第千二百三十一話 進撃(一)
「御存知の通り、現在、央都はオトロシャ軍による攻撃に曝されています。散発的ですが、継続的に行われているそれらの攻撃は、恐府が安定するまで続けられるでしょう。されど、そのような日が訪れることはありません。恐府の安定とは、戦団が攻撃の手を止めることによって初めて訪れる事態であり、状況だからです」
獅子王万里彩の凜然とした声が、第五大境界防壁の正門前に響き渡っている。歴戦の猛者にして英雄たるい星将の、朗々たる声。それはまさに真言のようであり、故に、魔法にでもかかったかのような気分が、導士たちを包み込む。
不安もなければ、恐怖もない。あるのは、昂揚。興奮と熱狂が、戦場を目前にした導士たちを突き動かそうとしている。
そうでなければ、導士は務まらない。
前方には、広大な魔界の原野。起伏に富み、無限に変化し続ける大地は、すぐさま途切れ、完全に固定された地形が待ち受けているのがわかるだろう。
オトロシャ領恐府南部に広がる黒禍の森である。
黒禍の森を形作るのは数え切れない大量の結晶樹だが、それらは普通の結晶樹とは異なる性質を持っているようだった。たとえば、死体を取り込み、分解、吸収した大量の魔素を発散するなどといった性質は、これまで戦団が確認した結晶樹にはなかったものだ。
まさに黒き禍の森と呼ぶに相応しい領域は、現在、恐府においてもっとも戦力が手薄な場所でもあった。
恐府は、四つの領域によって成り立っている。オトロシャの寝所たる恐王宮を中心とし、その三方に、三魔将と呼ばれる腹心たちの領地が存在しているのだ。南部を覆う黒禍の森、西部に横たわる雷神の庭、東部に広がる地霊の都――。
それら三方の領域は、三魔将によって支配され、護られていたのだが、黒禍の森の守護者・妖魔将オベロンは、相馬流人らによって討たれた。
それによってオトロシャ軍は、戦力の低下という予期せぬ事態に直面しただけでなく、堅牢強固としか言い様のなかった恐府の防衛網に大きな穴が生まれたのだ。
それが、黒禍の森である。
そして、オトロシャ軍にオベロンの代わりとなる鬼級幻魔が加わったという情報はなかった。
もしそのような事実があれば、牽制攻撃部隊がその鬼級幻魔によって蹴散らされるなりするはずだが、そうなってはいない。
「つまり、戦団による牽制攻撃が恐府に、オトロシャ軍に与えている影響というのは決して小さいものではなく、極めて効果的で、故にオトロシャも黙ってはいられなくなったのは間違いありません。オトロシャは、鬼級の中でも上位に位置する幻魔ですが、だからといって全能でもなければ、ましてや絶対者などではありえません。断じて」
万里彩は、青ざめた空の下、一千名もの導士たちが整列している様を見ていた。
第二、第十一軍団の導士からなる混成軍。そして、百機ものクニツイクサが立ち並ぶ様子は、壮観というほかない。
第五大境界防壁正門前。
大境界防壁は、地上二十メートルの高層建造物だ。戦団と企業連が技術の粋を結集して作り上げたそれは、まさに人類の最終防衛線であり、最後の砦とでもいうべき代物である。ここを突破されれば、戦団はおろか、人類そのものが大打撃を受けかねない。
もっとも、人類はいままさに打撃を受けている最中であり、それは大境界防壁とは関係のない攻撃によるものだ。
オトロシャが空間転移魔法によって央都四市の各所に幻魔を送り込んできているからであり、完全無欠に対処することなど不可能だからだ。
技術局によって、オトロシャの転移魔法の兆候を検知する方法が確立されたものの、検知した直後には幻魔が送り込まれているということもあり、被害を軽減することしかできていなかった。
同時多発幻魔災害を根絶するには、オトロシャを斃す以外に方法はない。
戦団は、覚悟を決めた。
「故に、我々は、いまこそ恐府に攻め込み、オトロシャの首級を上げ、この人類に突きつけられた非常事態を打破するのです」
そのための大作戦。
そう、大作戦だ。
戦団史上最大規模の軍事作戦が、いままさに始まろうとしていた。
第十一大境界防壁正門前には、二千名を越える導士が整列していた。
その物々しさたるや凄まじいものであり、だれもが戦場に向かう覚悟と決意を表情に覗かせていた。
第十一大境界防壁には、第一軍団が展開しているのだが、今回の作戦がため、第七軍団から七百名が、第十軍団から六百名が寄越され、混成軍が結成されている。
恐府制圧作戦は、戦団史上最大規模の軍事作戦である。
目的は、恐府の殻石を霊石化すること。
それによってオトロシャを無力化すると同時に、人類生存圏を拡大するのである。
もちろん、それは最良の結果であり、オトロシャを撃滅することでこの戦いを終わらせたのだとしても、問題はない。
勝利こそが肝要であり、霊石化に拘って被害を増大させては意味がないからだ。
とはいえ、恐府の霊石結界化による央都の拡大は、戦団が予てより望んでいたことである。
故に、第七軍団が重要視されるというわけだ。
第一、第七、第十混成軍の総指揮は、第七軍団長・伊佐那美由理に任されていた。
第一軍団は軍団長不在だから当然、指揮権など与えられない。残る第七、第十はといえば、同時期に軍団長に任命されており、よって話し合いの結果、美由理が指揮官となったというわけである。
およそ二千名もの導士たちと向き合いながら、美由理は、今作戦における自分たちの役割を説明した。
「我々は、黒禍の森を東へ抜け、地霊の都を目指す。地霊の都に待ち受けるであろう地魔将クシナダの討滅、これこそが最終目標だ」
地魔将クシナダ。
オベロンの情報によって、ある程度の能力は判明している。その呼び名の通り地属性を得意としているが、星象現界を修得した鬼級幻魔が強敵でないわけがない。
まず、地霊の都に到達する事自体が難題だということは、だれの目にも明らかだが。
だからこそ、美由理たちは、こうして力を合わせるのだ。
そして、この混成部隊には、当然のように真星小隊の面々も参加していた。
「なんだか緊張してきたね……」
「そりゃそうだろ。大作戦だぞ、大作戦。緊張しない方がどーかしてるっての」
真白は、黒乃の手を握り返してやりながら、いった。弟が不安に押し潰されそうになっていることは、声を聞かずともわかる。
真星小隊の一員になって以来、幾度か大規模な作戦に参加しているが、しかし、だからといって緊張しない理由はなかった。
特に今回の作戦は、人類の存亡がかかっているといっても過言ではないのだ。
失敗は許されない。
「一二三は、大丈夫?」
「初任務が〈殻〉攻略任務っていうのは、さすがにびっくりだけど、幸多がいるからね。ぼくはなんの心配もしていないよ」
「まあ……一二三の魔法技量なら足手纏いにもならないと思うけどね」
返事とは裏腹に強張った顔の一二三を見つめながら、義一が告げる。
真星小隊の五人の中で最大火力を誇るのが一二三だ。なんといっても星象現界の使い手なのだ。しかし、実戦経験は皆無であり、任務だってこれが最初なのだから、彼が不安に飲まれていたとしても不思議ではない。
法子たちとともに防壁拠点に残っていてもらうべきだったのではないか、と、思わないではないが、彼の事情を踏まえれば、同行させるのも悪くはない。
神木神威複製体たる彼の才能は、おそらく、この混成軍の中でも最高峰に近いはずだ。
才能は、訓練で磨き続けるだけでは、光らない。
数え切れない実戦の経験が、才能を磨き上げ、輝かせるのだ。
星の如く。
そんなことを思いつつも、義一は、幸多の目がわずかに輝いていることに気づいた。
「隊長?」
「ん?」
幸多は、義一の問いかけに小首を傾げた。
幸多は、自分の目がわずかに燐光を帯びていることに気づいていなかった。




