第千二百四十五話 星象乱舞(五)
「あれは……」
「天使、天使だよ、春ちゃん!」
「ほんとだ、気をつけないと!」
秋葉と冬芽がふたり揃って大声を上げ、春花に警告を発するのも当然の事態だった。
遥か前方、黒禍の森の深部にて、巨大な竜巻が天地を貫く柱の如く聳え立っていたのだ。その威力たるや物凄まじいものであり、渦巻く暴風の中、結晶樹が根こそぎ吹き飛ばされ、大量の幻魔が舞い上げられている。幻魔たちの抵抗も虚しく、ただ、破壊されているのだ。
それが黒禍攻撃軍の、戦団導士の攻型魔法などではないことは、火を見るより明らかだった。これほど大規模な攻型魔法は、星象現界以外にはありえない。そして、星象現界を発動中の杖長は、式守小隊の前方にはいないのだ。
式守小隊が激戦を繰り広げていたのは、黒禍の森の最前線だ。どこもかしこも幻魔だらけ。油断すれば最後、命など一瞬で消し飛ぶに違いなく、だれもが猛烈な緊迫感の中にいた。
そんな中、吹き荒ぶ魔法の嵐の中に光り輝く翼を見たのである。
それはまさに天使の翼であり、首元に輝く光の輪が、並の天使ではないことを主張しているかのようだった。
大天使、いや、熾天使と総称される鬼級幻魔ではないか。
天使の軍勢における支配者階級とでもいうべきそれらは、他の画一的な姿をした天使たちとは明らかに異なる姿形をし、圧倒的な戦闘能力を持っていた。その神々しい魔晶体から満ち溢れる魔力、魔素質量が段違いなのだ。
天使は、いずれも妖級以上とされているが、その姿形と能力によって、全九種に類別される。最下位から天使、大天使、権天使、主天使、力天使、能天使、座天使、智天使、そして熾天使である。
最上位の熾天使に類別されるのは、メタトロンやウリエルといった独自の姿と鬼級相当の魔素質量を誇るものたちであり、いままさに黒禍の森を蹂躙する嵐を起こした天使も、それに当たるのではないか。
「あんな天使、見たことないが」
夏樹が火炎魔法の律像を練り上げながら、天使を睨む。
これまで戦団が確認した熾天使は、四体。黄金の熾天使ルシフェルに白銀の熾天使メタトロン、純白の熾天使ガブリエル、琥珀の熾天使ウリエルである。
いずれも人間に極めて近い姿態をしていながら、幻魔に違いない特徴も併せ持っていた。鬼級幻魔とは、そういうものだ。
いま、式守小隊が肉眼で確認した熾天使も、そうだ。
爆発的な魔力の嵐が渦巻くただ中で、熾天使がこちらを一瞥した。空色の頭髪が逆巻く魔力に煽られ、蒼白の瞳が春花を映す。それこそ、空のような色彩の瞳。身の丈は、人間と変わらない。体格もだ。だが、人間とは異なる構造をした肉体は、魔晶体と呼ばれ、それを覆うのは、深い緑色の衣であり、背から三対六枚の翼を生やしていた。翡翠色の翼。羽の一枚一枚から膨大な魔力を発散し、律像が形成されるたびに真言が紡がれ、魔法を発動する。
それら魔法は、熾天使に迫り来る幻魔に向かって放たれており、嵐の外には、オトロシャ軍幻魔の死骸が積み上がっていた。
「天使がわたしたちの味方をしてくれるっていうのなら、ありがたいはありがたいけど」
とはいえ、天使は幻魔だ。いくら友好的で、戦団に度々味方してくれているとはいえ、信用していいわけがない。
以前共闘した龍宮の幻魔たちに対しても、戦団は態度を改めてなどいない。一切油断せず、警戒し続けているのだ。利害が一致し、一時的に協力関係を結んだからといって、それですべてを信用し、心を許せば、幻魔の本能に食い尽くされる可能性がある。
幻魔は、人類の天敵なのだから。
そのとき、フェアリーの集団が、緑の熾天使を包囲した。逆巻く暴風を強力な防御魔法で凌ぎつつ、だ。フェアリーたちは激昂しているようだったが、熾天使はというと、何処吹く風といった様子だった。
熾天使は、素知らぬ顔で片手を掲げ、フェアリーに魔法を放とうとしたようなのだが、しかしその瞬間、左を見た。迫り来るフェアリーではなく、もっと遠くを。
そして、熾天使の六枚の翼が最大限に広げられたかと思うと、虚空を激しく叩いた。衝撃波が周囲に拡散し、フェアリー集団を吹き飛ばす。
つぎの瞬間には熾天使の姿は消えており、その場に残されたのは大打撃を食らいながらも生きているフェアリーたちであり、それらは顔を見合わせることもなく、敵意を式守小隊に向けてきた。
「えええええええっ!?」
「なんでえええええ!?」
秋葉と冬芽がまったく同時に悲鳴を上げるが、春花と夏樹は、わかりきったことだといわんばかりに反応している。春花は、魔法の腕で秋葉と冬芽を確保しつつ法機を旋回させ、その場から後退する。瞬間、夏樹が、真言を唱えた。
「紅蓮火砲」
夏樹が掲げた右手の先から放たれたのは、巨大な火球。紅蓮と燃える炎の塊は、一瞬にしてフェアリー集団のど真ん中に着弾すると、爆発、超広範囲に燃え広がった。だが、しかし、その程度で妖級幻魔の群れが斃せるはずもないことは、夏樹自身とてもよく理解していた。
夏樹の攻型魔法は、フェアリーを足止めするためだけのものであって、斃すことを目的とはしていない。
ただの時間稼ぎだ。
そして、その目的は、適った。
旋回し、後方に下がろうとしたとき、夏樹の視界を火線が貫いたのだ。凄まじいまでの熱線が無数、夏樹たちの後方へと集中する。爆音の連続。熱風に煽られながらその場を飛び離れれば、夏樹たちの頭上に神流の姿があった。
「無事ですか、春花、夏樹」
「は、はい!」
「師匠のおかげで、なんとか」
神流の魔法の余波を肌で感じながら、夏樹は、師を仰ぎ見た。急激に体温が上昇する。燃え盛る炎の照り返しを受けて、神流の姿はいつになく神々しい。
「熾天使が出現したと聞き、駆けつけましたが」
「先程、飛び去りました。随分暴れ回った後のようですが」
「そのようですね」
神流は、熾天使のものと思しき破壊跡を黒禍の森深部に見出し、目を細めた。大量の結晶樹が薙ぎ倒されており、そこら中にフェアリーやピクシーの死骸が転がっている。妖級幻魔ばかりを狙って攻撃したわけではあるまい。熾天使の攻撃を食らい、原形を保った状態で残っているのが、妖級だけなのだ。
獣級以下は、跡形も残らずに消滅したと見るべきだ。
それほどの魔素質量だ。
戦団本部作戦司令室内で情報が錯綜し、正体を確かめるべく、ヤタガラスを飛ばしたのだが、熾天使の姿を確認し、魔素質量を観測しただけで終わってしまった。
もっとも、と、神流は周囲を警戒する。
「……まあ、わたくしが突出したのは、間違いではなかったようですが」
「は、はい」
春花は、神流の凜然とした姿を目に焼き付けながら、その後方で小隊を立て直した。
神流の前方に、妖級幻魔の大軍勢が立ちはだかったのだ。ピクシー、フェアリーという妖精型とも呼ばれる妖級幻魔、それらが隊伍を組み、軍勢を成して、迫ってきている。百体や二百体どころの騒ぎではない。
「千体……いや、もっとか」
夏樹は、全身総毛立つのを認めつつ、この昂揚感が一体どこから沸き上がってくるのかと考えざるを得なかった。妖級とはいえ、数が数だ。生半可な実力では太刀打ちできるわけもなければ、命がいくつあっても足りないのではないか。
死を、感じている。
そう、幻魔とは、死だ。
人間にとっての滅びの具象そのものなのだ。
だが、昂っている。
体中の魔素という魔素が、燃え滾っている。
「数多すぎじゃないかな!?」
「勝てるの!?」
秋葉と冬芽が取り乱すのも無理からぬことだが、夏樹は、安心感の中にいた。
師が、神木神流が、目の前にいる。
それだけで絶対的な安心感があり、故にこそ、昂揚感に身を委ねることができるのではないか。
見ている間にも、神流の魔素が膨大化し、変質し、昇華されていくのがわかる。魔素から魔力へ、魔力から星神力へ。段階を踏んで変容する魔素が、星将の底知れぬ実力の一端を見せつけていくかのようだ。
それは爆発的に膨張し、小さな宇宙が形成される。
「銃神戦域」
神流が真言を唱えるのと、妖精たちが魔法を唱和するのは、ほとんど同時だった。星々が瞬き、紅蓮の光が視界を塗り潰す。星象現界の発動による、圧倒。殺到する魔力体の尽くを吹き飛ばしながら、空間そのものを圧倒し、結界を構築していく。
顕現するのは、銃の女神、その神殿である。




