第百二十四話 初任務・草薙真の場合
草薙真は、その日、朝から早かった。
彼は、対抗戦決勝大会における最優秀選手の一人に選ばれ、父の理解も勧めもあって戦団に入団することが決まってからというもの、その行動には常に決断力が伴っていた。
まず、家を出た。
この世に生まれ落ちてからというもの、この約十八年間、決して離れることのなかった草薙本家の大屋敷をついぞ離れることにしたのだ。
一人暮らしを始める、というわけではない。
それも悪くはないと思ったが、しかし、戦団の導士としての、戦闘部の一員としての職務にこそ全力を注ぎたいという彼の熱意は、一人暮らしによって生じるであろう無駄な時間を極力減らしたいという方向へと向けられた。
その結果、彼は、戦団本部敷地内にある兵舎で生活することに決めた。その方がなにかと効率がよく、合理的だ。
導士たちは、任務があれば央都四市の内外を飛び回るが、そうでなければ、たいていの場合、戦団本部の訓練所に籠もっている。休養日ならばともかく、そうでなければ、毎日のように訓練を行うのだ。
そうすることによって、ようやく、幻魔災害に対応し、対抗できるということであり、だからこそ、誰もが日夜、血の滲むような訓練を繰り返している。
そうした事実を知れば、戦団本部で生活するというのは、理に適っていると思わざるを得ない。
彼は決断すると、行動も早かった。
真は、第十軍団の所属である。
燃え盛る紅蓮の鳥が特徴的な第十軍団の兵舎は、鳳凰殿とも朱雀殿とも呼ばれる。現在の軍団長・朱雀院火倶夜の影響を多分に受けた外観は、兵舎の中でもっとも派手といっても過言ではなかった。
全部で十二棟ある兵舎には、それぞれ千人以上の導士が寝泊まりすることのできる空間的余裕があるという話であり、第十軍団兵舎にもでかでかと新規入居者募集中のお知らせが幻板で表示されているほどだった。
真は、入団直後に入居を申し込んでいる。
実際に兵舎で生活するようになったのは、つい三日前からだが、そのおかげもあって日夜総合訓練所に通うことができたし、戦団本部内の施設、機能を把握できるようになっていた。
これならば、いついかなるときでも幸多に本部内を案内することだってできるだろう。
おそらく幸多は、真よりは知らないはずだ。
そんな風に戦団本部での生活を続けている真だが、家族は、兵舎での生活を心配したものだった。特に弟の実は、真が見知らぬ他人との集団生活に耐えられるのかと不安で仕方がないと、彼に向かって臆面もなくいってきたものだった。
以前ならば考えられないような歯に衣着せぬ物言いには、真も憮然とするほかなかったが、かといって言い返せるわけもない。
実の心配は、真のこれまでの言動を顧みれば、当然の結果というほかないのだ。
とはいえ、いつまでも家族や、草薙家という存在に甘えていてはいけない、と、真は思うのだ。
今の今まで、甘えていた。
自分が生まれ育った環境に。
草薙家に。
自分自身の置かれている境遇に。
その事実を直視し、再認識するきっかけとなったのは、皆代幸多との出逢いであり、直接対決であり、圧倒的敗北だった。
彼にかけられた言葉の数々と、その後の様々な出来事が、真の中の凝り固まった考えを解きほぐし、凍り付いていた心を融解させてくれたのだ。
おかげで、自分自身を見直すことができた。
自分がいかに素晴らしい環境にいたのか。
草薙家がどれほど手厚く支援してくれていたのか。
その支援の先頭には、当然、実の姿があり、彼の応援があればこそ、真は、暗い情熱の炎に身を灼きながらも前に進み続けることができたのだ。
草薙高校対抗戦部の部員たちも、そうだ。
彼は、決勝大会後に開かれた対抗戦部の慰労会の場で、部員たちに謝罪している。部員たちは、全く予期していなかった真の行動に度肝を抜かれたようだったが、彼にしてみれば、それだけで済まされるようなことではないと思えてならなかった。
対抗戦を優勝するという名目、そのためだけに、いや、真が目指す最低最悪な勝利のためだけに、彼らにどれほどの苦痛を強いてきたのか。
考えれば考えるほど、己の愚かしさが嫌になる。
どれだけ視野が狭く、物事を考えることができなくなっていたのか。
これほどまでに才能に恵まれ、環境に恵まれ、人々に恵まれていたというのに。
真は、それらを馬鹿げた一つの目的のために利用することしか考えていなかった。
なにひとつ恵まれなかった彼とは、大違いだ。
だから、大会中の部員たちとの関係性も大違いだったのだろう。
幸多は、部員たちと和気藹々《わきあいあい》としていた。誰もが誰かを思い遣り、気遣い合っていた。その光景は、今になって思えば、まさに青春そのものの美しさがあり、きらびやかさがあった。
一方、真はどうだ。叢雲高校対抗戦部は、決勝大会以前から不穏な空気に包まれ、誰もが戦々恐々とした様子で、真の反応を窺うばかりだった。真が恐怖政治を敷いていたからだ。
真は、部員たちの実力こそ信頼していた。が、それだけだ。彼らの人間性や在り様など、どうでも良かった。興味を持とうともしなかった。仲良くなろうとも。
勝ちさえすれば、それでよかった。
それだけで。
だが、負けた。
ならば、反省するべきだ。
自分のやり方が間違っていたのだと、猛省するべきだ。
その間違いの最たるものは、草薙真自身だと言わざるを得ない。
そして、その間違いを正すためにこそ、己を限りなく鍛え上げ、これまで自分を支えてくれた全てに還元するのだ。
戦団の導士として、一体でも多くの幻魔を倒す。それによって、央都市民の安寧に貢献するということは、回り回って、いままで彼が散々利用してきた人達の生活の力になるはずだ。
それだけが、彼に出来る唯一の報い方だと思っていた。
そして、その第一歩を迎えるのが、今日だった。
今日は、真の初任務なのだ。
「きみが草薙真だな。軍団長から話は聞いている」
厳かに告げてきたのは、若い男の導士だった。
場所は、第十軍団兵舎の広々とした通路の真っ只中だ。
既に漆黒の導衣を身につけており、胸元には輝光級二位を示す星印が輝いていた。白百合色の頭髪をツーブロックにしており、どうにも厳つい印象を受ける。眉間によった皺の印象も強いだろう。
身長は真より高く、190センチはあるだろうか。均整の取れた体型は、彼が日頃から鍛錬を怠っていない証拠だ。眼光も鋭く、歴戦の猛者であることが窺い知れる。
その周囲には、彼の部下と思しき導士が三名、待機している。
「おれがきみの初任務の付き添いをすることになった御蔵健彦だ。きみは、我が御蔵小隊の臨時隊員として、任務を行ってもらうことになる。それが戦闘部における初任務であり、初仕事だ。それくらいは聞いているな?」
「はい」
「では、よろしい。さっそく現地に向かう」
御蔵健彦は一方的に話を打ち切ると、そそくさと歩き始めたものだから、その場に取り残された隊員の一人が慌てて声を掛けた。
「隊長、自己紹介は?」
「道すがら各自話し合え。時間の無駄だ」
「はいはーい」
「返事は一度」
「はーい」
間延びした返事だったが、一度だったからなのか、御蔵健彦はそれ以上注意しなかった。
堅いのか緩いのか、よくわからない小隊だったが、真にとってはどうでもいいことだった。
大切なのは、この隊員たちとともに初めての任務をこなすことになるということだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
御蔵健彦が言ったように、真は、臨時隊員としてこの御蔵小隊の一員になっている。これから先、御蔵小隊として活動していくことになるのかどうかは、まだ未知数だった。
任務の内容次第では勧誘されることもあるかもしれないし、小隊の気風と合う合わないということもあるだろう。
小隊の一員になるかどうかを決めることができるのは、最終的には隊員側だ。
それにしたって、誘われなければどうしようもないのだが。
まずは、任務だ。
真は、気を引き締めて、御蔵小隊の四名についていった。