第千二百四十八話 星象乱舞(八)
八十八紫と九尾黄緑は、それぞれ、己が身に起きた異変とともに、これまで感じたこともない昂揚感に包まれていた。
ふたりにとってそれは、人生の転換点といっても過言ではなかったのかもしれない。
(いや……)
黄緑は、胸中、頭を振る。
全身の細胞という細胞が熱を帯び、大量の魔素が魔力へと変じ、魔力がさらなる状態へと昇華していく感覚。研ぎ澄まされた五感がその変容を捉え、激情がうねり、螺旋を描くような――そんな感覚。
(そんなことはありえない)
ある種の諦観とともに断言し、断定し、断罪する。
そんなことは、あってはならない、と。
それでも、力の暴走は止まらない。暴走。そう、暴走だ。制御できない力の発動を暴走と呼ばずしてなんと呼ぶのか。
「暴走してる?」
「うん、おれもだよ。暴走してる」
「変なの」
紫は、黄緑の全身から満ち溢れる星神力の輝きを見て取って、怪訝な顔をした。それはまさに星の煌めきの如くであり、超新星爆発にも似ている。
そしてそれと同じ現象が自分の身にも起きていることを理解しつつも、理解しがたいとしかいいようがなかった。
「星象現界かな」
「たぶんね」
実感は湧かないが、きっと、そうなのだろう。
この戦場は、異様だ。
異常なまでの熱気と狂気が渦巻いていて、だれもが興奮と昂揚の中にいる。死ぬことを恐れず、ただ前に突き進み、幻魔を斃し、幻魔に殺される。既に多数の死者が出ていたし、損害も軽微とはいえない。
だが、そんなもので歩みを止める導士たちではない。
前に進む。
前に進まなければならない。
そして、前進のために犠牲を払うことは、なにもいまに始まったことではない。
戦団の歴史は、犠牲の歴史。
いや、人類の歴史が、か。
紫の全身から噴出した星霊力が両手に収斂していくと、輪郭を帯び、具体的な形になった。二刀一対の刀。一方は紅蓮の炎を凝縮したような形状をしており、もう一方は、無垢の白雪を集めてできたかのようだった。
「これがわたしの星象現界か」
「なるほどね」
二本の刀をまじまじと見つめる紫の様子に、黄緑は大いに納得した。
星象現界は、〈星〉の形を表す究極魔法。〈星〉とは、魔法士固有の魔法の元型。ならば、紫の〈星〉がふたつに分かれるのは、道理だ。
紫の星装が具現すると、つぎは、黄緑の番だった。
黄緑の体中から溢れた星神力は、やはり、異なる二種類の属性に分かれ、形になった。星霊である。それも二体。一体は、あざやかな緑であり、流線や曲線が多分に用いられた風の星霊。一体は、目に痛いばかりの黄色であり、直線的な意匠の星霊。片方は風、片方は雷の化身であろう。
「で、これがおれの星霊というわけだ」
「……まあ、わたしがこうなら、そうなると思ったけど。二属性、それぞれ別々の星装、星霊になるってね」
「兄さんたちみたいに」
「うん」
黄緑のいった兄さんとは、無論、矢井田風土、南雲火水のことだ。双極属性の使い手であるふたりは、星象現界もまた、双極属性を同時に発現していたものだ。
つまり、風土も火水も、黄緑たちと同じということだが、それはわかりきったことだった。
だからこそ、黄緑たちは、ここにいる。
「星象現界か。いずれは到達する、しなければならない領域だったわけだけどさ」
「そうね」
まさか、こんなにも早く星象現界に至るとは、さすがのふたりも想定外だったし、故に、呆然としかけたのだ。
だが、ここは戦場。
暢気に余韻に浸っている場合でもなければ、感慨に耽る暇も、今後について話し合っている余裕はない。
前方には大量の幻魔が犇めいていて、それらの攻撃がふたりに集中しようとしていた。星象現界を発動したからだ。
星装も星霊も、巨大な重力場そのものだ。
大量の幻魔の攻撃魔法が、ふたりに迫り来る。
「じゃあ行こうか、翠天黄天」
「そうね。じゃあ……炎獄氷獄」
「どっちも地獄?」
「わたしたちに相応しいでしょ?」
「まあ、そうだね」
「そっちはなに?」
「てきとー。なにも思いつかないんだよ」
「だと思った」
話し合うふたりの前方では、凄まじい魔法の弾幕が展開していた。前方からの集中攻撃が、ふたりの星霊と星装の力によって防がれ、炸裂しているのである。
まさに大爆発の連鎖だ。
その爆光の中で、ふたりは、極めて冷ややかに己の興奮と昂揚を抑えつけていた。
第五軍団筆頭杖長・人丸真妃は、といえば、第五軍団副長・美乃利ミオリとともに、最前線へと向かっている最中だった。
今回、第五軍団から動員された杖長全員が、一緒だ。
大黒詩津希、二見昴、福里文雄、別所晴樹――全員が全員、この戦いに全てを懸けているといっても過言ではなかった。
この戦いは、雷神の庭攻略作戦は、雷神討滅軍は、城ノ宮日流子の弔い合戦なのだから。
特に日流子に直接命を救われた真妃と詩津希は、その想いが強かった。結果的に自分たちが日流子の命を奪うことになったのではないかという想いがある。日に日に強くなる自責の念は、どれだけ精神医療を受けようとも、消え去ることはない。
記憶があるのだ。
日流子に命を救われ、日流子の命が失われたという記憶が。
この記憶を消してしまわなければ心の傷が癒えることはなく、そして、そんなことができるわけもないことは、だれもが理解しているはずだ。
ミオリも、そんなふたりの気持ちが痛いほどわかる。だからこそ、ふたりを雷神討滅軍に組み込むよう、軍団長に頼み込んだのだ。
『弔い合戦は、やらんからな』
冷ややかな、しかし、正しすぎるほどに正しい朝彦の言葉は、ミオリの意志を強固なものにしただけだった。
弔い合戦は、しない。
復讐に身を焦がせば最後、己が命までも焼き尽くすことになりかねないからだ。
だが、そんなことはわかりきっていたし、その上でトール討滅に命を燃やすことになんの問題があるというのか。
ミオリは、進む。が。
「出過ぎや」
ミオリたちの前に立ちはだかったのは、第五軍団長の背中であり、彼の直属の部下たちだ。星象現界・秘剣陽炎の輝きが、この絢爛たる光に灼かれていく戦場の中でも一際強い存在感を放っているように見えたのは、ミオリだからだろうが。
「美乃利副長。ここから先は、軍団長の、星将の戦いやで。副長以下は、別命あるまで待機や。まあ、待機いうても、この戦場やからな。休んでる暇はないやろうけど」
「……しかし」
「しかしもかかしもあるかい。これは軍団長命令や」
「……軍団長」
「軍団長! わたしたちは――!」
「日流子はんに救われた命、無駄にする奴があるかい」
「それは……」
「気持ちはわかる。痛いほどな」
朝彦は、背後を見遣り、副長と杖長たちを見た。
だれもが決死の覚悟でここまできたことは、わかる。皆、死を賭している。トールに挑もうというのだ。命を懸けるだけでは済まない。それだけでどうにかできる相手ならば、日流子が斃しているはずだ。
日流子は、死を覚悟し、全霊を尽くした。
あの戦いで観測された魔素質量は物凄まじいものであり、日流子がその命を燃やし尽くしたことは想像に難くない。
それでも、勝てなかった。
トールは、いまもなお壮健であり、以前にも増して強大化していると見ていい。
そんな相手に副長と杖長たちだけでどうにかなるとは思いがたい。
「おれかて、きみらの立場やったら、そうするやろし」
「だったら」
「大目に見ろって? その結果、きみらを失うことになったら、死んでも死にきれんわ。きみらは、日流子はんから預かったようなもんなんやからな」
朝彦は、告げ、ミオリたちの反応を待たずにその場を飛び離れた。いまの言葉でミオリたちが引き下がってくれたのなら、よし。そうでないのなら、そのときは、そのときだ。
(まあ、聞いてくれんやろうな)
朝彦は、ミオリたちの覚悟を否定しなかった。




