第百二十三話 空から降ってくる
「あれ? 今日は出勤じゃなくて通学か? 大変だな、二足のわらじも」
圭悟が冗談交じりに話しかけてきたのは、幸多が周囲の視線を浴びながらも自分の机に突っ伏しているときだった。
教室内には、幸多以外に数名の生徒たちがいるのだが、彼らは、幸多とあまり関わりが少ないからか、遠目に見ているだけで話しかけてくることもなかった。
話しかけてくれればいくらでもやりようもあるのだが、ただ見られているというのは、なんともいいようないものだ。
苦痛というほどではないにせよ、あまり気分のいいものではない。
注目を浴びるのになれているとはいえ、だ。
「おはよー、圭悟くん。別に大変じゃないよ、いまのところは、だけどね」
「おう、おはようさん。いまのところは、ねえ。そのうち後悔するんじゃねえのか」
「なにをさ」
「うちに在籍したままなのをだろ」
圭悟が自分の席に乱暴に座りながら、いった。
「別にぼくだけじゃないし。みんなそうだよ。真くんも、菖蒲坂くんも、金田さんたちも」
「ま、ままっまま、ま?」
「ま?」
幸多は、圭悟が目を丸くして同じ言葉を繰り返したので、突然おかしくなったのかと心配になった。彼は、幸多から視線を外すと、しばらく虚空を見遣った。それから数秒の後、幸多に目を向ける。
「いま、なんつったよ」
「真くんっていったけど」
「真くん……」
「なに? どうしたの?」
幸多には、彼の驚きぶりが理解できない。圭悟はまるで未知の生物に遭遇したかのような、そういっても過言ではないくらいに大袈裟なまでの反応を見せているのだが、その理由も意図もまったく想像がつかないのだ。どうやら、草薙真の呼び方に言及しているようだが。
「おはよー! 皆代くんじゃない!」
「おはようございます、皆さん」
「おはよっ」
真弥、紗江子、蘭の三人がそれぞれに挨拶をしながら教室に入ってくると、一気に空気が華やかさを帯び、さらに軽やかなものになったように感じたのは、気のせいではあるまい。
「聞いてくれよ、こいつ、草薙真と仲良くなってやがる」
圭悟が幸多を指差しながらそんなことをいいだしたものだから、当事者の幸多は、苦笑するほかなかった。そんなことを問題にするのか、と思わずにはいられなかったからだ。
「それがどうしたのよ?」
「そうですよ、良いことではありませんか」
「うんうん、仲良きことは美しきかな」
「おいおい、おまえらさあ」
まったく気にしない三人に対し、圭悟が信じられないというような顔をした。真弥が笑う。
「圭悟こそどうしたのよ。あ、まさか、皆代くんが取られたと思って、焦ってる?」
「はあ!? んなわけあるかよ! おれとこいつの友情はだれにも負けねえっての、なあ?」
「んー……」
「おい!」
「まあ、そうだけどさ」
「まあ、ってなんだ、まあって!」
なにやら圭悟が焦っている様子が面白おかしくて、幸多は徹底的に弄り倒したのだった。
「そういや、修学旅行の話は聞いてたよな?」
突如、圭悟が話題を振ってきたのは、昼食中のことだった。
天燎高校の学生食堂、いつもの場所に陣取った五人は、それぞれに注文を終え、料理が運ばれてくるのを待っている。
幸多は、圭悟から話を振られて、しばしの沈黙の後、答えた。
「ああ、うん。聞いてた聞いてた」
「こいつ、聞いてねえな」
圭悟に見透かされ、苦笑される。
幸多はなんとか思い出そうとして、修学旅行に関する話題が出たのが五月の下旬だったような記憶に思い当たった。そのころはちょうど対抗戦の猛練習の真っ只中だった。
「仕方ないよ、毎日の練習で疲れてたんだし」
「おれだって疲れてたっつの」
「圭悟より皆代くんのほうがよっぽど疲れたもんねえ」
「おれに味方はいねえのか」
「それが人徳ですよ」
「百合丘にまでいわれりゃ終わりだな、おれ」
「うふふ、冗談です」
紗江子が満面の笑みを浮かべると、圭悟も返す言葉がないといった表情になった。
「修学旅行って、どこに行くんだっけ?」
幸多は、誰とはなしに質問した。実際、修学旅行の内容についてはなにも覚えていなかったし、思い出せもしなかった。それくらい、対抗戦に集中していたということでもある。
「ネノクニだとよ」
「ネノクニかあ」
とはいったものの、この世界で修学旅行先など限られているのだから、想像はついていた。
学校の所在地が央都ならばネノクニになるだろうし、ネノクニならば央都になるだろう。大抵の学校が、そうなる。そうならざるを得ない。小学生の修学旅行ならばまだしも、高校生にもなって、隣の市に行くのを修学旅行などとは思いたくもないものだ。
「行ったことくらい、あるよな?」
「小さいころに、一度だけ、ね。でも、あんまり覚えてないなあ。大昇降機が怖かったくらいでさ」
長い長い大昇降機を降りていく、その途中から眼下に生じる広大な景色、その光景の色鮮やかさだけは、いまも覚えている。
ネノクニ。
それは、央都の遥か地下深くに存在する都市であり、かつて唯一の人類生存圏だった場所だ。いまや人類の故郷といっても過言ではないとさえいわれているのは、地上の人類が滅亡したと考えられているからにほかならない。
かつて、魔法時代黄金期と呼ばれた頃、遥か地下深くに作られたネノクニに逃げ延びた人々だけが、魔天創世という人類に突きつけられた滅びの運命を逃れることができた。それは百年以上昔のことであり、ネノクニは百年以上の歴史を積み重ね、存続し続けている。
そして、ネノクニで結成された地上奪還部隊によって地上奪還作戦が実行に移されたのが、およそ五十年前のことである。
それこそが央都の歴史の始まりだった。
それらは、幸多たちが生まれるずっと昔の話だ。
いまや歴史の一部として語られ、実際、歴史そのものとして認識されている出来事の数々。そうした歴史の上にこそ、この央都の平穏は成り立っている。
ネノクニの上に。
「ああ、あれな。こええよな」
「あれでも随分マシになったって話だけど、本当かしらね」
「昔の大昇降機は、もっと大雑把だったと聞いていますが」
真弥と紗江子が、自動配膳機・膳自動くんが厨房から運んできた料理の数々を手際よくテーブルに並べていく。
膳自動くんは、天輪技研製の最新魔機である。天燎高校の学食にはつい最近配備されたばかりだが、毎日大車輪の活躍をしていた。昼時になると、常に食堂内を駆け回っており、出来たてほやほやの料理の運搬に、食べ終えた食器の回収にと、大忙しだ。ほぼすべてを自動的に行ってくれる上、料理を零すことも、転倒することも、なにかにぶつかることもない優秀さは、さすがは天輪技研製というべきだろう。
本来ならば、真弥と紗江子のように運び込まれた料理を手に取ってテーブルに並べる必要ない。
膳自動くんの丸みを帯びた小さな塔のような体には、いくつもの機械の腕で格納されている。それら機械の腕は、人間の腕よりも柔軟かつ自由自在に動き、運んできた料理を完璧に料理を配置してくれるのだ。
「皆代はどうすんだ? 参加するのか?」
「どうだろう、任務次第かな」
幸多は、山盛りのクリームパスタを見下ろしながら、考え込んだ。
圭悟たちと修学旅行に行きたいという気持ちは強くあったが、だからといって、任務を言い渡されればそれを優先するべきだった。
そのためにこそ、戦団に入ったのだ。
圭悟たちとの青春を謳歌する日常は、終わった。
授業が終わり、放課後になると、幸多は、対抗戦部の部室に顔を出し、いまだ在籍中だった法子と雷智に久々の挨拶をした。
法子も雷智も、幸多が正式に導士になったことを心底喜んでくれた。
怜治と亨梧もいた。
対抗戦部は、存続する方向で話が進んでいるといい、二連覇を目指すべく、入部希望者の選定を行っているところだという。
「来年はわたしもいないしねえ」
三年生の雷智が、至極残念そうにいった。
「わたしもいないがな」
「ええ、そうなんですか?」
「わたしは、皆代幸多の手伝いをしただけだ。そして、きみが優勝を果たし、導士の座を掴んだのならば、わたしが対抗戦部に居続ける理由はない」
法子は、道理を説くように告げると、小さく笑った。
「きみがいないと、張り合いがないからな」
幸多は、導士となった以上、対抗戦には出られない。
それから、しばらく話をして、部室を出た。
幸多はもう、対抗戦部の部員ではないのだ。
戦団の導士であり、導士ならば戦団の仕事を優先しなければならない。
任務がなければ、訓練こそが仕事だ。
まだまだ明るい空を見上げながら、学校を後にした。
いままでとはまったく違う帰り道を歩いていると、幸多は、異様な音を聞いた気がした。上空でなにかが破裂したような、そんな音だった。
仰ぎ見ると、夏の眩い青空の中を黒い影が落ちてくるのが見て取れた。幸多の驚異的な視力を以てしても、はっきりとは見えない。かなりの高度であり、遠方だった。
影は二つ。
一つは大きく、もう一つは小さく。
(人!)
幸多は、即座に察すると、鞄を背負い、地面を蹴って駆け抜けた。
「転身!」
転身機が発動し、幸多の全身を閃光が包み込む。制服が漆黒の導衣に置き換わると、全身の筋肉が唸りを上げたようだった。
導衣は、装着者の身体能力を補正し、大きく向上させる。
前方にあった雑居ビルの屋上まで飛び上がり、さらに全身のバネを使って、跳躍する。全身全霊の力を込めた跳躍。遥か遠方の黒い点にしか見えなかったそれが、やがてはっきりとした人の形を取っていく。
少女だった。
十歳くらいだろうか。制服姿の少女が、落下している最中だった。
なぜ落下しているのかと言えば、すぐに想像がついた。法器で空を飛んでいたところ、突如なんらかの問題が発生して、法器から弾き飛ばされてしまったような、そんなところだろう。
だから、少女は目を閉じている。意識を失っているのだ。
幸多は、落下中の少女を抱き留めると、眼下を見下ろした。地上数十メートルはあろうかという高度だが、問題はない。
人体は、そこまで柔ではない。
仮に少女がそのまま落下したとしても、大怪我を負うことはあっても、命に別状はなかっただろう。そして、魔法士である以上、大怪我であってもたちまち治療できてしまう。
それがこの社会だ。
幸多は、少女を抱えたまま地上に降り立つと、両足を貫く衝撃に多少の痛みを覚えた。しかし、そんなものが肉体を破壊することはなかったし、すぐさま動くことも出来た。
少女を片腕で抱えたまま、遅れて落下してきた法器を受け止められるくらいには、だ。流線型で全体が蒼白に染められたBROOM型法器には見覚えがあった。確か伊佐那美由理モデルだ。
すると、閃光が瞬き、拍手と歓声が沸き上がった。
幸多が少女を救助する一部始終を見ていたのだろう市民たちの反応は、まさに拍手喝采といったところであり、幸多に惜しみない賞賛を送るものだったが。
幸多は、なんとなく居たたまれない気持ちになって、少女と法器を抱えたまま、その場を離れた。
ややもまって、幸多の腕の中で少女が呻き、目を開いた。しばらく状況が理解できないといった風な顔をしていたが、
「気がついたようだね、だいじょうぶかい?」
幸多が出来る限り優しく声を掛けると、はっとして、顔面を蒼白にした。自分が置かれている状況を理解したようだった。
「あ、あの!」
幸多は、少女の声を聞きながら、ゆっくりと地面に降ろす。抱き抱えたままでは問題があるだろうと考えたのだ。
少女は、幸多の腕から解放されてその場に立つと、困り果てたような顔で幸多を見上げた。濡れたように輝く黒髪に、透き通るような銀色の虹彩が特徴的な少女。
その目は、一目見れば忘れることはないのではないかというくらいに綺麗だった。
幸多は、危うくその目に見惚れそうになったのを意識的に制御し、法器を差し出した。少女は、思わず法機を受け取ると、なにかに気づいたような顔をした。
「すみませんすみませんすみませんすみませんすみません!」
「え、いや、あの……」
「ごめんなさい!」
ひとしきり謝るだけ謝ると、大急ぎで走り去っていく少女の後ろ姿を見遣りながら、幸多は、呆然とするほかなかった。
この出来事は、その日のうちにニュースとなってネット中、央都中を駆け抜けたが、別のニュースのほうが大きく取り扱われた。
話題の新人導士・草薙真が初任務で大活躍したからだ。