第千二百三十二話 進撃(二)
第十大境界防壁の門前には、第四、第五、第六、第九、第十二軍団の導士たちが、出撃のときをいまかいまかと待ちわびていた。
三千名を越える導士と、三百機ものクニツイクサ弐式が立ち並んでいる。
戦団史上最大規模の軍事作戦が、いままさに始まろうとしているのだ。
この状況に興奮を隠せないものはいまい。
「さすがに壮観やな……」
「でも、たった三千人だけだよ。そして、たったこれぽっちの人数を捻出するのに四苦八苦しているのが戦団の現状というわけだ」
「せやけど、導士は一騎当千やで」
「それで、オトロシャ軍を上回れる、と?」
「三千人が一人千体の幻魔を撃滅できれば、確かにそうかもしれないけどね」
第五軍団長・味泥朝彦のどんぶり勘定、いや、ただの途方もない放言には、第四軍団長・八幡瑞葉も苦笑するほかない。
朝彦のひととなりは、当然の如くよく知っている。所属軍団が異なることもあり、あまり交流があったわけではないものの、朝彦の人間性に関する話は、絶えず聞こえてきていた。それも良い評判がほとんどだ。そもそも、導士間の陰口や悪口といったものはほとんどないのが、戦団という組織なのだが、それにしたって、朝彦のひとの良さに関しては、だれもが褒めそやしていたものだ。
だから、副長でもない杖長筆頭の彼が軍団長に抜擢された。
彼を第五軍団長に推薦したのは、ほかならぬ軍団長たちであり、瑞葉もそのひとりだ。
第五軍団は、前軍団長・城ノ宮日流子の戦死以来、元々強かった結束がさらに強くなっているという話であり、そんな軍団を任せられるのは、朝彦をおいてほかにはなかった。
実際、第五軍団は、朝彦の軍団長就任以来、空気が変わりつつあるという話だ。
「ぼくたちの目標は、雷神の庭の攻略。それ即ち、雷魔将トールの討滅です。わかっていますね、味泥軍団長」
「もちろん。うちの復讐者たちが暴走せんように、目ぇ、光らせときますんで」
「頼もしい限りです」
第十二軍団長・竜ヶ丘照彦は、朝彦の和やかな笑顔の奥底に隠された冷徹さにこそ、目を細めた。期待の新軍団長は、第五軍団の導士たちの性質をよく理解している。
第五軍団は、日流子の人間性に惹かれた導士集団といっても過言ではなかった。日流子は、元々アイドル的な人気を誇る導士であり、軍団長になってからはより顕著になっていた。
彼女自身は、そんな自分の人気が信じられないといった反応をよくしていたものだが、そういう初々しい反応こそが彼女のアイドル性を引き立たせたことはいうまでもない。
そんな彼女の戦死の原因が、自分たちの不甲斐なさであると思えば、かつての部下たちが復讐に燃えるのも無理からぬことだ。しかも、これからこの混成軍が受け持つのが雷神の庭であり、雷魔将トールの討滅なのだから、彼女たちが息巻くのも道理というほかあるまい。
故に、朝彦のような人間が第五軍団を制御してくれなければ、困るのだ。
「……そろそろ、時間か」
第九軍団長・麒麟寺蒼秀は、軍団長たちの会話を聞きつつも、遥か前方に目を向けた。
第十大境界防壁の前方に横たわるのは、空白地帯。だが、その空白地帯は、すぐさまオトロシャの領土に、〈殻〉に飲まれている。そして、その先に広がるのは、雷神の庭と呼ばれる平原である。広大にして殺風景な平原は、その名の如く、常に雷鳴が鳴り響き、ときに稲妻が降り注ぐ異常気象地帯である。頭上には暗雲が立ち込め、常時悪天候に包まれている。
そのとき、雷神の庭から飛び出してきたものたちがいる。
法機に跨り、全速力で〈殻〉の外へと飛び出してきたのは、牽制攻撃部隊の導士たちだ。たった三十名あまりの牽制攻撃部隊は、いまこの瞬間まで、雷神の庭で暴れ回っていたのだ。
そして、ただそれだけのことで、オトロシャは恐府に釘付けにならざるを得ない。
恐府を捨て去るという選択肢を採れないのであれば、だが。
(そして、オトロシャは恐府を捨てられなかった)
だから、オトロシャは、央都各地に幻魔を送り込み、散発的ながらも被害を撒き散らすことによって、戦団の行動を封じ込めようとしているのだろう。
だが、戦団にとってそれは、むしろ、決起を促すこととなった。
央都四市内の被害の拡大を食い止める方法がオトロシャの撃滅以外にないというのであれば、そうするほかない。人類に逃げ場はなく、存亡の危機に直面したとあれば、前に進むしかないのだ。
『そのために犠牲を払う必要があるというのであれば、そうしよう。戦団は、常にそうしてきた。そして、常に打ち勝ってきたのだ!』
戦団総長・神木神威の演説が、脳裏を過る。
統魔は、皆代小隊の面々を振り返った。上庄諱、新野辺香織、六甲枝連、高御座剣、そして、本荘ルナ。全員が全員、緊張感に満ちた面持ちなのは、当然のことだ。
本格的かつ大規模な軍事作戦。
戦団の、いや、人類の未来を懸けた決戦なのだ。
戦団は、恐府攻略作戦に六千名もの導士を動員した。
戦闘部は、全部で十二の軍団からなり、それぞれ千名程度の導士で成り立っている。つまり、戦団の戦闘要員は、一万二千名程度だということだ。
この度の大増員によって各軍団に百名の導士が配属されたが、総数としてはそれほど大きな変化はない。そもそも、人員が補充されたということは、欠員が出たということにほかならないのだ。
戦闘部は、戦団の実働部隊である。もとより過酷な戦団においてもっとも苛烈な職務であり、いつ命を落としてもおかしくはなかったし、任務の激しさについていけず、脱落するものも少なくない。
幻魔に眼の前で同僚を殺された導士が、戦意を喪失した挙げ句、依願退職した例など、枚挙に暇がないほどだ。
さて、この度、戦団は史上最大規模の軍事作戦を展開した。
オトロシャとの全面戦争である。
負ければ最後、人類が滅亡しかねないほどの打撃を受けるに違いなく、故に戦団は、出せる限りの戦力を出すことを決めた。
戦団だけではない。
天燎財団の機動戦闘大隊クニツカミも、全戦力を提供している。
六百機のクニツイクサが、それだ。
何度か行われた実戦での機能試験の結果を受け、さらなる改良が施されたクニツイクサは、改修型ではなく、弐式と命名されている。
クニツイクサ弐式が六百機。六百名の操者たち。数多の関係者たち――。
この戦いに関わっている人間の数たるや数え切れないものであり、まさに人類の存亡を懸けた決戦といっても差し支えがなかった。
魔暦二百二十三年一月二十三日。
決戦の幕が上がったのは、オトロシャ領南部、黒禍の森の最南端で、だ。
第二、第十一軍団の混成軍こと黒禍攻撃軍が、真っ先に黒禍の森へと侵攻、膨大な数の幻魔の出迎えを受けた。
「さすがに敵も準備万端って感じだな」
「そりゃあそうでしょうとも」
「なんの驚きもない」
「そうですかねえ!?」
第十一軍団・竜胆小隊の面々は、黒禍の森に蔓延するどす黒い瘴気に顔をしかめつつも、結晶樹の森の中に展開する幻魔に対応するべく、律像を構築していた。
黒禍の森は、かつての妖魔将オベロンの領地だ。故に妖精型と総称される幻魔が大量に配置されていることで知られている。オベロンは、妖精王とも名乗っており、そのために妖精型幻魔を配下にしていたらしい。
菖蒲坂隆司には、そんなことはどうでもよかったし、妖精型と総称されるような幻魔が現れないことを祈ってすらいた。
妖精型といえば、妖級幻魔ばかりが頭に浮かぶからだ。
ピクシーにせよ、フェアリーにせ、幻魔は幻魔だ。妖精型と総称される通り、可憐な姿形をしているものの、人類の天敵であることに変わりはない。しかも妖級である。
狂暴で、凶悪なのだ。
「覇光千刃!」
隆司の放った攻型魔法が、前方から飛来した獣級幻魔カーシーの胴体をずたずたに引き裂き、絶命させたのも束の間、突風が彼の体を吹き飛ばした。
「うおっ!?」
「隆司!」
凄まじい衝撃に息が詰まるも、地上二十メートルほどのところで止まる。
「あれ?」
「威勢だけではどうにもならないわよ」
極めて冷静で、とはいえ突き放す風でもなく、むしろ歩み寄ってくれるような声にははっきりと聞き覚えがあった。顔を向ければ、法機に跨がった式守春花と目が合った。彼女が生み出した魔法の腕が、隆司を掴み取ってくれたようだ。
「た、助かりました!」
「いいのよ。この戦いは、互いに助け合ってこそよ。そしてそこだけは、幻魔には真似のできない人間の長所よ」
「は、はあ……」
「受け売りだけどね」
茶目っ気たっぷりに片目を瞑って見せてきた春花に思わず見惚れていたかったが、そんな暇などあろうはずもなく、隆司は魔法の腕の中から地上へと飛び降りた。
春花にも、そんな隆司を見届ける余裕はない。
黒禍の森南部は、既に激戦区と化しており、魔法が飛び交い、爆煙が戦場を飲み込んでいた。




