第千二百三十八話 星象拡散(四)
『あれが星象現界』
『頼もしいことこの上ないな!』
『かっこよすぎる……!』
『いいな、あれ』
『おれも星象現界が使えたらな……』
声が、聞こえる。
戦場に存在する導士たちの心の声、思念の音が、ルナの脳内に流れ込み、幾重にも反響し、繰り返されていく。膨大な数の声。大量の思念。音。響き。ルナ自身の意識を染め上げ、自我すらも塗り潰していくかのような、そんな旋律。
願望。
ベルセルク三体を斬殺した三日月が返ってきてもなお、彼女の意識は、声との対話を続けていた。対話。そう、対話だ。思念との。心との。
導士たちの。
ひとびとの。
ああ、と、ルナは、目を見開く。
『これは……?』
『なに、これ?』
『あれ?』
『ううん?』
『まさか――』
導士たちが混乱と興奮の中で声を上げる。その声は、心の中だけでなく、外へと放たれ、戦場を騒然とさせた。
願いが叶う。
ひとびとの、望みのままに。
「なんだ?」
統魔は、星装によって拡大した視野によって、その光景を目の当たりにしていた。片手間に幻魔の群れを薙ぎ払いながら、しかし、意識はそちらに向けざるを得ない。
それらが星象現界の発動に伴う星神力の爆発だということは、一目でわかった。魔素の異常な増大と発散、魔力への練成、星神力への昇華。そして、それに伴う重力場の形成。
それはまさに星象現界の発現にほかならない。
それが、戦場の各地で、同時多発的に起こっている。
統魔は、最初、杖長たちが星象現界を使ったのかと思ったが、どうやらそうではない。杖長の何名かは既に星象現界を発動し、幻魔を相手に大立ち回りを演じていたからだ。それになにより、星象現界の数が、動員された杖長の総数よりも多いのだ。
では、だれが星象現界を使ったというのか。
「な、なに!? なんなの!?」
朝子は、己が身に起きている異変に対し、取り乱すよりほかなかった。体中が熱い。体内を巡る血液が熱を帯びているのか、それとも、細胞が熱を発しているのか。全身が燃えるような感覚とともに、意識が研ぎ澄まされていくのがわかる。
それは矛盾した感覚だ。
熱暴走と冷却が同時に起こり、故に脳内の混乱が加速する。
しかもそれは、友美も同じだった。友美も朝子とまったく同じ違和感に苛まれたのだ。全身が火傷でも負ったかのような熱を帯び、けれども痛みはなく、むしろ感覚が鋭敏化していくのである。
「金田くん?」
「ふたりとも、どうしたの?」
流星と黎利は、幻魔との戦いよりもふたりのことを気にした。金田姉妹の周囲には律像が浮かんでおり、その図形が複雑怪奇に変化していく。急速に、加速度的に。多層構造の律像は、生半可な魔法の設計図ではない、極めて高度な、並大抵の魔法士が作り得ない――それこそ、金田姉妹には到達し得ない領域の魔法ではないか。
流星が思わず手を伸ばしたときには、ふたりの魔法は完成していた。
ふたりの魔法だ。
ふたりの律像がひとつに重なり、さらに複雑で精緻な設計図を描き上げ、姉妹の混乱と動揺に満ちた声が真言となって魔法を発動させてしまったのだ。
それは、莫大な光となって頭上に照射されたかと思えば、瞬く間に収束、輪郭を帯びた。瞬時に確かな形になったそれが星霊であることは、だれの目にも明らかだ。
化身具象型の星象現界、その発露。
星霊は、人型だった。闇を凝縮し、こねくり回して完成したようでありながら、人間の女に酷似した外見をしており、その闇の内側に無数の星が瞬いている。まるで宇宙だ。宇宙そのものを人の形にしたかのような星霊であり、その顔立ちは美しい女性のものだった。
「な、なんなの……!?」
「どういうこと!?」
朝子も友美も、その場に座り込み、頭上に出現した星霊を見ていた。
「なんなんだいったい!?」
黒羽大吉が声を上擦らせるのも無理はなかったし、ラッキークローバー小隊の全員がまったく同じような反応をするのも当然だったはずだ。
それは、突如として起きた。
雷神の庭の最前線。
第四軍団ラッキークローバー小隊は、猛然と突っ込んでくる獣級幻魔ライジュウやアンズーの群れをいなしつつ、攻撃を集中させることで一体一体、確実に撃滅している最中である。
皆代小隊が星象現界を使ったことによって戦況は一変、ラッキークローバー小隊を取り巻く状況も大きく好転したといっていい。なんといっても、皆代統魔だ。皆代統魔の星象現界が、幻魔たちの注意を引きつけてくれたからだ。
戦場のど真ん中に出現した超極大魔素質量は、トール軍の注目を集めない理由がなかった。
さらにえば、皆代小隊の大活躍もあって、戦団の導士たちの士気は大いに高まったことはいうまでもないだろう。
それは、いい。
問題は、大吉の身に起きた異変のほうだ。
大吉が統魔の星象現界の威力に見取れたのも束の間の出来事だった。全身が熱を帯びたかと思うと、圧力を感じた。それが外からではなく内からのものだと理解したときには、違和感に飲まれていた。
魔力の増大と爆発。
一瞬、魔法の制御に失敗してしまったのかと思ったが、そうではなかった。魔法とは、制御してこそのものだ。制御を失敗すれば、暴発すれば、術者に反動がくる。それが攻型魔法ならば、致命的な結果になりかねない。
故に、大吉は安堵しかけたが、むしろ混乱を生む結果になっていた。魔法の暴発ならばともかく、そうでないのであれば、いったいなにが起きたというのか。
そして、それは起きた。
変化だ。
大吉は、その背中から黒く大きな翼を生やしていたのだ。それが魔法効果であり、純然たる魔力の結晶であることは明らかだ。それも極めて高密度の魔力――星神力である。
「星象……現界……?」
砂嘴愛結は、一対の黒翼を生やした大吉の姿に呆然とするほかなかった。
「そ、そそそ、それって、星象現界じゃないですか!?」
鳴子奈留が興奮の余り、いつにもまして甲高い声を上げたのも無理からぬことだ、と、道場良三は思った。彼女だけではない。第五軍団・岩岡小隊の全員が、興奮していた。
道場良三も日暮シュウも、当の本人である岩岡勇治も、予期せぬ事態に驚きと昂りを隠せない。
星象現界。
そう、星象現界を岩岡勇治が発動してしまったのだ。
突如、なんの前触れもなく、だ。
星象現界といえば、戦団魔法技術の最秘奥にして、極致、究極魔法とも呼ばれる至高の領域である。だれもが到達できるものでもなければ、岩岡勇治が辿り着けるはずのない境地であるはずだ。
だというのに、岩岡勇治は、星象現界を発動してしまった。
彼の眼前に出現したそれは、超高密度の魔素――星神力の結晶たる化身具象型星象現界、星霊であり、鋭角的で、攻撃的な装甲に覆われた機械仕掛けの巨人だった。全長十メートルほどか。大型幻魔にも負けない巨躯は、ただ立っているだけで迫力があり、頼もしさと力強さを感じさせた。
「これがおれの星象現界……」
勇治は、興奮と熱狂の渦巻く戦場のただ中で、巨人が咆哮する様を見ていた。
第十二軍団・加納小隊長、加納陸もまた、星象現界を発動していた。
加納陸は、輝光級三位の導士だ。魔法技量は、同世代の中でも中間くらいだという認識があり、それは自他ともに認めるものだ。つまり、飛び抜けた能力の持ち主ではない。それは紛れもない事実であり、だからこそ彼は、日夜努力を惜しまなかったし、研鑽も怠らなかった。
そんな日々の努力と研鑽が結実したのだと思いたかったが、しかし、実感はない。
「隊長、星象現界、星象現界ですよ!」
「さすが隊長だな!」
垂水空也が自分のことのように喜ぶのも、磯部海司が興奮気味に身を乗り出す様も、多聞天がただただ圧倒されているという表情も、加納陸には上の空だ。
「星象現界……」
陸は、その手に握り締めた斧槍を見上げながら、つぶやく。地属性を得意とする陸の星象現界は、やはり、地属性の結晶であろう。各所に宝石がちりばめられた異形の斧槍であり、巨大な斧刃がその存在を強く主張している。
手にしているだけで力が漲るようであり、五感が冴え渡り、視野が広がった。
「星象現界」
何度目かの発言によって、ようやく実感が湧きあがってくる。
そして、陸は、斧槍の柄を両手で握り直すと、前方に視線を戻した。幻魔の大群が、前衛の導士たちと激闘を繰り広げている。
星象現界を発動した以上、陸こそが前衛に当たるべきではないか。
星象現界の能力も使い方も把握していないが、この昂揚感は、この興奮は、この熱狂は、戦場のただ中でこそ発揮されるべきだ。




