第千二百三十話 彼女たちの選択
「――というわけで、今日から戦団戦務局戦闘部第七軍団に配属された黒木法子だ。諸先輩方におかれましては、なにとぞよろしく頼むぞ」
「同じく、我孫子雷智です。法子ちゃんともども、どうかよろしくお願いしますね」
「……はあ?」
唐突かついつも通りとでもいうべき自己紹介を受けて、幸多が混乱するのも無理のない話だったし、頭の中が真っ白になるのは道理としか言い様がなかっただろう。
つい今し方、大境界防壁・第七防壁拠点が突如として騒がしくなったのは、戦団本部から輸送車両の大群が到着したからだった。それら輸送車両に詰め込まれているのは、大量の物資だけでなく、第七軍団の追加人員もだという話があったということも大きい。
追加人員である。
戦団、特に戦闘部は、人手不足、人材不足が慢性的な悩みだということは、公然の秘密である。戦団は常に人員の募集をしており、戦闘部導士に相応しい人材を確保するべく、双界全土に眼を光らせている。
そんな中、追加人員が送り込まれてくるとなれば、拠点が沸き立つのも無理からぬことだ。
まず、拠点の導士たちは、上からの指示通り、輸送車両の荷室に詰め込まれた物資を手分けして各所に運び込み、あるいは拠点内に配置していった。
幸多率いる真星小隊もそうした作業に従事していたのだが、そんな中、突如として声をかけられたのである。
聞き覚えのある声にはっとしたのも束の間、振り返った先に戦団の制服を着込んだふたりの女性が立っていた。一目見た瞬間、それがだれであるか認識したはずなのだが、脳が理解を拒んだのか、頭の中で混乱が起きた。
黒木法子と我孫子雷智。
艶やかな黒髪に深紅の瞳を持ち、美貌を誇るのが法子であり、青みがかった黒髪と緑柱玉のような瞳が特徴的なのが雷智だ。法子自身、決して背が低いわけではないのだが、長身の雷智が隣に立っているせいで、低く感じられてしまう。
それも、いつものことだが。
そのいつものことが、防壁拠点で起こっているという事実が、幸多の脳の処理に不具合を起こさせたようだった。
固まってしまった幸多に対し、法子はどこか満足げであり、そんな彼女に苦笑しつつも、幸多の存在に安心感を抱くのが雷智だ。
そして、ちょうどそのとき、真白たちが幸多が見たこともない導士と対面している光景を目の当たりにした。
「おっ、なんだなんだ? 新人か?」
「そういえば……各軍団に人員が補充されるって話もあったな」
「隊長と知り合い?」
「うん。そうだよ。あのふたりは、幸多と同じ学校の生徒で、あの黒木法子ってひとは、世代最高峰の才能の持ち主だったはず。だから戦団もずっと昔から目を付けてたんだけど、中々首を縦に振ってくれなかったんだよね」
「へえ……」
「さすがは一二三。情報通だな」
機会さえあれば言葉をまくし立ててくる一二三の情報量の多さには、黒乃はいつものように圧倒されるしかなかった。真白は、ただただ感心したが。。
そんなふたりの反応に満足げな一二三だが、幸多は、それどころではなかった。
「な、なななな、なんで!?」
「なんだ、その反応は。せっかくこのわたしが戦団に入ってやったというのに、もう少し喜んでくれてもいいはずだ。それこそ感涙の余り溺れかけるくらいのことはあっていい」
「幸多くんが驚くのは当然だと思うけれど。なんたって、なんの相談もしなかったんだもの」
「それはそうだろう。わたしの人生はわたしのものだ。わたしの生き方を決めるのは、わたしだけだ」
「ええと……」
なにやら尊大にふんぞり返っている法子に気圧されるのもまたいつものことであり、それが幸多の脳の混乱を加速させる。法子がここにいる事自体、ありえないことのように思えたし、夢でも見ているのではないかと思ってしまうのだ。
法子は、戦団に入るつもりはないのではなかったか。
「先輩?」
「後輩だ」
「はい?」
「戦団では、わたしはきみの後輩だよ、皆代幸多。いや、皆代輝士というべきだったな」
「はあ……」
幸多は、普段となんら調子の変わらない法子に翻弄されながら、ようやく、なんとなく事態を飲み込みはじめた
戦団は、戦闘部十二軍団に対し、補充人員を手配した。それは、ままあることだ。なんといっても、戦闘部の人員は、欠員が激しかった。幻魔との戦闘で命を落とすものもいれば、様々な理由で退職するもの、別部署への異動を願い出るものも少なくない。
戦闘部は、戦団の主役であり、花形たる実働部隊であるが故に、戦団においてもっとも死傷者の多い部署なのだ。
だからこそ、常日頃、戦団が人員を募集しているのであり、人材が集まり次第、各軍団の欠員を補充しているというわけだ。
今回も、各軍団に百名もの人員が補充された。
欠員を埋めるにはあまりある人数だったが、それでもまだまだ足りないというのが、現場の意見だったりする。
なんといっても、オトロシャの〈殻〉を制圧しようというのだ。
戦力など、いくらあっても物足りないくらいだ。それこそ、いまの二倍、三倍の戦力があっても安心できるものではない。
それは、いい。
問題は、法子と雷智だ。
彼女たちがなぜ、ここにいるのか。
法子が雷智とともに戦団に入ったのは、魔暦二百二十三年一月二十日のことだ。
その際、戦団本部にて簡易的な入団式が行われたのだが、それもそのはず。同時に入団した導士の数が千名を遥かに超えていたからだ。
「これでは目立ちようがないな」
という法子の感想に雷智が笑った。
が、しかし、入団式においてもっとも注目を集めたのは、法子だった。
千名以上の入団者の中で、もっとも高い魔法技量を誇ったのが法子であり、その結果として軍団長たちから引く手数多だったのだ。
どの軍団も法子を引き入れたくて必死だったらしく、抽選の結果、第七軍団への配属が決まった。
そして、早々に第七軍団の任務先へと送り込まれ、この防壁拠点と名付けられた場所を訪れたというわけであり、法子と雷智にとって激動の一日というほかなかった。
「わたしが戦団に入った理由? そんなものを知ってどうする」
「いや、でも……戦団に入らず、ヒーロー活動をするのが生き甲斐みたいな感じだったじゃないですか」
幸多が法子に問うたのは、作業を終え、場所を移してからのことだった。
第七防壁拠点内の食堂の一角。真星小隊の五人と法子、雷智がテーブルを囲んでいる。
「あれはごっこ遊びだよ。本物のヒーローは、導士だ。それはきみも理解していることと思うが」
「それは……まあ」
幸多は、法子の淡々とした説明に相槌を打つしかない。
導士こそ、本物のヒーロー。
法子の言葉に嘘はない。それが事実であり、現実というものだ。この央都における最高最善最良のヒーローとは、日夜命を懸けて戦い続ける導士をおいてほかにはいない。
そのような圧倒的な現実は、ヒーローものの創作物を陳腐なものにしてしまった。どれだけヒーローが格好良く戦おうが、現実世界の導士の決死の戦いぶりと比較すれば、どう足掻いてもつまらなくなってしまうものだ。
それでもヒーローものの作品は数多と作られ、子供たちには人気を博したが、それもいつまでも続かない。
子供たちが、魔法に触れ、魔法を学べば、現実世界における最高峰の魔法士である導士にこそ、ヒーローを見出していくからだ。
「わたしたちのあれは、ただのヒーローごっこだ。できることに限りがあり……いや、むしろ、なにもできなかったというべきだな。一般市民の限界を感じたよ」
「限界……」
「ここのところ幻魔災害が頻発していることは、当然、きみも知っているだろう」
「はい」
「わたしは、そうした事態に対し、無力だった。当たり前だな。一般市民が幻魔にできることなどなにもない。少なくとも、わたしはそう感じた」
「先輩が……」
「なんだ、その顔は」
法子は、なにやら衝撃を受けているらしい幸多の顔をじっと見つめた。いまや若き英雄として持て囃されている彼の顔つきは、以前とは比較にならないほど精悍であり、研ぎ澄まされた戦士そのものだ。
それに比べれば、法子たちの顔など、平和ボケしきったものに違いなく、それが一般市民と導士の差なのだとすれば、自分もいずれ彼のような顔つきになるのだろうか。
いや、なれるかどうかではない。
ならなければならない。
「先輩の魔法技量なら、獣級幻魔くらいなら戦えるんじゃないかと思って」
「わたしはきみじゃないぞ」
「はい?」
「きみみたいに法を無視して幻魔と戦うなど……まあ、何回かあったが。あったな、そういえば」
「あったわよぅ、法子ちゃん。そのたびに導士様に怒られてたじゃない」
「うむ。そうであった」
雷智の苦笑を鷹揚に頷くことで肯定した法子に対し、真星小隊の面々は、なんともいえない顔をするほかなかった。
黒木法子という人間について、いまだなにも理解できていない。
どうやら隊長が彼女に振り回されているということは、なんとはなしに把握できたのだが。
「なんなんだ、このひと」
「不思議なひとだね?」
「一般市民でありながら幻魔と戦うという一点では、隊長と似ている……か」
「そこだけだね」
一二三は、義一の法子評に全力でうなずき、幸多がいまだ面食らっている事実を横目に見た。
幸多は、法子が戦団に入ったことが現状の深刻さを現している様な気がしてならなかった。




