第千二百五十五話 星々煌めき、雷轟く(五)
城ノ宮日流子は、英霊となった。
雷魔将トールとの死闘の末に命を落としたのではない。トールとの戦いの最中、その命数が尽きる直前、サタンによって命を奪われたことが、後の調査によって判明している。
直接の死因は、トールではない。
よって、トールそのものに対する復讐心というのは、星将たちは持たない。そのような個人的な感情に支配され、突き動かされるようでは、星将は務まらないのだ。ただ、斃すべき鬼級幻魔の一体でしかない。
滅ぼすべき大敵。
個人的な感情よりも優先するべき任務であり、使命。
それだけが、星将たちを動かしていた。
だが、しかし、トールみずからが日流子の尊厳を踏みにじるというのであれば、話は別だ。
日流子を女神などと言い放ち、女神像を星象現界の中に具現するだけでなく、日流子自身を完璧に近く再現した星霊を具象するなど、言語道断というほかない。
幻魔を滅ぼすために己が命を燃やし尽くした日流子の生き様を否定し、すべてを踏みにじったのだ。
星将たちへの、戦団への挑戦そのものといっていい。
それがトールの星象現界の深奥にして星髄なのだとしても、いや、だからこそ、余計に腹立たしかったし、許せなかった。激しい憤りが全身を包み込み、燃え上がらせていくのがわかる。
瑞葉は、体温が急激に上昇するのを認め、矛を握る手に力を込めた。全身の細胞が熱を帯び、血液が沸騰していく錯覚。そう、錯覚だ。怒りの余り血液が熱を帯びるなど、ありえない。しかし、そう感じているのは事実であり、認めざるを得ない。その想いが、魔法に反映される。
「日流子を侮辱するなど、このわたしが許さない!」
海神三叉を振り下ろし、トールの頭上から破壊的な水の奔流を降り注がせる。それはさながら大瀑布の如くであり、トールの三十メートルはあろうかという巨躯をも飲み込み、辺り一帯を水没させていく。だが、
「侮辱?」
トールの全身から溢れる星神力が雷の渦となって吹き荒び、大瀑布をものの見事に粉砕していくと、その拳が瑞葉を捉えていた。直撃。五重の魔法壁が粉々に砕け散り、衝撃が瑞葉の全身を貫く。危うく意識が吹き飛びかけるが、どうにか大地に矛を突き立てることで地面への衝突を免れる。ぐらりと視界が揺れた。
いくら痛覚を遮断していても、身体が損傷しなくなるわけではない。むしろ、痛みを感じないがために、自分の身体に起きている危機的状況を察知するのが遅れることもある。そして、その遅れが致命的なものになることも、ありうるのだ。
故に、導衣による痛覚遮断は、最終手段とされる。
そして、そのような最終手段を用いなければならないのが、鬼級幻魔なのだ。
「違う、違うぞ、人間よ。我は、城ノ宮日流子を賞賛しているのだ。我が蒙を啓き、我に人間の底力を、魔法の極致を教えてくれた城ノ宮日流子こそ、我が師、我が女神! 我は、城ノ宮日流子を信仰しているのだぞ! 故にこそ、我が星象現界は、星の形は、城ノ宮日流子そのものとなったのだろうな!」
トールは、大真面目に告げた。その雷鳴のような大音声は、真っ直ぐ過ぎて、正直過ぎた。だからこそ、星将たちは、不快な気持ちになり、トールを睨みつけるのだ。
「あほ抜かせ」
「悪い冗談ですね」
「まさに悪夢だね」
「まったくだ」
星将たちは、ただただ、怒りにその手をわななかせた。感情の赴くままに構築される律像が、破壊的な魔法の設計図を描き出していく。
人間を低劣にして愚昧な存在と見下す幻魔が、そのような考えを持つはずがない――人間ならば、導士ならば、だれもがそのように結論づけるし、トールの言動に惑わされることなどありえないのだが、しかし、トールの声に嘘はない。
その事実が、感情を逆撫でにする。
トールは、純粋に日流子を称賛し、尊敬し、信仰すらしているのだろう。だが、それが、そのような行いが、日流子のすべてを侮辱し、冒涜し、尊厳を踏みにじり、死すらも奪おうとしているのではないか。
それは、星将たちが怒り狂うには、十分すぎる理由だった。
怒り。
純粋な感情の激発。
「許さない……!」
「我がなぜ、汝らに許しを請う必要がある。我はただ、初めて、魔法の師を見出した。我ら幻魔は、生まれながらの魔法士。出来損ないの人間のように魔法を学ぶ必要もなければ、機会もない。なぜならば、我らの魔法は、呼吸に同じ、体を動かすのに同じだからだ」
ふと気づくと、トールの右肩に星霊・日流子が立っていた。本物の日流子と寸分違わぬ、されど、完全に異なる存在であるそれは、当然、瑞葉たちを敵視している素振りを見せていた。超然たるまなざしに宿るのは、莫大な星神力。その全身が星神力の結晶なのだから当たり前だ。
「我は、汝ら戦団の導士との相見え、星象現界を目の当たりにしたことで、人間の底力を知った。そして、城ノ宮日流子との闘いの中で、魔法の奥深さ、星象現界の極致を視たのだ。城ノ宮日流子こそ、我が長年求め続けていたもの。故に、城ノ宮日流子を女神とし、我が神殿に祀ったのだ。この雷霆神宮殿に」
トールが言葉を紡げば紡ぐほど、星将たちの感情は激しく揺さぶられた。もちろん、トールの考えに同調することなどありえない。ただただ、激情が渦巻くだけであり、爆発までのカウントダウンが加速するだけだ。
「視よ、人間どもよ。これぞ我が星象現界、これぞ我が星霊、我が女神の姿よ!」
トールが軽く右腕を掲げると、右肩に立っていた星霊が、その上を戦場への架け橋の如く駆けだした。巨大な手のひらを蹴って、飛ぶ。
「妄言を!」
「我が言を否定しようというのであれば、斃すことよ」
「はっ」
朝彦は、怒りの余り、トールへと飛びかかっていた。そして、視界を真っ二つに切り裂かれる。
「なっ――」
朝彦が絶句したのは、つぎの瞬間、さらに剣閃が翻り、右腕が切り飛ばされていたからだ。腹を蹴られ、地に叩きつけられる。
星霊だ。
日流子の姿をした星霊は、星将にも匹敵する、いや、遥かに陵駕する力を持っている。
「朝彦!」
「蒼秀!」
「わかっている!」
蒼秀が強襲を受けたのは、朝彦が蹴り飛ばされると同時だった。猛然と突っ込んできたかと思えば、矛の切っ先が閃き、無数の斬撃を浴びせてきたのだ。蒼秀が受け止められたのは、そのいくつか。大半は、蒼秀の体を切りつけ、致命的とさえいえる一撃を叩き込んでいる。
だが、蒼秀もただではやられない。
「空雷」
「天之瓊矛・自凝――」
蒼秀渾身の雷撃は、星霊がその全身を岩石群で覆ったがために受け流されてしまった。そして、岩石群の中から、星霊の姿が染み出してくる。
「――天衣無縫」
「させないよ」
星霊と蒼秀の間に飛び込んだのは、九乃一の星霊・児雷也。闇そのものの黒装束を靡かせ、颯爽と割り込んだ児雷也は、その背後から巨大な手裏剣を取り出すと、矛の切っ先を受け止めて見せた。だが、それは悪手。瞬間、児雷也の体がずたずたに引き裂かれ、ばらばらになってしまったのだ。
九乃一は、なにが起こったのかもわからないまま、星霊の追撃によって地面に叩きつけられた。腹に大穴が開く。そして、九乃一は、星霊の無慈悲な顔を見た。それは城ノ宮日流子とは似ても似つかない表情であり、やはり、トールはなにも理解していないのだと確信する。
しかし、だからなんだというのか。
信仰とは、そういうものではないか。
「させるものか!」
怒号とともに星霊に殺到したのは、瑞葉。その勢いのまま、全力で斬りかかるものの、星霊に軽々と受け止められてしまう。星霊の矛が、白金の雷光を帯びた。
「どこが日流子よ! 似ても似つかない……!」
「そうだね、まったく、似ていない。似ているのは外見だけだ」
九乃一は、治癒魔法で腹の穴を塞ぐと、素早く起き上がった。児雷也を復元しつつ、トールを見遣る。
トールはといえば、照彦が銀河守護神《G・ガーディアン》に全力を注ぎ込むことで同程度に巨大化し、それによってどうにか抑えつけようとしているところだった。が、上手く行っているようには見えない。
いくら体積の差を埋め合わせたところで、、魔素質量が桁違いなのだ。
鬼級幻魔には、最低三名の星将が必要だと規定されている。
しかし、トールの力を見る限り、三名ではまったく足りず、それどころか、五名ですら足りない可能性があった。
「トールは、星髄に至った。だったら、ぼくたちも星髄に至らなければ話にならない……ってことだ」
「はは、簡単にいうてくれはりまんなあ」
「だが、事実だ」
朝彦と蒼秀が戦線に復帰したものの、ふたりとも万全の状態ではない。朝彦は右腕を失ったままであり、左手に秘剣陽炎を握っている。蒼秀は、満身創痍で、回復が間に合っていない。
そのとき、銀河守護神の上半身が消し飛んだ。
トールの雷鎚が直撃したからだ。




