第千二百四十四話 星象乱舞(四)
「トールが攻撃してきたんは、想定外の事態に直面したからやろな。余裕ぶっこいてたんやで、きっとな。開戦当初、圧倒的としかいいようがなかった兵力差が、この短時間でものの見事に覆されようとしとるんや。さすがの鬼級幻魔でも、黙って見過ごすわけにはいかんわな」
朝彦が、雷神の庭を埋め尽くす幻魔の大軍勢、その総数が著しく減っていることを示す。
トール軍は、およそ一千万以上の幻魔からなる大軍勢だった。霊級、獣級だけでその過半数を構成しているとはいえ、強化個体も数多く、生半可な戦力ではなかったことは間違いない。たとえば妖級が百万体程度なのだとしても、三千人の魔法士を相手に負ける理由は見当たらなかっただろう。
もちろん、ただの魔法士ならば、の話だが。
そして、雷神討滅軍も、トール軍の殲滅など想定していない。作戦目的は、トールの撃滅である。トールさえ撃滅してしまえば、トール軍の兵隊などどうでもよかった。
もちろん、トール軍を構成するのは、オトロシャ配下の幻魔である。
トールを斃しただけで瓦解するわけもなければ、戦闘が終わることもないのだが、しかし、鬼級幻魔が一体失われるだけで、オトロシャ軍そのものに大打撃を与えられるのだから、それを作戦目標とするのは道理だ。
トール軍殲滅のために力を分散するよりも、トール討滅にこそ、戦力を結集するべきなのだ。
「せやから、この戦闘の、雷神討滅軍の撃墜王であらせられる統魔様を真っ先に撃墜しようとしたんやで」
「撃墜王って」
「せやろ」
朝彦は、統魔のなんともいえない表情を見て、にやりとした。相変わらずの主張の弱さは、しかし、その絢爛たる活躍ぶりを際立たせているのかもしれない。
統魔は、自分の戦果を勝ち誇ることはない。彼の目的が自分の父親を殺害した鬼級幻魔サタンへの復讐であり、導士としての活躍は、そのために必要な行程に過ぎないと考えているからなのか、それとも、生来の気質からなのか。
いずれにせよ、統魔が己が手でサタンを斃すというのであれば、サタンと戦おうというのであれば、それなり以上の実績を積み上げなければならない。もちろん、実力も必要だ。
それこそ、星将に匹敵するほどの導士でなければ、サタン討伐の一員に組み込まれることなどあるまい。
それがわかっているから、統魔は、戦い続ける。黙々と、淡々と。
それが、朝彦にはこの上なく好ましい。
「きみの星象現界は特別製や。たったひとりでこれほどまでのことができるんは、きみくらいのもんやで、ほんまに。末恐ろしゅーて、かなわんで、まったく。せやから、トールがきみに目ぇつけんのも無理のない話やねんな」
朝彦は、トールの居城を見遣った。
巨大な神殿と思しき壮麗な建造物は、幻魔建築特有の異形さがなく、まるでひとの手が加えられたか、設計段階で人間の意志が関与しているかのような印象さえ受けた。実際にはそんなことはありえないし、幻魔たちが持ち前の知性を発揮して作り上げたのだろうが。
幻魔は、純魔法知性体と呼ばれる。人間以上に肉体の延長として、魔法を行使する。それこそ、呼吸をするように。人並みの知性を持っていてもおかしくはなかったし、妖級以上ともなるとその知性は人間を陵駕するのではないか、などといわれていた。
実際のところは、わからないが。
しかし、少なくとも、幻魔量産工場などを作れることからも、鬼級幻魔が人間と匹敵するかそれ以上の知能を持っていることは確かだ。
トールは、どうか。
「おれを殺せば、雷神討滅軍の士気が下がる、と?」
「士気も戦意も大いに下がるし、戦力も大幅に減やで。せやから、死んだらあかんで、皆代くん。いや、皆代杖長」
「おれも、いままで通りでいいですよ、味泥さん」
「そうか。それは、嬉しいな」
朝彦が統魔に笑顔を見せたときには、その周囲に渦巻く律像の密度が何倍にも膨れ上がっていた。多層構造の律像。星象現界が発動する。
「秘剣陽炎」
朝彦が冷ややかな声が真言を紡げば、その全身から星神力が発散する。莫大な光がその右手に収斂し、一振りの剣を具現した。刀身が朧気に揺らめく光の剣。
そのとき、統魔の星霊が一体、爆散した。トールの攻撃から統魔を庇ったからだ。さすがの統魔の星霊も、完全に消し飛ばされれば、復元までに時間がかかる。
つまり、すべての星霊が破壊された直後に統魔が攻撃されれば、命を落とすこともあり得るということだが。
「……どうします?」
「どうもこうもないさ」
朝彦の質問に答えたのは、いつの間にか統魔の頭上に浮かんでいた麒麟寺蒼秀である。その全身を眩いばかりの雷光が包み込んでいる。星象現界・八雷神。
「先程までまったく動く気配のなかったトールが、みずから打って出る必要に迫られているのだ」
「それはつまり、トールにとってももはや看過できる状況ではない、ということだね」
とは、新野辺九乃一。統魔の隣に並び立った星将は、相も変わらず可憐な導衣を身に纏い、背後に星霊・児雷也を従えていた。重圧が、統魔の神経を尖らせていく。
「それでもなお、あの神殿に籠もっているのですから、これは好機と見ていいでしょう」
そう告げたのは、竜ヶ丘照彦であり、彼は自身の星霊・銀河守護神《G・ガーディアン》の肩に乗っていた。光り輝く巨人は、全長十メートルを軽く超え、圧倒的な存在感を放っている。故に、幻魔の攻撃が銀河守護神に集中するのも無理からぬことだったが、光の巨人は微動だにしない。
そして、雷神討滅軍総指揮官・八幡瑞葉も、最前線に合流した。手にした三叉の矛が、彼女の星象現界・海神三叉だ。
「トールが動き出した以上、こちらも本陣に籠もっている状況ではなくったわ。手を拱いていては、むしろ戦況を悪化させるだけだものね」
いま現在、トールは、統魔に攻撃を集中させている。それもこれも、統魔の活躍が目立つからであり、その存在そのものがトールにとって目障りだからだろう。しかし、統魔が簡単に斃せないとわかると、攻撃対象をほかに移すかもしれない。そのような事態に状況が移行すれば、雷神討滅軍の損害は加速度的に拡大していくに違いない。
統魔が何気なく凌いでいるトールの攻撃だが、他の導士ならば致命的なものであり、部隊を壊滅させ、多数の死傷者を出すに違いないものなのだ。
故に、星将たちが本陣を飛び出したというわけだ。
遥か前方、幻魔の大群が雷神の庭を黒く塗り潰す向こう側に、それは聳え立つ。まさに神殿というべき建造物。遠方だというのに、銀河守護神よりも遥かに巨大さを感じさせる建物は、トールが居城とするに相応しいものかもしれない。
その周囲に展開する戦力は、当然のことながら、ほかよりも厳重にして凶悪だ。
妖級幻魔がひしめき合っており、出撃の時をいまかいまかと待ち侘びているような、そんな印象すら受ける。
「わかるな、統魔」
蒼秀が、統魔を見る。その目には、厚い信頼と期待が込められていた。
「トールがきみを狙っているいまが好機だ」
「はい」
統魔は、力強くうなずくと、残っている七体の星霊を伴って飛び出した。星域の外へ。眼前に殺到するのは、魔力体。全方位からの集中攻撃。そんなものは、相手にはならない。星霊たちの魔法が、雷撃、閃光、火炎といった幻魔の攻撃を容易く消し飛ばすからだ。
「統魔!」
「おれが血路を開く!」
「わかったよ! わたしも、手伝う!」
「ああ!」
統魔は、ルナが隣に来るのを見て、うなずいた。その瞬間、ルナの三日月が巨大化する。
皆代小隊のほかの面々は、それぞれの戦いで精一杯だし、それで役割を果たせているのだから、余計な命令をする必要はない。彼らは、星装を纏っている。星象現界の使い手と同等の力を発揮し、敵戦力を削りに削っているのだ。なにもいうことはない。
そして、進路上の敵を蹴散らすだけならば、統魔とルナのふたりで十分だろう。
戦場に降臨した太陽と月が、雷神の庭の暗雲を吹き飛ばすかのようにして、その莫大な光を拡散させていく。
まさに圧倒的だった。
並み居る幻魔を瞬く間に打ちのめし、吹き飛ばし、叩き潰す。薙ぎ払い、一掃し、消滅させる。星霊たちの乱舞、統魔の魔法、ルナの魔法、いずれもが凶悪無比としか言いようのない戦いぶりを見せつけていく。




