだよ。この状況がいったいどういうことなのか」
幸多は、物凄まじい形相で突進してきたオーガを前方に跳躍することで回避し、飛び越える瞬間、その凶悪そのものの顔面を斬りつけた。オーガが唸り、岩塊が地中から飛び出してきて、幸多の背中に掠る。危うく直撃を受けるところだったが、どうにか切り抜け、振り向き様に大刀を振り抜いた。すると、オーガの巨腕と激突し、真っ二つに切り裂いていた。魔晶体から噴き出すのは、鮮血ではなく、魔素。どす黒い体液のようなそれが、霧状に飛散していく異様な光景は、もはや見慣れたものだ。なんの感慨もない。
「雷神討滅軍が危ういんだ」
「雷神討滅軍が?」
「危うい?」
幸多の予期せぬ発言に、真白と義一が目線を交わした。最中、義一の放った雷撃が多数の幻魔の間を飛び交い、つぎつぎと感電させていく。
「どういうこと?」
「なにがあったのさ?」
「トールが想定外の強さだったんだよ。星将が五人で相手にして、一方的にやられてしまったんだ」
幸多は、情報官からの報告を部下たちに説明しつつ、地霊攻撃軍全体の動きが変化しているのを実感した。
今回の情報官からの通信は、小隊長以上の導士に対してのみ行われたものだ。毎回毎回、ありとあらゆる情報が全導士に通達されては戦闘に集中できるものではないし、場合によっては士気の低下を招くことも考えられるからだ。
とはいえ、幸多は、己が耳朶に飛び込んできた報告を未だ信じられない気持ちで一杯だった。
一二三のいった通り、雷神討滅軍は、この大作戦の主役といっても過言ではなかった。今作戦には、全六千名もの導士が投入されているが、その半数が雷神討滅軍に編制されているのだ。
当面の目標が、雷魔将トールの討滅であり、故にこそ、戦力を集中させたというわけである。
トールとクシナダを同時に撃破するのは、戦団の戦力的には困難を極める。不可能に近いといっても過言ではなかった。
だから、どちらかに戦力を集中する必要があり、トールを選んだのだ。
黒禍の森を無視すれば、クシナダも同時に討滅することも不可能ではないのではないかとも考えられたが、しかし、それはできなかった。
雷神の庭と地霊の都にのみ戦力を集中させれば、黒禍の森の幻魔が脇腹を突いてくるに違いなく、そうなれば両軍に甚大な被害が出ること間違いない。
そのような事態を避けるため、黒禍の森にも戦力を分散させる必要があり、黒禍攻撃軍が組まれたというわけだ。
そして、そのような戦力配分にも関わらず、雷神討滅軍が窮地に追い遣られているという報告を受ければ、地霊攻撃軍の動きが変化するのも当然だった。
『全軍に告ぐ。護りを固めつつ、後退せよ』
地霊攻撃軍総指揮官、伊佐那美由理の指示が幸多の耳に突き刺さった。直後、前方に巨大な氷壁が出現したのは、クシナダ軍の進軍を食い止めるためであり、地霊攻撃軍の後退を安全に行わせるための美由理の策に違いなかった。
それまで晴れ渡っていたはずの空が突如として雷雲に覆われたのは、雷神討滅軍の戦況と合致していることは想像に難くない。
式守小隊が一丸となって激戦を繰り広げている最中のことだ。
遥か上空が暗雲に閉ざされたかと思えば、大地の鳴動が激しくなり、黒禍の森の各所に地割れが生じ、大量の結晶樹が地中に飲み込まれていった。大量にあった幻魔の死骸も、だ。
そして、落雷。
まるで土砂降りの雨のような乱雑さで降り始めた稲妻は、敵も味方も関係なしに直撃しており、死傷者が多数、出始めていた。
「幻魔が死ぬのは構わないけどさ!?」
「どういうことなの!?」
秋葉と冬芽がいつものように大声を上げつつも、一切取り乱していないのは、その動きを見れば明らかだ。殺到する幻魔の魔法は、冬芽の防型魔法が対処し、攻撃してきた相手を秋葉の攻型魔法が薙ぎ払う。
秋葉は、雷属性を得意とする。その息吹が稲妻を生み、その言葉が雷光を呼ぶ。
「雷神討滅軍が窮地なのよ」
「窮地」
「ええ。とってもね」
詳細は告げず、春花は、神流の指示を待った。
夏樹の火炎魔法が渦を巻き、妖級幻魔フェアリーの群れを押し退けるが、圧倒するには足りない。妖級は、獣級以下とは比較にならない魔素質量の持ち主であり、戦闘能力も桁違いなのだ。
妖級を圧倒できるものがいるとすれば、星象現界の使い手だけであり、式守小隊が普通に戦って一蹴できるような相手ではない。
それでもどうにか食い下がることができているのは、黒禍攻撃軍の杖長が全員、星象現界を使ってくれているからであり、その恩恵に預かることができているからにほかならない。
そして、
『全軍に通達。これより防御を固めつつ、後退しましょう』
神流の指示が、春花の意識を急激に冷えさせた。
戦況は、急激に悪化している。




