第千二百五十話 星象乱舞(十)
「この程度!」
統魔は、吐き捨てるように告げ、エインへリアルの魔剣を雷杖で打ち砕いた。
エインへリアル。光属性を得意とする上位妖級幻魔である。その名は、ヴァルキリーやベルセルクと同じく、北欧神話に由来する。極めて人間に酷似した外見をしているものの、身の丈は優に三メートルを越えているという点でも、ヴァルキリー、ベルセルクと動揺だ。完成された美術品のような肉体は、輝かしい甲冑に覆われており、光を帯びた剣と盾を手にしていた。
そして、ヴァルキリー同様、破壊力抜群の攻撃魔法と堅牢強固な防御魔法を使いこなすのだが、いずれも、ヴァルキリーより一枚も二枚も上手だとされている。
だが、統魔の敵ではない。
統魔の手には、星霊ゼウスの雷杖ケラウノス。十五星霊と一体化した統魔は、星霊の魔法を使うだけでなく、星霊の武器を自在に取り出すことができた。雷杖を振り翳し、極大の雷を落としてエインへリアルを粉砕すると、左手の大剣を振り抜く。衝撃波を巻き起こし、前方広範囲の幻魔を薙ぎ払ったのだ。
統魔に殺到する攻撃は、星霊の武具による自動防御もあるが、それ以上にルナの矢が撃ち抜き破壊してくれるため、護ることを考える必要がなかった。
ただ、前進し、制圧していけばいい。
「おのれ、人間風情が!」
「我らはトール様の親衛隊!」
「貴様如きに突破されるわけがない!」
強化個体と思しきエインへリアルやヴァルキリーたちが、怒りに満ちた声を上げる。強化個体だけあって、魔素質量は他と比較にならない。が、やはり統魔の相手ではないのだ。
この戦場には、星域が展開している。
万神殿の星域に乱立する無数の神像は、それぞれが様々な魔法を周囲にばら撒いている。それらは星域内の味方を支援する補型魔法であり、統魔もルナもその加護により、能力が大幅に向上してもいた。
三種統合型星象現界・万神殿は、相互作用によって、その真価を発揮する。
統魔は、その総合力でもって幻魔の軍勢を、トール親衛隊をねじ伏せていく。アテナの戦槍を投擲してヴァルキリーたちを撃滅し、ポセイドンの三叉矛によって大津波を引き起こす。クロノスの大鎌が周囲の敵を切り払い、アポロンとアルテミスの弓が矢の雨を降らせた。
まさに破壊と殺戮の化身の如く。
統魔が武器を手にせずとも、それらは出現し、自動的に敵を攻撃する。そして、撃滅していくのだから、幻魔側からすれば堪ったものではなかっただろう。
無論、そんなことは、統魔には関係がない。
人類の天敵たる幻魔に同情する必要など、微塵もないのだ。
統魔は、ただ、すべからく幻魔を駆逐していくだけだ。
幻魔を斃すことに喜びもなければ、感動もない。ただ、無慈悲に、不条理そのもののように、幻魔を薙ぎ倒していく。破壊し、粉砕し、撃滅し、殺戮し、討伐していく。
淡々と、粛々《しゅくしゅく》と、速やかに、瞬く間に。
「統魔!」
「ああ」
ルナの頭上からの声にうなずき、統魔は、眼前の建物を睨んだ。壮麗なる大神殿。他の幻魔造りの建物とは一線を画する外観は、幻魔の設計思想とは異なるように思われるが、そんなことは、もはやどうでもよかった。
統魔は、酔いから醒めたような感覚の中にいる。
大神殿を目前にして、はっきりと感じ取ったのだ。雷魔将トールの絶大なまでの魔素質量を。
それは、これまで斃してきた幻魔とは比較にならず、故にこそ、統魔の意識を飲み込みかけていた全能感や万能感が形を潜め、冷水を浴びせられるというよりも、凍り付いたかのような感覚を味わったのだ。
そして、その瞬間に自分を取り戻している。
あのまま、この力を振り回していれば、いずれ己が力に酔い痴れ、我を忘れていたのではないか。
その実感が、統魔を酷く冷静にさせた。脱力を認めるしかない。
「ここから先は、星将の出番、だな」
「そうだね。わたしたち、やれるだけのことはやったよね……?」
「ああ。やった。やったとも」
統魔は、自分に言い聞かせるように、いった。そうでもしなければ、この場を離れる決心がつかない。
トールと戦いたい。
鬼級なのだ。
サタンを斃すためだけに戦団に入ったのならば、同じ鬼級に挑まずして、引き下がることなどできるだろうか。
統魔は、歯噛みする。己が欲望に従うのであれば、飛び込むだけでいい。大神殿の中へ。ただそれだけのことだ。それだけで、統魔の小さな願いは叶う。だが、それで、そんなもので、統魔の大願は果たせるというのか。
統魔は、大きく息を吐いて、それから周囲を見た。大神殿の周囲は、いまやがら空きになっている。統魔とルナが粗方殲滅し尽くし、残っていた幻魔たちは、雷神討滅軍に撃破されたのだ。
そして、統魔の元へ、星将たちがやってくる。
「よくやってくれた、統魔」
「師匠」
統魔は、蒼秀を仰ぎ見、その神々しいまでの頼もしさに目を細めた。眩いばかりの雷光をその身に纏う師の姿は、まさに雷神そのものだ。星象現界・八雷神。
「皆代小隊のおかげで、わたしたちはまったく消耗することなく、トールの元へ来られたわ。あなたたちの大活躍、歴史に残るわよ」
とは、瑞葉。雷神討滅軍の総指揮官である彼女は、星装・海神三叉を手にしている。周囲に渦巻く水気の膨大さは、星将の魔法技量の高さを窺わせた。
「これが若手なんだもの、やってらんないよね」
などと、冗談めかしていったのは、九乃一。星霊・児雷也を引き連れる星将は、相変わらず可憐としか言いようのない出で立ちだが、表情は死地に赴く猛者そのものだ。
死に臨むときの格好くらいは、自由にさせて欲しいという九乃一の考えは、統魔もわからないではなかった。
歴戦の勇士である。幾度となく死地を乗り越え、死線を潜り抜けてきた英雄なのだ。
死に方までは選べなくとも、出で立ちくらいは我が儘でありたいと思うようになったとしても、なんら不思議ではなかった。
「ですが、だからこそ、ぼくたちも死力を尽くせるというものではありませんか?」
照彦が、銀河守護神《G・ガーディアン》の肩の上から、いった。銀河守護神の巨躯は大神殿に匹敵するほどのものだ。まさにこの宇宙の守護神の如き姿は、ただそこにあるだけで心強い。
「照彦はんの仰る通りやな。後輩たちが、若手たちが、おれたちよりも圧倒的な才能を持ってるっちゅうんやったら、喜んで死に行けるっちゅう話でんな」
朝彦は、そう言いつつも、冷ややかな目で大神殿を見据えていた。雷魔将トールの居城たる大神殿は、沈黙を保っている。
これだけの星将と星象現界を目前にしながら、なんの行動も起こさないというのは、どういう了見なのか。なにか策があるのか。なにも考えていないのか。
なにか、待っているのか。
秘剣陽炎の揺らめく刀身、その切っ先を大神殿に向けた朝彦は、統魔を一瞥した。
「皆代くん、きみはさがりぃ。消耗しとるやろ。足手纏いやで」
「……はい」
統魔は、朝彦の指示に反論することなく、ルナとともにその場を離れた。軍団長命令だ。杖長に過ぎない統魔に意見することはできない。
それに、消耗しているのは、事実だった。
長時間に渡る星象現界の維持は、統魔の体内から魔素という魔素を際限なく奪い続けていた。そして、最後の大立ち回りが、統魔からすべての魔素を吐き出させたといっても過言ではない。
「……ま、さすがにそれはないけどな」
「とはいえ、だ」
朝彦の訂正の一言を聞き、蒼秀は、渋面を作った。
「相手が鬼級である以上、きみの判断は正しい。あれ以上は、統魔の身が持つまい」
「でしょうね」
瑞葉はうなずき、海神三叉を掲げ、照彦に合図を送った。
「では、手筈通りに」
照彦は、銀河守護神で一歩踏み出すと、大神殿の屋根に拳を叩きつけた。幻魔造りの建物だ。星霊の渾身の一撃に耐えられるわけもなく、大爆砕とともに敢えなく崩壊すると、立ちこめる爆煙の中に雷光が迸った。轟く雷鳴、駆け抜ける稲妻。銀河守護神が思わず仰け反るほどの衝撃は、しかし、予想外のものではない。
照彦の目は、露わになった大神殿の内部、その深奥部に雷魔将トールの巨躯を捉えていた。
全長十メートルを優に越す巨体は、筋肉の塊のように見えるが、実際に筋肉があるわけではない。魔晶体。超高密度の魔素の結晶であり、その外観から受ける印象で強度を想像してはいけない。その分厚い筋肉めいた魔晶体の上から黄金の装甲を纏っており、右手には巨大な鎚が握られている。
雷魔将トール。
神話の中から抜け出してきたかのような存在感と迫力が、そこにはあった。




