第千二百五十六話 星々煌めき、雷轟く(六)
トールの巨躯は、この天と地の狭間にあって、なによりも大きく見えた。まるで世界を支える柱のようであり、それこそ神話の存在に相応しい威容であろう。全身から満ち溢れる莫大極まりない星神力が、絶え間ない雷光の奔流となって上天へ至り、大気中の魔素を破壊しながら拡散している。
攪拌。
そう、攪拌だ。
無遠慮に散らばり、無造作に渦巻き、雷神の庭全域を揺るがしていく。
「この程度では、物足りぬぞ。星将よ!」
トールは、崩壊した大地に倒れ伏した人間たちを見下ろしながら、告げた。星将たちである。瑞葉、朝彦、九乃一、蒼秀、そして照彦。五人の星将全員が、トールとの死闘の中で傷つき、倒れていったのだ。だれもが満身創痍であり、四肢のいずれかを欠損している。流れる血は止めどなく、このままでは生命状態に致命的な問題が生じかねない。
それほどの事態。
星象現界の維持すらできなくなり、戦闘状態までもが解除されてしまったのだ。それほどまでの事態。絶体絶命の窮地といっていい。
日流子の姿をしたトールの星霊は、天之瓊矛を手に、それら星将たちの有り様を見ている。ただ、冷ややかに。
「我を斃すにせよ、我が女神を否定するにせよ、それでは足らぬ。それでは、我は斃れぬ。我は滅ぼせぬ。我は、満たされぬ」
トールが雷鎚を掲げれば、その巨体から溢れていた雷光が収束し、一回りも二回りも巨大な雷球を形成していく。半径三十メートルはあろうかという雷光球。見るものすべての視界を塗り潰し、白く染め上げていく破壊の光。
そして、雷球は天に昇った。
「嘘だわ……嘘に決まってる……!」
「そうよ! 九乃一様が負けるだなんて、ありえない……!」
朝子と友美が全力で否定するのも無理のない話だ。導士ならば、当然の反応だっただろう。
ふたりは、力を合わせて発動した星象現界・夜女神の強大な戦闘能力によって、多数の幻魔を撃滅しただけに留まらず、さらなる激戦に臨んでいたところだった。想像すらしていなかったこの戦果は、想像を絶する事態――星象現界の発現の結果だ。それはふたりとも理解しているから、その力に酔い痴れることも、溺れることもなく、慎重に戦うことができていたのかもしれない。
しかも、だ。
銀星小隊の隊長・白銀流星もまた、星象現界の発現へと至っていた。それによって銀星小隊は、第六軍団でも頭一つ抜けた戦力を手にしたといっていい。
流星の星象現界は、空間展開型である。まさに銀河の真っ只中とでもいうべき星域を展開する星象現界であり、金田姉妹の星象現界との相性は抜群だった。
銀天と命名された星域は、魔法で生み出された宇宙空間である。本物の宇宙とは違って真空ではないが、星域内には無数の星々が瞬いている。それら白銀の星々は星神力の塊であり、触れれば最後、妖級幻魔ですら容易く破壊してしまうだけの威力を秘めている。
そして、その星降る結界の中で、夜女神が猛威を振るっていたというわけなのだが、そんな中、突如として最前線から届いた報告こそが、星将たちがトールに敗れたというものだったのだ。
「いや……しかし……」
「はい……」
流星と黎利は、金田姉妹の感情を理解しつつも、遥か彼方に聳え立つ雷光の柱を見て、報告が真実であると認めざるを得なかった。
それは、超高濃度、超高密度の星神力の奔流であり、塊だ。
星象現界に目覚めたばかりの流星だが、星象現界の領域に、星極に到達したからこそ、はっきりと理解できる。
トールの力は、鬼級幻魔の常識を遥かに陵駕するものだ。
星将三名以上でもってようやく対等に戦えるとしてきたこれまでの常識は、トールにはまったく通用しない。五名もの星将を投入して、敗れた。星将のだれひとりとして死亡していないとはいうが、皆気を失っており、致命傷を負っているものもいるというのだ。
雷神討滅軍、絶体絶命の危機であることは、火を見るより明らかだ。
「まじかよ!?」
アンズーの大群を一瞬にして殲滅した黒羽大吉だったが、通信機に飛び込んできた情報官からの報告を受けて、愕然とせざるを得なかった。
大吉率いるラッキークローバー隊は、彼自身が星象現界を発現したことによって、普段とは比較にならないほどの戦果を上げることができていた。幸運を運ぶ黒い翼と名付けた星装が、霊級、獣級程度ならば触れるだけで蒸発させ、妖級幻魔でさえ圧倒できるほどの力を発揮したのだ。
興奮と昂揚に飲まれていた大吉の意識に冷水を浴びせたのが、最前線の状況を知らせる緊急報告。
「ラッキークローバ-、後退だ! 後退!」
大吉は、隊員たちに命令をしつつ、迫り来る幻魔の群れに向かって、翼を羽撃かせ、暴風を起こした。
「待て、大金剛人」
岩岡勇治は、星霊・大金剛人の頭頂部にあって、その機械仕掛けの巨人を制御していた。並み居る幻魔を踏み潰し、あるいは蹴散らし、殴り飛ばすことで、戦前の想定とは比較にならないほどの戦果を上げている真っ只中。
「……岩岡小隊、後退だ」
勇治は、通信機越しの情報官の切羽詰まった声に、苦い顔をした。
戦況は、急激に悪化した。
雷魔将トール討伐は、いままさに不可能となったのだ。
五星将が、敗北した。
この受け入れがたい事実は、しかし、情報官の報告である以上認めるしかなく、故に彼は苦汁を飲んで、隊員たちに後退を命じたのだ。前方から津波となって押し寄せる幻魔の大軍勢は、この状況を把握してのことなのか、それとも、まったく関係がないのか。
勇治には、わからない。
わかるのは、天高く聳える雷光の柱であり、巨大な雷球が、まるでこの雷神の庭全域を照らすかのように輝いているということだ。
そして、その雷球から放たれる無数の稲妻が、戦場を蹂躙し始めたという絶望的な現実である。
加納陸は、星装・方天画戟の圧倒的な力に酔い痴れていた。
これまで、自分の力に酔ったことはほとんどない。魔法を学び、ある程度自由に扱えるようになれば、だれもが己が力に酔い痴れ、万能感や全能感に支配されるものだが、陸には、そういった経験がなかった。
魔法を制御することに精一杯だったからなのか、どうか。
いや、きっと、そうなのだろう。
だから、いま、星象現界という圧倒的な力に振り回されているのだ。
陸が初めて手に入れた、完全に制御可能にして強大無比な力。
押し寄せる幻魔を薙ぎ払い、切り裂き、突き破って、圧倒的な戦果を積み重ねる。等級など関係ない。妖級幻魔すら一蹴しうるほどの力だ。酔って当然だっただろう。が、彼は、瞬時に冷静さを取り戻す。情報官からの通信が入ったからであり、その報告が絶望的なものだったからだ。
「加納小隊、後退」
陸は、淡々と告げると、方天画戟を構え直した。
全軍に通達された後退命令を実行に移すには、幻魔の大津波を堰き止める必要がある。
その役割は、星象現界の使い手が果たすべきであろう。
ライジュウ、アンズー、ガルム、オンモラキ、ケルベロス、ヴィゾーヴニル、スレイプニル――数多の幻魔が押し寄せてきたかと思えば、遥か彼方から飛来した稲妻がそれらを消し飛ばした。
トールの雷撃である。
統魔が五星将敗北の報告を聞いたのは、皆代小隊との合流を果たし、幻魔との戦いに勤しんでいた最中のことだった。
万神殿の発動と維持、酷使によって星神力の大半を消耗してしまった統魔は、仕方なく、能力の一部を解除していた。つまり、星装と一体化した星霊たちのうち、十一体を光輪に戻し、星域も解除したのだ。残り四体の星霊は、隊員たちに貸与したままだが、そうしなければ、この激戦区を生き残ることは難しいのではないかという統魔の判断は、まず正しかった。
事実、皆代小隊の戦場は、激戦区中の激戦区であり、生半可な戦力では瞬く間に押し潰されるに違いなかった。
そんな戦場にあって、星将たちがトールに敗れたという報告が届けば、統魔も、そちらに意識を向けざるを得ない。
前方。
トールの並外れた巨躯から立ち上る雷光の柱は、遥か上天の雷雲に突き刺さり、その途中に雷球が浮かんでいる。雷球から迸るのは、数多の稲妻。それは、雷神の庭全土に飛散し、直撃とともに大爆発を起こしているようだった。
統魔は、拳を握り締め、トールを睨んだ。
トールが、こちらを見た気がした。




