第千二百五十四話 星々煌めき、雷轟く(四)
トールは、ラファエルなどと名乗った鬼級幻魔が去っていた方向を見遣り、その遥か彼方にクシナダの気配を感じ取って目を細めた。クシナダが、動いている。つまり、地霊の都の戦況が思わしくないということではないか。
が、そんなことは、トールにはどうでもいいことだ。少なくとも、いま、目の前の闘争よりも重要なことなど、なにひとつない。
オトロシャすらも、トールの意識の外だった。
「……つまらぬ横槍が入ったが、まあ、よい」
トールは、眼前の敵に意識を集中させると、星象現界の使い手たちと対峙した。人類最高峰の魔法士たち。その魔素質量たるや、並の幻魔など比較にならないほどに素晴らしいものだ。超人的といっていい。
だが、足りない。
圧倒的に足りないのだ。
これでは、あのとき、あの瞬間の城ノ宮日流子には到底及ばない。
つまり、トールが万にひとつも敗れる可能性がないということにほかならないのだ。
それでは、満たされない。
雷鎚を掲げ、遍く雷雲を呼ぶ。この雷神の庭を覆う異常気象、そのすべてが彼の魔法だ。雷霆神宮殿は、彼の魔法を何十倍、いや、何百倍にも増幅している。威力も、精度も、範囲も、飛躍的に向上しているということだ。
天から降りしきる雷も、先程までとは桁違いの破壊力を見せ始めており、既に何十人もの魔法士を打ちのめしている。幻魔も巻き添えになっているが、どうでもいい。
戦団優勢になりつつあった戦況が、一瞬にして覆され始めている。
トールただ一体のために。
故にこそ、星将たちは死力を尽くす。
まず動いたのは、朝彦。トールの眼前へ、無造作に飛び込んだ彼は、当然のように稲妻を浴びた。だが、朝彦は斃れない。
「朧」
朝彦の姿が陽炎のように揺らめき、消えると、トールの背後に現れた。魔素質量すら欺瞞する秘剣陽炎の真骨頂。トールが即座に雷鎚を叩きつけるが、空を切っている。それもまた、陽炎だ。
そこへ、
「水飛沫!」
瑞葉の海神三叉が極大の水塊を撃ち出した瞬間、
「忍法・闇影縛首」
九乃一と児雷也がトールの影に魔法の帯を絡ませることにより、その巨躯の動きを封じ込め、
「天雷」
「真零大破剣《Z・ソード》」
蒼秀が八雷神の全力を込めた雷撃を叩き込み、照彦が銀河守護神《G・ガーディアン》の極大光剣で斬りつけた。
さしものトールも、翻弄された挙げ句、身動きひとつ取れなくなれば、護りを固めることすら叶わず、すべての攻撃をその身で受け止める羽目になった。大打撃。十分すぎる手応え。だが、こんなもので斃れるトールではあるまい。
その程度、星将たちも理解しているし、だからこそ、
「畳みかける!」
蒼秀の号令に星将たちはうなずき、倒れ行くトールの巨躯へと殺到した。海神三叉が激流を呼び、銀河守護神の光剣が閃き、児雷也が分身して斬りつければ、雷撃が止めどなくトールを襲う。朝彦は、秘剣陽炎でもってトールの胸元を切り裂き、さらに光魔法を叩き込んだ。しかし、
「おおっ!」
トールの口から漏れたのは、歓喜の声だ。
この状況を意に介してもいない雷魔将の声は、そのまま真言となり、大量の雷が星将たちを襲った。が、それらは、銀河守護神が掲げた光剣によって吹き飛ばされたため、問題はない。
問題があるとすれば、トールだ。
「これは……」
蒼秀が思わず吐き捨てたのは、トールの巨躯に刻まれた傷口から満ち溢れる莫大な星神力を目の当たりにしたからだ。
すべての傷口から膨大すぎる星神力が漏れ出ており、それらは雷光となって渦を巻いた。大気を焼き、魔素を焦がし、触れるもの全てを燃焼させるような星神力。
これほどまで高密度の星神力は、ほとんど記憶にない。
「やはり、そのようだ」
蒼秀は、確信とともに、その場を飛び離れた。白金の雷光が螺旋を描き、蒼秀を追撃する。互いに雷属性同士。決定打となるのは、威力。威力だけが、属性相性を蹂躙する。
そのため、蒼秀は護りを固めざるを得ず、トールの巨躯が起き上がる様を見届けるよりほかなかった。
星将たちの猛攻を受けてもなお、トールは、当然のように立ち上がって見せたのだ。その全身に充ち満ちた星神力を見せつけるかのような大仰さで。
「奴は、星極どころか、星髄へと至っている」
「認めたくないけど、どうやらそうらしい」
九乃一は、蒼秀に同意しつつ、児雷也の上半身が吹き飛ぶ瞬間を見ていた。それだけではない。朝彦も危うく命を落としかけていたし、銀河守護神の右腕も消し飛んでいる。
「星極……星髄……? なんだそれは?」
「おまえが知る必要のないことや」
朝彦は、辛くも窮地を脱すると、上空へと飛び上がった。雷光が周囲を駆け巡っている。
「星髄……」
瑞葉は、海神三叉によって大津波を引き起こすことでトールの下半身を飲み込んだものの、それがトールの行動を封じることすらできないという事実を認めた。
トールが星髄に至ったという想像が正しければ、当然の結果といわざるを得まい。
星極、そして、星髄。
それらは、つい先日、戦団魔法局が明らかにした星象現界に関わる言葉であり、魔法用語というべきか。
星極とは、星象現界を発現できるだけの魔素総量のことを意味する。つまり、星極に達したものであれば、だれであれ星象現界を発動できるということがわかったのであり、それによって全杖長が星象現界を修得したというわけだ。
それは、相馬流人の導衣に残された音声情報によって解明された驚くべき事実であり、これまでの星象現界の定説を大きく覆す出来事だった。
そして、星髄。
これもまた、相馬流人が解明したのだが、どうやら、星象現界とは、それを発現しただけでは本当の力を発揮できるものではないらしい。
星象現界とは、〈星〉の象を世界に現す、と書く。
〈星〉とは、魔法士ならばだれもが持つ、魔法の元型のことだ。ひとは、魔法士は、それら〈星〉を源とし、己が想像力を魔法として具象するのだという。
そして、星象現界は、その〈星〉そのものを己が意思によって具象させる技術であり、技法だとされてきた。
だが、ただの星象現界は、〈星〉の表層を具象しているだけであり、真の元型を具象するには、星極に達するだけでは足りないなにかが必要なのだという。
相馬流人は、死に瀕し、命のすべてを灼き尽くしていく中で、それに達した。星象現界の変異が、それを示している。
そしてその星象現界の変異の状態を、星髄と名付けたのであり、星将たちは、日夜、星髄に至るために地獄のような修練を続けていたのだが。
トールが、星髄に至った。
それはつまるところ、星象現界になにがしかの変化が起きていてもおかしくはないということではないか。
「星髄に至るために必要な条件が、星極と同じなら、魔素総量なら……鬼級幻魔には容易い、ということか」
「冗談きついですって、ほんま」
蒼秀が眉間に皺を寄せながら雷撃を躱し、朝彦もまた、攻撃を回避する。凄まじい速度の攻撃。それも、トールのいる方向からではない。背後から、だ。
「はっ!?」
朝彦は、思わず素っ頓狂な声を上げてしまったことに気づいたものの、もはやどうしようもなかった。秘剣陽炎の能力で己が姿を隠しつつ、さらなる攻撃から身を守る。
攻撃は、トールからではない。
トールとはまったく別の、だが、力の根源を同じくするもの。
「ようやく我が力、馴染んできたようだぞ、人間たちよ!」
トールが、全身に漲る星神力を雷光の奔流へと変じさせながら、いった。その視線は、星将たちではなく、神殿の中心へと注がれている。
雷霆神宮殿の中心。
城ノ宮日流子を象った女神像が聳え立っていた場所へ。
だが、そこには女神像はなく、そこに立っていたのは。
「見よ、我が女神を!」
トールが歓喜に満ちた声を上げた。
「そんな馬鹿な!」
叫んだのは、瑞葉。だが、星将のだれもが、彼女とまったく同じ感情だっただろう。衝撃と混乱、動揺と驚愕、そして怒り。
「あれが……奴の星象現界、その星髄だというのか」
女神像の代わりにその場に佇んでいたのは、白金色の雷光を帯びた城ノ宮日流子そのものであり、その手には、星装・天之瓊矛にも似た雷光の矛が握られていた。
それは無論、城ノ宮日流子本人ではない。彼女の姿をした星霊なのだが、頭の天辺から足のつま先まで、寸分の狂いなく再現されていたのだ。
その事実を認識したとき、五星将のいずれもが、我知らず叫んでいた。




