第千二百五十二話 星々煌めき、雷轟く(二)
それはまさに雷鳴だった。
雷神の庭のみならず、恐府そのものを震撼させるほどの轟き。天地を打ち砕く雷が降り注ぐ予兆にして、戦況を混沌とさせるであろう前触れ。
いや、恐怖と絶望の予告というべきか。
「雷霆神宮殿」
トールの口から発せられた真言は、瞬時にその魔法をこの世に具象させた。
雷魔将トールの星象現界、雷霆神宮殿。
トールの全身から迸る膨大にして破壊的なる星神力が、物凄まじい雷の嵐となって吹き荒ぶ。世界そのものを蹂躙するようにして激しくうねり、唸りを上げていくのだ。律像は星々の輝きを放ち、星将たちの攻撃も虚しく、星象現界の発動を宣言する。
星将たちは、発動を食い止めるべく、攻撃したのだ。一斉攻撃。それこそ、全身全霊の攻撃の数々は、しかし、見事なまでの空振りに終わった。
爆発的に膨張する星神力がすべての攻撃を撥ね除け、星将たちをも吹き飛ばした。
そして、世に雷光が満ちた。
絢爛たる輝きが、荘厳たる煌めきが、神々《こうごう》しい光が、吹き荒れる雷の嵐の中に満ち溢れ、星将たちの視界を塗り潰し、意識を染め上げていく。
いや、星将たちだけではない。
この戦場にいるすべての導士、すべての幻魔、すべての存在の視界も意識も雷光で埋め尽くしていく。
それも、一瞬にして、だ。
破滅的な力の奔流が全周囲を覆い尽くしていく感覚は、絶体絶命の窮地に等しく、蒼秀は歯噛みする。大気中の魔素という魔素が焼き尽くされ、焦げた臭いが鼻を突く。
そして完成した雷神を名乗る幻魔の星象現界、その効果範囲の凄まじさは、星将たちをも容易く圧倒するほどのものだった。
「これは……」
「これが……」
「トールの……」
「星象現界だと……」
「はっ、悪い冗談やで、ほんまに」
朝彦は、悪態を吐くことでどうにか冷静さを保とうとしたが、どうやら上手くはいかなかったようだった。冷静さを欠いているからこその、雑言。
雷霆神宮殿に関する情報は、その最初の発動の現場にいた導士たちの導衣の記録から収集、分析され、共有されている。
空間展開型星象現界の一種であり、属性は雷。その名の由来は、北欧神話の雷神トールの宮殿からに違いない。
雷神トールを名乗る鬼級幻魔に相応しい星象現界であり、その星域の中では常に破壊力抜群の雷が吹き荒れるだけでなく、トールの力が増大することが確認されている。
事実、瑞葉には、トールの魔素質量が何倍にも膨れ上がっているのが感じ取れたし、吹き荒ぶ稲妻から我が身を守ることにも意識を割く必要を感じ取っていた。多重魔法防壁が容易く突破されていくのだ。星神魔法の防壁が必要不可欠だった。
だが、問題は、そんなことではない。
その規模だ。
「冗談などではないぞ、人間たちよ。汝らが我に挑戦状を叩きつけたのだ。ならば、我も全身全霊の力を以て、相手をせねばなるまい。でなければ、我が女神に失礼であろう」
トールは、星将たちが雷霆神宮殿の中にあって、動揺することなく戦闘態勢を整えたことに賞賛すらしたい気分だった。
さすがは、星将というべきか。
戦団に集いし星々の中でも、将たる煌めきを放つものたち。
その類い希なる魔法技量、鍛え抜かれた戦闘能力、研ぎ澄まされた判断力――いずれを取っても、筆舌に尽くしがたい。
ただの人間とは比較にならない猛者であることは、疑うまでもなかった。
なんといっても、トールをして、ここまでの力を出させたのだ。
トールの雷霆神宮殿は、雷神の庭全域に渡って展開しており、雷神の庭の至る所に巨大な雷の柱が聳え立っていた。無数の柱を結ぶ雷光の壁、頭上を覆う雷光の天蓋、いずれも白金色であり、超高密度の星神力そのものだった。
その魔素質量たるや途方もないものであり、星将たちとは比較しようのないものだった。
だが、朝彦は、トールの発言にこそ、引っかかりを覚えた。先程から、ずっと、だ。
「我が女神、我が女神ってなんやねん、いったい」
「……見ろ、朝彦」
「はい?」
「あれが……奴の女神だ」
蒼秀が苦々しいまなざしで見つめる先に目を向ければ、確かに、それはあった。
トールの背後、雷霆神宮殿の中心部に聳え立つそれは、見るからに巨大な女神像そのものだった。トールの星神力たる雷光で構築された女神像。その女神こそが、この雷霆神宮殿に祀られる神であるとでもいわんばかりであり、その勇ましく、凜然とした表情と、異形の矛を構える立ち姿は、闘争を司る存在であるかのようだった。
だが。
「女神……ですって」
「どういうことだ?」
「なにを……」
瑞葉が唾棄し、海神三叉の切っ先をトールに向けるのも無理からぬことだったし、九乃一や照彦が混乱さえするのも当然だった。
朝彦も、女神像の顔を見つめて、その既視感の正体に気づいたときには、愕然とするほかなかった。どこかで見た顔どころではない。彼女の顔は、星将たちの記憶に刻まれ、網膜に焼き付いている。
「日流子はん!?」
そう、トールの女神像は、城ノ宮日流子を模していたのである。
「女神……」
美乃利ミオリは、トールの背後に出現した女神像、その凜然たる立ち姿を目の当たりにして、眩暈すら覚えていた。
トールが口にした女神という言葉がなにを意味するのか、まるで想像がつかない。
女神像は、神々しく飾り立てられているものの、城ノ宮日流子そのものであり、手にしているのは星装・天之瓊矛を完璧に再現したものだ。
闘争の化身の如く矛を構えるその姿は、トールとの戦いにおける日流子の記憶と重なる。
トールがなぜ、雷霆神宮殿の中心に日流子を象った女神像を配置しているのかは、わからない。
(わかりたくもない……!)
怒りが、ミオリの意識を震わせ、全身をわななかせていた。全身の細胞という細胞が熱を帯び、血液が逆流していくような感覚。それは錯覚などではない。確かに逆流し、心臓を打ちつける。激昂。
ああ、きっとこれが本当の怒りなのだ――と、ミオリは実感した。そしてそれが決して制御できないものだと悟ったとき、彼女の周囲に律像が輝き、星々の如き光を発していた。
「天衣織女」
真言の発声と同時に発動したミオリの星象現界は、化身具象型である。彼女の背後に降臨した美しい女神がそれだ。星霊は、ミオリを無数の光の糸で包み込み、武装していく。
天衣織女は、光属性の星象現界であり、その能力は、補助に特化している。つまり、補型魔法専門の星霊ということであり、化身具象型でありながら武装顕現型のような性質を持つ、特異な星象現界なのだ。
同時に、彼女に同調する動きがあった。ミオリの側にいた杖長たちである。
人丸真妃の星霊・影狼、大黒詩津希の星装・金剛武神拳、二見昴の星装・七星剣、福里文雄の星域・冥海、別所晴樹の星装・水天大戦槍――いずれ劣らぬ星象現界の同時発動は、ミオリたちの感情が同期していることを示していた。
つまり、怒りだ。
トールへの限りない怒りが、ミオリたちを突き動かしていた。
心の底から敬い、愛し、崇拝すらしていた日流子を死の間際まで追い遣っただけでなく、その死すら侮辱するトールのすべてが、彼女たちには許せなかった。
だから、言葉を交わす必要もなければ、確認を取る理由もなかった。ただ目線を交わせば、皆がうなずき、死地へ赴く覚悟を決めた。
地を蹴り、突き進めば、雷鳴の震源地まであっという間だ。
雷霆神宮殿の柱も、壁も、ミオリたちの障害にはならない。容易く突破し、トールへと肉迫する。
そのとき、トールが銀河守護神《G・ガーディアン》を吹き飛ばしたものの、海神三叉の激流の直撃を受け、態勢を崩した。星将たちの猛攻が殺到する。
その機を逃す、ミオリたちではない。
「日流子様を侮辱するなあああっ!」
喉が張り裂けんばかりのミオリの咆哮は、少なくとも、トールの注意を引くことに成功した。




