第千二百五十一話 星々煌めき、雷轟く(一)
トールは、人間たちを視ていた。
黄金の甲冑を纏う隆々《りゅうりゅう》たる巨躯は、全長十メートルを優に超え、その目線は、空中に布陣する魔法士たちとほとんど変わるまい。眼前、展開するのは、星将たち。人間の、戦団の最高戦力たち。彼らの全身から満ち溢れるのは、矮小にして惰弱なる人間とは思えないほどの莫大な魔力。魔力をより高純度に練り上げ、昇華現象を起こしたそれは、星神力と呼ばれるものであるらしい。
星神力。
あるいは、アストラル・エーテル。
それは、トールの巨体にも漲っている。いまにも溢れ、大気中の魔素を掌握せんとするほどの密度であり、強度だった。魔力を星神力へと昇華するだけで、これほどの戦闘能力の向上を見込めるとは、さしものトールも想像したこともなかった。
幻魔は、成長しない生き物だ。
生まれ持った力が全てであり、どれだけ鍛えても、強度は変わらない。技術を磨き上げれば、戦闘能力を向上することも不可能ではないだろうが、それにも限度がある。魔法による能力強化も、結局は、生まれ持った力の延長に過ぎず、それを持って成長とはいうまい。
他者からの力の付与によって強化が見込めるのは、妖級以下の幻魔だけだが、それも成長とは違うはずだ。
つまり、トールは、大きく成長した稀有な幻魔だということだ。
充ち満ちた力が雷光となって迸り、周囲の大気を燃え上がらせ、稲光を走らせる。縦横無尽に駆け巡る電流が、飛び散る火花が、雷魔将の、雷神の力を見せつけている。
ただ立っているだけだというのに、凄まじい迫力と圧力を全周囲に放出し、空間そのものを歪めていくのだ。
敵は、五人の星将。
それらはそれぞれに星象現界を発動しており、莫大極まりない星神力を放っている。トールと対等以上に戦い、トールを撃滅するために。
トールは、口の端を歪めた。歓喜。ただ素直な喜びの感情だけが、トールを満たしている。
「人間よ! 戦団の魔法士たちよ! よくぞ、ここまで辿り着いた! 我が庭を踏破し、ビルスキルニルに辿り着くことだできたのは、汝らが初めてだ! 我が全身全霊の力を以て、盛大に歓迎しようぞ!」
トールの大音声は、雷鳴そのものであり、真言である。
直後、星将たちの頭上から極大の雷が降り注いたが、光の巨人がその拳を振り上げて、打ち払った。雷光が飛び散り、巨人が態勢を大きく崩す。瞬間、トールが踏み込むと、どこからともなく膨れ上がった水気が大津波となって、その足元を掬おうとした。が、トールは踏み止まり、雷鎚を津波に叩きつけて粉砕して見せる。刹那、雷光がトールの視界に満ちた。眩いばかりの黄金の雷光。トールと同属性。敵ではない。
が、無視もできない。
たとえ同属性であっても、ものをいうのは、強度だ。魔法の強度だけが、勝敗を分かつ。星神力の塊である雷光を黙殺するほど、トールも愚かではない。
「大雷響壁!」
トールは瞬時に左手を翳すと、雷光の壁を構築して見せた。そこへ雷光そのものとなった蒼秀が激突、爆散する。同属性魔法による相殺である。すると、影がトールの視界を掠めた。超神速で飛び回るそれは、トールの巨躯をでたらめに傷つけていく。もっとも、トールにしてみれば、虫に刺されたようなものでしかないが。
それでも、無視はできない。
それもまた、星神力の具現であり、星象現界なのだから。
トールが無造作に雷鎚を振り回すも、影を捉えることは叶わない。捉えたと思えば、陽炎のように揺らめいて消えてしまうからだ。
朝彦の秘剣陽炎と、九乃一の児雷也による連携攻撃である。
「ビルスキルニル……この神殿の名前がか?」
疑問の声を上げたのは、蒼秀だ。八雷神を纏い、トールに突撃するも敢えなく吹き飛ばされたが、そんなもので諦めるわけもない。全身に張り巡らされた多重防型魔法のおかげもあり、負傷は軽微。一瞬、意識が飛んだが、その程度で済んでいる。
それくらいで済むのであれば、鬼級との戦いに支障はない。
「奴の星象現界の名も、そうだったな」
「北欧神話における雷神トールの宮殿だとか」
「だからか」
「星象現界にも神殿にも同じ名前をつけるやなんて、想像力が足らんのやないか?」
星象たちの会話を聞いていた朝彦が、トールの顔面を目の前に捉え、嘲笑った。トールは、にやりとするだけだ。まるで、朝彦たちとの戦いを楽しんですらいるかのような反応。朝彦は秘剣陽炎の刀身から閃光を放つと、自身の姿を消した。
そこへ、照彦の銀河守護神《G・ガーディアン》が突っ込んでいく。トールと同等の巨体を誇る光の巨人の全力の突進である。トールは、その魔素質量に目を見開き、笑った。雷鎚を振り抜き、銀河守護神の脇腹を殴りつけて吹き飛ばす。すると、超高水圧の奔流と破壊的な雷光がその背後からトールに殺到し、さらには児雷也と朝彦が攻撃を畳みかけていく。
星将たちの一糸乱れぬ連携攻撃は、トールの巨躯を意図も容易く転倒させ、さらに数多の攻型魔法の乱打によって、爆砕に次ぐ爆砕が引き起こされた。星神魔法の集中攻撃。巨大な重力球がトールを飲み込み、無数の稲妻が降り注ぐ中、逆巻く洪水が破壊を描き、大量の光の刃が四方八方から斬りつけていく。
星神力の乱舞。
「おおおおおっ!」
トールの咆哮が響き、その全身から雷光が噴き出すのだが、星将たちの攻撃は止まない。敵の攻撃など黙殺し、自分たちが傷つくことすらまったく無視して、攻撃に専念している。
導衣の機能により、痛覚を遮断しているのだ。
たとえ腕が千切れ、骨が砕かれ、内臓を損傷しようとも、致命的な状態に陥ろうとも、星将たちは、攻撃の手を止めることはない。
雷魔将トールは、オトロシャの腹心である。
戦団にとって、いや、人類にとって、いまもっとも恐るべきは、オトロシャなのだ。オトロシャと、その〈殻〉たる恐府が、人類生存圏を脅かし続けている。恐府をどうにかしなければ、オトロシャを打倒しなければ、人類に安穏たる日々は訪れない。
その安穏たる日々すらも仮初めで、欺瞞に満ちたものなのだとしても、一刻も早くオトロシャの恐怖を退けなければならないのは事実だ。
急務。
そのための戦い。
そのための史上最大の作戦。
そのためだけの雷神討滅軍――。
「雷神を名乗りたければ好きなだけ名乗るがいい。おれたちは、神であろうとも滅ぼすだけのことだ」
蒼秀が雷撃を叩き込めば、瑞葉が洪水を巻き起こし、朝彦が陽炎で斬りつけ、九乃一の児雷也は魔晶体の内部をも攻撃する。そして、銀河守護神の巨腕が唸り、拳がトールの顔面にめり込んでいく様は、圧巻だった。トールの口腔から溢れ出る雷光が銀河守護神の拳を打ち砕き、腕を吹き飛ばしていく。
「素晴らしいっ! 素晴らしいではないかっ!」
雷鳴の如きトールの声は、純然たる歓喜に満ちていた。待ち望んでいた瞬間が訪れたとでもいわんばかりの大音声。それはそのまま真言であり、極大の雷が大量に降り注ぎ、トールを中心とする周囲一帯を徹底的に破壊し尽くしていった。
星将たちが難を逃れることができたのは、どうにか飛び離れることができたからだ。一瞬でも反応が遅れていれば、肉片ひとつ残らず消し飛ばされていたかもしれない。
それほどまでの威力。
それほどまでの破壊。
それほどまでの――。
「冗談も大概にせえや……!」
朝彦の全身を覆う多重防壁が削りに削られていて、導衣もずたずたになっていた。ところどころ紅く滲んでいるのは、出血しているからだろう。だが、痛みはない。痛覚遮断機能にこれほど感謝したことはなかったし、今後、二度とないことを願うばかりだった。
もちろん、生命状態が危険域に達すれば、導衣から警告が発せられるのだが、そんなものは当てにはなるまい。
その好機を鬼級幻魔が見逃すとは、考えにくい。
爆煙が渦巻き、視界を覆い尽くしている。
トールの落とした雷は、トール自身とその周囲一帯に致命的な一撃を叩き込んだのであり、彼の神殿も跡形もなく消し飛んでいた。
もちろん、トールが自爆するはずもない。。
絶大無比な魔素質量は、依然、朝彦たちの目の前に存在しているのだ。それが星神力の塊であり、重力場であることはいうまでもない。
鬼級幻魔の星神力は、人間とは比較にならないほど莫大であり、故に、その重力場も、重力圏といったほうが正しいのではないかと思うほどに強大だ。飲み込まれれば最後、離れることもままならないという事実は、いままさに朝彦たちが実感しているところだった。
重々しい星神力が、星将たちを囚えている。
「さすがは、我が女神と志を同じくするものたちよな。我が目に狂いはなかった。我がさらなる高みへと至るためには、汝らを糧とせねばならぬ」
トールが吼え、爆煙が吹き飛ぶと、その巨躯が露わになった。先程よりも幾分巨大化したように感じるのは、きっと気のせいではあるまい。魔素質量そのものの増大と、肉体の変異。全身に纏っていた黄金の甲冑を失い、満身創痍にしか見えない魔晶体を晒しているのだが、しかし、その実、無傷に等しいのが幻魔という生き物だ。
特に鬼級は、魔晶核を破壊しない限り、無尽蔵に近い魔力と生命力を誇る。
「我が女神? なんやそれ」
怪訝な顔をしたのは、朝彦だけではない。瑞葉も、九乃一も、蒼秀も、照彦も同じだった。
「志を同じくする……わたしたちが?」
「なにをいってるんだ? あいつ」
「わかりませんね。ただひとつ確かなのは、トールがいまのいままで本気ではなかったということ」
「ああ、そのようだ」
蒼秀は、トールの全周囲に律像が折り重なる様を見た。禍々《まがまが》しくも破壊的な多層構造の律像。
星象現界の設計図。
「雷霆神宮殿」
トールの真言が、雷鳴の如く轟いた。




