第千二百五十三話 星々煌めき、雷轟く(三)
「あかん」
朝彦は、瞬時にその場から飛び出そうとしたが、うねる雷光の奔流に遮られ、むしろ後退しなければならなかった。
雷霆神宮殿は、前回とは比較にならない規模になっただけでなく、性能も遥かに向上していることが一目でわかった。
トールが星象現界を理解し、その性能を極限まで引き出したからに違いなく、それは、星将たちがいままさに取り組んでいることを我が物にしているという証明ではないか。
だからこそ、朝彦は、ミオリたちの暴走を止めなければならないと思った。
ミオリ率いる第五軍団幹部たちが飛び出してきたのは、トールへの怒りの余りに我を忘れからだということは想像に難くない。
朝彦の命令を無視し、神殿への接近を試みていたのがミオリたちだ。団法会議ものの命令違反。とはいえ、このような状況で処罰している場合でもなければ、彼女たちを後方に送るわけにもいかない。ミオリたちは、れっきとした主戦力なのだから。
だからこそ、最前線に置いていたのだが、それが徒となった。
まさか、女神像を目の当たりにして暴走するとは、想定外だった。
(いや、当然やな)
朝彦は、舌打ちし、己が失態を詰った。
女神像は、寸分の狂いもなく、完全無欠といっても過言ではないほどに城ノ宮日流子を象っていたのだ。導士ならば、だれがどう見ても、日流子を模した像と断定するだろう。それほどの完成度。完璧といっていい。
ミオリたちへの同情が湧く。
彼女たちがそれまでどうにか理性を保つことができていたのは、トールを撃滅することさえできれば、日流子の敵を討つことになり、あの日の自分たちの不甲斐なさにも決着をつけることができるという考えがあったからなのだ。
たとえ、自分たちが直接手を下さずとも、戦団の戦術が、軍団長たちが雷魔将を討滅するというのであれば、納得も行く。
それでどうにか抑えていた感情が、日流子を模した像の出現と、それを女神と呼び、神殿の中心に配置しているトールの悪辣ぶりに噴出したのだ。
堰を切って溢れ出した激情は、もはやどうすることもできまい。ただ激流となって駆け巡り、終点へと向かうまでだ。
無論、終点へと、破滅へと至る前に食い止めることが上司たる朝彦の役目であり、そのためにこそ、秘剣陽炎を振り翳すのだが。
(早いな)
朝彦が秘剣陽炎の能力を発揮したときには、トールがミオリたちに目を付けている。
さらには、雷霆神宮殿のあらゆる場所で雷が降り注ぎ、稲妻が駆け巡り、電流が渦巻いているのだ。雷は柱となり、壁となり、天蓋となって、雷神の宮殿を構築しており、移動を制限している。
朝彦がミオリたちの元へ向かったところで、もはや間に合わないのではないか。
トールの雷鎚が天に掲げられれば、頭上から極大の雷が降ってきた。天地を引き裂くのではないかと思うほどの落雷。閃光が視界を満たし、轟音が鼓膜を潰す。トールがその巨体で雷光を浴びると、さらに巨大化した。一回り、いや、二回りか。魔素の総量そのものに変化はないが、質量は段違いだ。巨大化した魔晶体は、それそのものが破壊力を増大し、防御力を引き上げるに違いない。
ミオリたちが一斉にトールを攻撃しようとしたのも束の間、雷魔将は、姿を消した。わずかばかりの電光が虚空に残り、ミオリたちの攻撃が空を切る。数多の星象現界、星神魔法。空間が揺らぐ。つぎの瞬間、トールの巨躯がミオリたちの頭上に現れた。朝彦が手を伸ばしたが、当然、間に合わない。
「あかん――」
刹那、風が吹いた。
それは、ミオリたちを押し潰そうとしたらしいトールの巨躯を容易く打ち上げ、遥か上空へと運んで行くと、鋼の如き魔晶体をずたずたに引き裂いていく。緑の颶風。螺旋を描き、天へと昇っていく様は、龍のようだ。
「なんや……?」
「あれは……」
「報告にあった天使だな」
「熾天使……かな」
星将たちは、翡翠色の竜巻に包まれながら地面に落下し、その衝撃で周囲一帯に大地震を引き起こしたトールが、何事もなく立ち上がる様を認め、それと同時に乱入者を見た。
それは、ミオリたちの頭上に現れたのだ。
風とともに。
「天使……」
ミオリは、呆然と、それを見ていた。
翡翠色の天使は、三枚六対の翼を広げ、こちらを見下ろしていた。空色に輝く瞳は、天使のそれだ。幻魔の赤黒く禍々《まがまが》しい眼とは異なる、天使の眼。その違いにどのような意味があるのかなど、わかろうはずもない。
ただひとつ理解できるのは、その天使が、ミオリたちを窮地から救ってくれたということであり、いまのいままで冷静さを欠いていたという絶望的な事実である。
「む……」
天使は、なにやら困惑したような表情を浮かべると、すぐさまトールに視線を戻した。
トールは、天使を睨み、ついでに星将たちを見回したものの、ミオリたちは黙殺した。当然だ。当たり前の結果。道理というほかない。
「わたしたちは、敵ではない……か」
ミオリは、己の不甲斐なさを恥じるのではなく、不明をこそ、恥じた。状況を弁えず、力の差を理解せず、感情の赴くままに力を用い、暴走した挙げ句、部下たちをも窮地に追い遣ってしまった。
自分だけならば、いい。
独り勝手に死ねば、それで済む話だ。
だが、そのために、自己満足のためだけに、部下を巻き込むなど、言語道断も甚だしい。
「わたしは……」
天使を騙る幻魔に護られたことで、急激に冷静さを取り戻したミオリは、杖長たちとともに後ろに下がった。いくら星象現界を使えるからといって、星将たちと鬼級幻魔の戦いについていけるかといえば、そんなことはないのだ。
次元が、違う。
星象現界を発動した星将たちの動きを目で追うことすらやっとなのだ。
星将たちの戦いに邪魔が入らないよう、トール軍の幻魔たちを排除することしかできないし、そうするべきだった。
復讐だの敵討ちだの、そういうことは、力があってはじめて口にするべきことであり、ミオリたちには到底できることではなかった。
「……わかったんやったら、ええわ」
朝彦は、ミオリたちが主戦場から下がっていくのを見て取って、安堵した。幻魔に救われたことが余程衝撃的だったに違いない。朝彦が彼女の立場でも、同じような反応をしたかもしれない。
幻魔とは、人類の天敵であり、絶対に相容れない存在なのだ。
自分が招いた窮地を幻魔に助けられるなど、導士にとってもっとも恥ずべき事態であろう。
それから、トールと天使の睨み合いに意識を移す。
「汝は何者ぞ。並の幻魔ではないことは確かだが……」
「ラファエル」
「む?」
「ぼくはラファエル。天軍四大の一翼にして、風を司る熾天使」
告げるが早いか、ラファエルと名乗った熾天使は、六枚の翼を輝かせた。瞬間、凄まじい突風が巻き起こり、トールの右肩が抉れ、右腕が吹き飛んでいた。
そして、ラファエルが姿を消した。
「は!?」
朝彦は、ただただ驚くしかなかった。あまりの速度にラファエルの姿が見えなくなった、というわけではない。ラファエルの魔素質量そのものが、この戦場から消え去ったのだ。
「なんやねん! いったい!」
「名乗るだけ名乗ってどこかに行ってしまったな」
「本当に、なんなのかしら、ねっ!」
瑞葉が、わけのわからない乱入者への怒りも露わに海神三叉を振り上げる。巻き起こるのは、破壊的な渦潮であり、それはトールの足元から下半身を飲み込むほどに膨張していく。星神力の奔流。無制限に増大し、ぶつかり合いながら破壊を加速する。
そこへ、銀河守護神《G・ガーディアン》が飛びかかり、トールの横っ面を殴りつけるも、雷魔将は微動だにしない。おもむろに、雷鎚を銀河守護神に叩きつけた。すると、銀河守護神の上半身が消し飛ぶ。
「なんという威力……これは、やはり……」
「だとしたら、最悪だね」
照彦がなにを想像しているのかについて問いただすまでもなく理解できるから、九乃一も歯噛みした。児雷也をけしかけつつ、自身も魔法を練り上げる。星霊使いに限った話ではないが、星象現界は術者の戦闘能力を飛躍的に向上させることこそが重要なのだ。
だからこそ、星将たちは、トールへの警戒を強め、全神経を集中させるのだ。
元より、鬼級幻魔だ。
並大抵の戦力では、まともに戦うこともままならないと判断し、故にこそ、五名もの星将が投入されている。
通常、鬼級幻魔打倒には、最低でも三名の星将が必要だとされている。三名が最低条件であり、三名で当たれば必ず斃せるというわけではない。鬼級に区分される幻魔の戦闘能力が一律ならばまだしも、そうではないのだ。
しかも、星象現界を駆使する鬼級となれば、必要最低限の三名ですらまったく物足りないのではないか、という戦団上層部の想像は、当たった。
五名でも、足りないかもしれない。




