第千二百三十九話 星象拡散(五)
「なんやなんやなんや? いったい全体、なにが起きとるんや?」
「……わかりませんね」
立て続けに飛び込んできた情報に度肝を抜かれたのは、朝彦だけではなかったし、雷神討滅軍本陣が衝撃と混乱に包まれるのも無理からぬことだった。
この広大な戦場の各地で、登録不明の星象現界の発動が確認されたのだ。それも、多数、だ。ひとつやふたつならばともかく――いや、それでもそうあることではないが――、十、二十もの星象現界が同時多発的に発現することなど、ありうることなのか。
「――可能性としてありえないことではないわ」
瑞葉は、幻板に表示されている導士の名前を確認しながら、いった。
彼女は、雷神討滅軍総指揮官として、本陣のもたらされる情報の数々を吟味している。雷神の庭の各方面に展開中の部隊になにかしら問題が生じた場合、即座に指示し、対応するのが本陣の役割であり、総指揮官の務めなのだ。故に片時も気を抜けないし、あらゆる事態に備えておかなければならない。
そして、いままさに本陣が予期せぬ混乱に陥っているのだから、総指揮官たる彼女の出番といえた。
「相馬くんのもたらした情報によって、星象現界は、決して特別なものではなく、だれもが到達しうる境地であることが明かされたわ。魔法士ならばだれもが到達する可能性がある、と」
「〈星〉を視ることさえできれば、ね」
「ええ。でも、それは大した問題じゃないことは、皆知っていることよね」
「ああ」
蒼秀は、瑞葉の発言を静かに肯定する。九乃一も、その意見に異論を挟むようなことはしない。
雷神の庭の真っ只中に設営された本陣には、雷神討滅軍を構成する第四、第五、第六、第九、第十二軍団の軍団長と配下の導士たちが待機している。戦力の大半は展開中であり、本陣の護りは手薄といっていい。が、星将たちが集まっているのだから、なんの問題もなかった。
むしろ、本陣にこそ、戦力が結集しているといっていい。
それもこれも、この作戦の目的が雷魔将トールの撃滅にあり、トール軍の殲滅ではないからだ。
トール軍の幻魔を殲滅することだけが目的ならば、軍団長たちが出撃しない理由はない。
「〈星〉を視ることは、だれにだってできることよ。機会さえあれば、ね。そして、導士ならば、そんな機会はいくらでもある。であれば……導士ならば、星象現界に到達することは決して難しいことではないという相馬くんの理論は、間違いではないはずよ」
「理論は、ね」
九乃一は、瑞葉の言にうなずきつつも、渋い顔をした。本陣にもたらされるのは、戦団本部作戦司令室から寄越される情報である。それによると、このたび星象現界を発現した導士たちの魔素総量は、いずれも星極に達していないはずだった。
「でも、これらの情報を見る限り、ありえないことだと思うな」
九乃一は、一枚の幻板を指で弾き、瑞葉に寄越した。
「星極に達していないものが、いまこの瞬間に到達し、星象現界を発現することなんてありうるのかな?」
「それは……わからない。戦場の熱狂と興奮が、魔素総量を星極へと至らせたのかもしれないし、戦いの最中、成長を遂げたのかもしれない。事実としてあるのは、彼らが星象現界を発動したということ。そしてそれは、我々にとって喜ぶべき事態だということよ」
「……まあ、それはそうなんだけどね」
「せやな。理由がどうあれ、理屈がどうあれ、星象現界の使い手が何十人も一気に増えたんやったら、いうことないわ」
朝彦は、幻板に表示される戦場の風景が激変していく様子を見つめていた。
遥か高所から見下ろす雷神の庭、その暗雲立ちこめる平原は、一千万近い幻魔に埋め尽くされているのだが、たった三千名の雷神討滅軍のほうに勢いがあるのは明らかだ。
戦場各所で発現した星象現界の数々が、皆代小隊や杖長たちの星象現界とともにその力を発揮し、雑兵を薙ぎ倒し、妖級幻魔をも圧倒していく。
妖級幻魔の強化個体こそ持ち堪えているが、それも統魔に発見されれば、瞬く間に撃滅されてしまう。
統魔は、強化個体だけを狙って動いていた。
雑兵は、部下や導士たちに任せるとでもいわんばかりだ。
「雷神の庭は、順調そのものみたいだね」
「じゃあこっちも負けてらんないね」
「うん」
「負けてねえっての!」
「まあ、そうだね。負けてはいないかな」
幸多は、真白の意気軒昂とでもいうべき力強さに笑顔を漏らした。戦場。それも最前線。地霊攻撃軍は、ようやく黒禍の森を北東へ抜け、地霊の都へと至ったところだ。
地霊の都は、恐府東部一帯に広がる地魔将クシナダの領地だ。妖魔将オベロン、雷魔将トールに関する情報はある程度持ち合わせている戦団だが、クシナダに関しては、オベロンから提供された情報しかなかった。そしてその情報のすべてが信用できるかといえば、そんなわけもない。
オベロンは、オトロシャに操られ、戦団に協力していたのだ。オベロンが戦団に寄越した情報のどこに嘘が紛れているのかわかったものではない。オベロン自身が真実を伝えたつもりだったとしても、毒が紛れ込んでいる可能性は限りなく高かった。故に戦団はオベロンの情報を凍結し、みずからの目で確認した事実だけを信じることにしていた。
オトロシャ軍総兵力五千万というのもオベロンのもたらした情報だが、これについては、恐府内に数千万単位の幻魔が棲息していることを確認している。
クシナダについての情報は、確認が取れていない。
地魔将というだけあって、地属性を得意とするという一点だけは間違いあるまい。領地を地霊の都と名付けているという事実も、それを裏付けている。
地霊の都。
恐府東部に横たわる広大な土地全体がそう名付けられているように、幸多たちが結晶樹の樹海たる黒禍の森を脱した直後に見たのは、都市だった。異形の、幻魔造りの建物が乱立する都市。幻魔が独自の社会を形成していることは、既にわかりきったことだったし、幻魔の都市など珍しくもなんともなかったが、それにしたって建物の数が多すぎた。
地霊の都と呼ばれる領域のあらゆる場所に、様々な形をした建物が立ち並んでおり、そこら中に幻魔が潜んでいるらしかった。
そんな幻魔造り特有の異形の建造物を根底から吹き飛ばしながら、進軍していく。もちろん、幻魔もだ。
オトロシャ軍の総兵力が五千万ならば、クシナダ軍もまた、旧オベロン軍、トール軍と同じく、一千万以上の兵力を抱えていると見るべきだ。それら兵隊を地霊の都のそこかしこに配置し、こちらを迎え撃とうとしているはずであり、事実、その通りだった。
「左前方」
「見えてる!」
幸多は、義一の報告を受けて、引き金を引いた。飛電改が唸りを上げ、火線が塔のような建造物に集中する。塔の爆砕とともに断末魔が聞こえ、多数の幻魔が飛び出してくる。それらに対応するのが黒乃であり、一二三であり、義一だ。
真白は、護りを固め続けている。
このような戦闘が、地霊の都の各地で繰り広げられようとしていた。
黒禍の森における戦いも、激しさを増している。
竜胆小隊は、息つく暇もないほど、戦闘に明け暮れていた。数多いる旧オベロン軍の雑兵たちが、四方を取り囲んでいる。
「雷神討滅軍は、勢いに乗っているそうだがな」
「なんか、とんでもない報告があったんですけど!」
「まあ、な」
竜胆龍哉は、菖蒲坂隆司の信じられないとでもいいたげな反応にうなずきながら、こちらに殺到してくる幻魔の群れを睨み付けた。風妖犬の群れだ。突風を巻き起こしながら迫り来る獣級幻魔に対し、龍哉は、地属性の魔法防壁を張り巡らせる。
地と風は、双極属性。相反する魔法は、互いの力を削ぎ、致命的な一撃を叩き込む。
「まさかあのふたりが星象現界を発現するだなんて」
「おまえも使えばいいだろ」
「はあ!?」
隆司は、素っ頓狂な声を上げつつも、それを真言とし、カーシーを二体、光の渦で切り刻んだ。
「冗談!」
「でもないんじゃない?」
「だな。同期が星象現界に目覚めたんだ。おまえだって、やれるさ」
「そんなむちゃくちゃな!」
桜井雅人、椿章助からの激励の言葉を受けてもなお、隆司は、叫び返すほかなかった。




