第千二百二十三話 九月機関の子供たち(六)
「――さすがは高級技師とでもいうべきかな。まさか我々の存在を暴き出すものが現れようとは、想定外も甚だしいが……まあ、いい」
静馬がその仮面の男と対峙したのは、いまから二十年以上も昔のことだ。
それこそ、彼の夢が動き出すよりもずっと前のこと。技術局員として実績を積み重ねたことにより、副室長の肩書きを与えられ、己が力を存分に発揮していた時期だった。
とはいえ、万能感に酔い痴れることもなければ、全能感に満たされるということはなかった。
むしろ、絶望さえしていた。
静馬の生命技術を以てしても、現状を変えることは愚か、未来を切り開くことすらかなわないのではないか。
暗澹たる失意の底に沈みかけていた彼の前に現れたのが、その男だった。
「接触してきたのは、そちらからでしょう。それとも、わたしが気づかなければ、放置していたとでも?」
「……ふむ。そこまで理解しているのなら話は早い。どうかね。我々と手を組まないか? きみの技術力は、人類の未来を切り開くためにこそ使うべきだ」
「それではまるで、戦団には人類の未来を任せられないといっているようですね」
「そういっているのだよ」
灰色の仮面の向こう側で、その男の目が冷ややかに輝いていた。網膜に焼き付いているほどに印象的なまなざし。この世界に絶望し、それでもなお歩みを止めることのできない男の目。
機械的に加工された声音の低く冷たい響きも、それを助長しているようだった。
絶望に触れたものは、心から死んでいくものだ。
そして、静馬は、その男との邂逅によって、そのすべてが変わったのだ――。
「所長の夢……?」
「それって、なんなんです?」
黒乃と真白には、まるで想像もつかないものの、故にこそ身を乗り出した。大好きな父の夢について知ることができるというのであれば、それは、限りない喜びだろう。
「人類復興、幻魔殲滅……戦団が掲げる悲願、大願をわたし自身の手によって叶えるという大それた野望だよ。実に安直だが、それがすべてだった。野心といってもいい」
「野望……」
「野心……」
九十九兄弟は、静馬の表情がいつにも増して熱を帯びていることに気づいていたし、だからこそその言葉が真に迫っているのだと感じていた。静馬の言葉に嘘はない。本音だ。本当のことを話してくれている。
だからこそ、疑問も浮かぶ。
「戦団に所属したままじゃ駄目だったんですか?」
「技術局の副室長だったんだろ? 室長すら目じゃなかったって聞いてるけど」
「そうだね。確かにあのまま技術局員として実績を罪続けていれば、わたしが室長になるのも夢じゃなかっただろうね。だれもがわたしを評価してくれていたし、わたしを必要としてくれていた。わたしも、戦団での職務にやり甲斐を感じていたよ」
ひとりの技術者として、研究者として、技術局という職場ほど力を発揮できる場所はなかったし、待遇もまったく悪くなかった。
むしろ、あれ以上の厚遇を望めるはずもないというくらいだったのだ。給料は、仮に暇を持て余していたとしても自分ひとりでは到底使い切れないほどで、福利厚生も行き届いている。
同僚たちは限りない熱意の持ち主ばかりだったし、常に白熱する議論は、技術局全体の結束を高め、技術水準を押し上げるのに貢献したはずだ。
得難い場所であり、得難い経験だった。
九月機関を立ち上げてからというもの、技術局を目標としてきたものの、一度たりとも再現できたことはなかった。
九月機関には、技術局に匹敵する技術者、研究者が揃っているが、やはり、静馬を頂点とする研究機関に過ぎないのだ。静馬の考えに左右されてしまう部分が大きい。
もちろん、それはそれで構わないのだし、九月機関をそのように作り上げたのは、ほかならない静馬自身だ。
「しかし……戦団に所属している限り、わたしの想像力を発揮することはできないという結論に至ったんだよ。つまり、研究と技術の成果を形にするには、戦団という場所では無理だったんだ。だから、戦団を辞し、九月機関を立ち上げたというわけだ」
「その技術と研究の成果が、おれたち……ってことだよね?」
「……ああ、そうだよ。真白、黒乃」
静馬は、九十九兄弟それぞれの顔を見て、そのほとんど変わらない、まるで鏡写しのような容貌に目を細めた。半身なのだから当然といえば当然だが、それにしたって似すぎている。完全無欠に同じ形に作られ、そのまま成長したのだということがわかるから、静馬も納得感があった。
違うのは、髪の色と表情。表情は、性格と感情の発露であり、強気な真白と弱気な黒乃では、普段の顔つきからして正反対だった。
自分たち以外には静馬しかいないこの空間であっても、黒乃は小動物のようにおどおどしていて、真白の手を握ることでようやく安心しているようなのだ。
もちろん、そんなことはなんの問題にもならない。
なぜならば、
「きみたちは、九月機関が作り上げた最高傑作なんだよ」
静馬が静かに告げると、真白と黒乃は、虚を突かれたように目をぱちくりとした。なにがなんだかわからないといった有り様であり、それは極々当然の反応だから、静馬も彼らが理解するまで時間をかける。
彼らにとって衝撃的としか言いようのないはずの事実は、しかし、即座に理解できなかったがために、呆然とせざるを得なかった。静馬がなにをいったのか、その言葉がどういう意図で、どういう理屈なのか、瞬時に把握することができない。
「最高……傑作……?」
「九月機関が作り上げた……?」
真白と黒乃は、静馬の言葉を繰り返すようにしてつぶやきながら、その意味を理解しようと努力した。
努力。
そう、努力だ。
耳朶に飛び込み、鼓膜に突き刺さった父の言葉は、脳内を掻き乱し、頭の中に散乱して反響した。幾重にも乱反射する言葉を拾い集めて元の形に戻し、理解しようとするには、かなりの努力が必要だった。
九月機関が作り上げた最高傑作。
静馬が発したその言葉がなにを意味するのか。
ふたりの混乱が加速する中で、静馬が、うなずく。
「きみたちだけじゃない。九月機関の子供たちは……この妖精の城の住人たちは皆、我々が一から作り出した新世代の魔法士なんだよ」
静馬は、真白と黒乃が愕然とする様子を見つめながら、さらに続けた。
「きみたちは自分が特別な魔法の才能を持っていることに気づいているだろう。属性の得手不得手がなく、あらゆる属性を均等に扱うことのできる特性。属性を極めることはできないが、全属性を高水準で使いこなすことのできる才能」
「それは……」
ふたりは、静馬の目を見つめ、言葉を飲み込んだ。
真白と黒乃が自分たちのその特性に気づかされたのは、夏合宿のときだ。義一の真眼による診断の結果、属性の偏りがなく、故に得意も不得意もないということがわかったのだ。それまでは、真白は光が、黒乃は闇が得意属性だとばかり思っていた。それはそのように教育されたからであり、担当教官である火村がそのように診断した結果だった。つまり、火村の診断が間違っていたということになるのだが、それは、いい。
ともかく、それ以来、ふたりは八大属性の魔法を使い分けるようになり、成果も上々だった。
しかし、そのような性質になんらかの理由があるなどと想像したこともなかった。
だれしも得意属性、不得意属性を持つように、全属性を平均的に扱える体質だったというだけだと思っていたのだ。
義一が真眼という異能を持つように。幸多が魔法を使えないように。
だれもが持ちうる特性のひとつだと思っていた。
そして、ふたりは一卵性双生児だから、その特性すらも分け合ったのではないか、などと考えていたのだが。
どうやら違うらしい。
「それは、きみたちがここで生まれたという証明だよ。きみたちは、我々によってそのように設計されて、生まれてきたんだ」
「設計されて……」
「ここで生まれた……」
「そう。きみたちだけじゃない。亞里亞くんが水属性しか使えないのも、火水くん、風土くんが双極属性を使いこなせるのも、我々の設計図通りなんだよ。きみたち九月機関の子供たちは、皆、なにかしらの特性を設計され、誕生したんだ」
静馬は、告げ、子供たちの反応を待った。
真白も黒乃も、すぐには理解できないだろう。だが、それでいい。それが普通の反応だ。自分たちが九月機関に引き取られた孤児だと信じ、その過去に成立していたのが彼らの物語なのだ。その前提が崩れ去った以上、即座には立ち直れまい。
しかし、伝えておくべきだった。
ふたりが、黄緑と紫の言動によって、自分自身の存在について苦悩していたのだ。いまや押しも押されぬ超新星のふたりが、そんなことで思い悩み続けるのは良くないことだ。
(なにより)
立場がひとを作る。
もはや導士としての立場を確立したふたりならば、真実を知ったとしても、受け入れ、前に進むことができるに違いないと判断したのだ。
ほかの九月機関の子供たちがそうであったように。
静馬は、ふたりの表情がゆっくりと変化し、事実を受け入れていく様を見届けた。




