第千二百二十六話 余震(一)
『中津駅直上にイフリート出現。付近に展開中の小隊は、速やかに対応してください』
『山中駅周辺にガルムが二十体出現、付近に展開中の――』
『河岸駅直上にカーシーが二十体出現――』
「おいおい、どうなってんだ? 随分と大入りじゃないか」
通信機越しに聞こえてくる情報官たちの声に対し、羽張四郎は、顔をしかめた。通信機の向こう側は、作戦司令室だ。そこでは、多数の情報官が市内で発生した幻魔災害に対応しているのである。
ここのところ小康状態といっても過言ではなかった幻魔災害が、突如、同時多発的に起こったのだ。だれもが彼のような反応をするのは当然だったが、それよりも真は、耳に飛び込んできた市民の悲鳴にこそ意識を向けた。
そのときには、そこかしこから警報音が聞こえてきている。ひとびとの携帯端末から、市内各所に設置された警報機から。甲高く、そして重厚な警報音は、幻魔災害の発生を周囲一帯に知らしめるためのものであり、故に、不安を煽り、心をざわつかせるような音をしていた。
そして、真の目は、警報の発生源の特定へと至った。葦原市東街区篠原町の町並み、そのただ中。
「天燎高校敷地内に幻魔災害の発生を確認」
『確認。速やかに現場に急行し、対応してください』
「了解」
真は、情報官からの指示を受け、部下たちに目配せした。第十軍団草薙小隊の面々。羽張四郎、布津吉行、村雨紗耶。
巡回任務中だったということもあり、全員導衣を身に纏い、法機を手にしていた。そして、つぎの瞬間には法機に飛び乗るようにして飛行魔法を発動、大気を突き破る勢いでもって現場へと急行した。
現場は、天燎高校の校庭である。
そこに一体の幻魔がいた。一見して、妖級幻魔だとわかる。きらびやかな甲冑を纏う、全長三メートルの女巨人。
「ヴァルキリーね」
「ミトラの軍勢じゃあないだろうな」
「違いますね。殻印は……オトロシャのもの」
「はっ」
四郎が吐き捨てたのは、オトロシャとその配下の幻魔に対する憎悪が膨れ上がっているからだ。既に何十人、何百人もの導士が、オトロシャ軍との戦いで命を落としている。
星将も二名、三魔将との戦いの果てに死亡した。
死因がなんであれ、最大の原因がオトロシャ軍であることは疑いようのない事実だ。故に、導士のだれもがオトロシャ軍に対する強い怒りや恨みを抱くのであり、その憎悪が戦うことへの原動力となる。
怒りだ。
オトロシャ軍への限りない怒りが、導士たちの魂を燃え上がらせる。
「いまオトロシャは、動くに動けませんからね。こうして、いつでも央都市内に戦力を送り込めることを証明し、戦団の戦力を釘付けにしようとでもしているのかもしれない」
「自分にされていることを仕返してるわけっすね」
「恐らく、ですが」
真がそう付け足したころには、眼下にヴァルキリーを捉えていた。光り輝く甲冑を纏う戦乙女は、その巨躯でもって天燎高校の校舎と対峙しているかのようであり、手にした大剣が莫大な光を放ち始めていた。
ヴァルキリーソード。
「避難は?」
『完了済みです! 校舎内は無人、遠慮なくやっちゃってください!』
「遠慮なく、ね」
「ってことで、出番ですな、隊長殿」
「出番?」
『あれに対抗できるのは、草薙隊長のあれしかないでしょ!』
「あれって」
真は、情報官やら部下やらの言いたい放題としか言いようのない言葉の応酬に苦笑しつつ、既に編み上げていた律像を解除した。魔力をさらに錬成し、集中、星神力へと昇華する。だが、そのときにはヴァルキリーソードは発動していて、天高く聳える光の柱が真っ直ぐに振り下ろされている。
極光の如き魔法の剣は、もちろん校舎などではなく、草薙小隊を薙ぎ払わんとしたが、しかし、直撃は免れる。空を薙ぐ光芒の分厚さは、目に痛いほどだ。
紗耶が魔法防壁を展開し、吉行と四郎が魔法弾でもってヴァルキリーを牽制するも、ヴァルキリーは身じろぎひとつしない。
「通用しない?」
『魔素質量から、なんらかの方法で強化された個体と考えられます! やはり、草薙隊長のあれしかないです!』
「強化個体だと?」
「ですって、隊長!」
「わかってます」
真は、そのときには法機から飛び降りている。向かう先は、校舎の屋上。ヴァルキリーの目が真を追った。真の魔素質量が、ほかの三人とは比べものにならないほどに莫大だからだ。そして、彼の魔力が星神力へと昇華され、複雑怪奇な律像が多層的に形成されていくと、ヴァルキリーもまた、光の剣を強化した。
ただのヴァルキリーではない。
おそらくは、オトロシャの加護によって強化されたのであろう個体は、妖級上位かそれ以上の力を持っていてもおかしくはなさそうだ。
だからこそ、真だ。
草薙真の星象現界・天叢雲剣。
「天叢雲剣」
真が真言を唱えると同時に星神力が膨張、頭上に翳した両手の間に収斂し、紅蓮の剣を形成した。燃え盛る炎の剣は、その輝きだけで周囲の魔素を焼き尽くし、圧倒する。ヴァルキリーが思わず仰け反るほどの魔素質量。
真は、ヴァルキリーに向かって、軽く剣を振り上げた。紅蓮の一閃。それだけで、ヴァルキリーの巨躯が真っ二つに切り裂かれ、断面から魔晶体が焼き尽くされていく。
ヴァルキリーが断末魔を上げることすらできなかったのは、天叢雲剣の追撃が頭部を両断したからだ。
決着は、一瞬。
「こちらも片付いたわ。難なくね」
『それはそうでしょうとも。軍団長御自身が出撃なされたのですから』
「それ、嫌味?」
『まさか、滅相もない』
「まあ……そうよね」
第十軍団副長・平塚光作との普段通りのやり取りに表情を綻ばせながら、朱雀院火倶夜は、本部町の町並みを見ていた。
葦原市中津区本部町。
央都の中心にして双界の中枢ともいうべき町は、この度の同時多発幻魔災害の直撃を受けていた。
市内各所を同時多発的に襲った幻魔災害。それらには即座に対応できたおかげもあって、被害を最小に留めることに成功しており、その点では本部町も同じだ。
少なくとも、市民の被害は皆無だ。
建物や道路こそ多少なりとも損壊しているものの、人的被害がでなかったのであれば、問題はない。市民の命ほど大切なものもないのだから。
「オトロシャもやってくれるわね。恐府に釘付けにされてるくせに」
『だからでしょう。オベロンを撃滅された以上、戦団を軽視できなくなりましたからな』
「ええ。そうでしょうとも」
現場に駆けつけた幻災隊によって、妖級幻魔を始めとする多数の幻魔の死骸が撤去され始めていく。
その光景を眺めながら、火倶夜は考える。
オトロシャは、いま、恐府から動くに動けないでいる。
戦団が絶えず戦力を送り込み、恐府の隙を窺っているからであり、もはや戦団の戦力を看過できなくなったからだ。
オトロシャの腹心たる三魔将、その一角、妖魔将オベロンが戦団によって討たれた。
オトロシャが意気揚々《いきようよう》と央都に乗り込めば最後、恐府内に乗り込まれた挙げ句、殻石を破壊され、絶命しかねない。
三魔将がいれば盤石とは言い切れなくなってしまった以上、その最悪の結末を可能性として考えなければならなくなってしまったのが、オトロシャなのだ。
故にこそ、央都の各地に戦力を送り込み、戦団の力を削ごうとしているのではないか。
今回、央都四市を襲った幻魔災害は、いずれもオトロシャの殻印が刻まれた幻魔によって起こされたものだった。
「あるいは、戦意を挫こうとでもいうのかしら」
『かもしれませんし……あるいは」
「あるいは?」
『本格的な侵攻の前触れ……でなければいいのですが』
「……そうね。可能性は皆無ではないものね」
オトロシャは、恐府を動けない。
ただしそれは、オトロシャが恐府に拘っているという前提の話だ。
恐府を、〈殻〉を捨て去り、殻石を魔晶核に戻すという選択肢も、絶対にありえないとは言い切れないのだ。
ならばこそ、戦団も戦力の増強に余念がない。
戦力は、あればあるだけいいのだから。




