第千二百二十話 九月機関の子供たち(三)
「困った子たちね」
「まったくだ」
火水と風土は、互いの顔を見て、自分たちの感情が完全に同調していることをその表情から理解した。紫と黄緑のことが、まるでわからないのだ。
あのふたりが、九十九兄弟に対してだけ妙に当たりが強いという話は聞いていたし、その現場を目撃したことも何度もあった。そして、そのたびに火水たちが九十九兄弟の側に立つのは、年長者として当然のことだったはずだ。
九十九兄弟は、いわれのない誹謗中傷を受けている被害者に過ぎない。ならば、兄として、姉として、弟たちを護らなければならないし、仲裁に入るべきだ。
できれば、あのふたりが今後、九十九兄弟を罵倒しなくなるようにしたいのだが、しかし、なにをいったところで聞いてくれる様子はなかった。
既に何度も注意しているし、静馬にもいってもらっているのだが、効き目は見受けられない。
父の言葉すら耳に入らないというのは、どういうことなのか。
「あのふたりになにがあったんだろうな」
「そうよね。昔は、あんなに仲良かったのに」
「……ぼくたちにもわからなくて。どうしてこんなことになったのかな……」
「わかんねえ……わかんねえよ……」
火水たちに聞かれたところで、真白と黒乃にも答えようがなかった。頭を抱えるしかないのだ。紫と黄緑とは、本当の兄弟のように仲が良かったはずだ。それこそ、火水たちがそのことを覚えているくらいには。
真白にとっての実の兄弟、肉親は、黒乃ひとりだけだが、妖精の城で育てられた全員が血の繋がらない家族であり、兄弟だという認識もまた、確固たるものとして持っていた。それは九月機関出身者だれもが持つ共通認識である。火水は姉だったし、風土は兄で、亞里亞が一番上の姉なのだ。
そんな中にあって、真白たちが黄緑と紫を年の近い兄、姉と考えるのは、当然のことだった。
そして、四人の仲が良かったことは、だれもが知っていることだ。
(四人……?)
違和感が、黒乃の意識を過る。
(四人――)
自分の頭の中を覗き込み、記憶を掘り起こそうとしても、やはり、いつもと同じ結果に終わる。黄緑と紫に纏わる記憶は、なにやらもやがかかっており、輪郭すらあやふやなのだ。仲が良かったということだけは確かなのだが、それ以外の部分を思い出すことができない。
「あのふたりになにかあったのか」
「第十二軍団で上手くいっていないとか?」
「大姉さんがいるのにか?」
「大姉さんがいるからこそ、よ」
風土と火水のいう、大姉さんとは、もちろん、亞里亞のことだ。妖精の城出身者の中でも最年長であり、導士としての階級も一番上である亞里亞を尊敬してやまないからこその呼び方である。
そして、
「わたしがいるとなにか問題なのかしら?」
「え、あ、いや、そそそそんなことはありえませんし、あるはずないじゃないですか、嫌だなあ……!」
「随分としどろもどろですね?」
亞里亞が、慌てふためく火水を見て、悪戯っぽく笑った。その笑顔は、さすがは年長者というべきか、この場にいる全員を包み込んでしまうような柔らかさがあった。
だから、だろう。
黒乃も真白も、なんだかほっとした。
すると、亞里亞がふたりに目を向ける。
「真白くん、黒乃くん、所長が呼んでいますよ。ふたりに話したいことがあるそうです」
「所長が?」
「おれたちに話したいこと?」
「はい。内容は聞いていませんが、とても大切なお話みたいです」
「大切な話……」
「なにかな?」
真白も黒乃も思い当たる節がまるでなくて、互いに顔を見合わせたまま、少し考え込んだ。が、すぐさまそれが見当違いだとわかると、その場を辞した。
静馬に会って、直接話を聞くべきだ。
なんの手がかりもなく考えこんだところで、答えなど見つかるはずもない。
静馬は、妖精の城の最奥部にある一室で、ふたりが来るのを待っていた。
妖精の城。
九月機関が引き取った孤児たちの家であるそれは、真白と黒乃にとっての我が家といっても過言ではなかったし、もっとも心安らぐ場所だった。どこにいてもいいし、なにをしてもいい。なんの問題も起こりえず、安心しきっていられる。
そんな城の最奥部にあるのは、所長執務室だ。その名の通り静馬のための一室は、普段、ほとんど使われることがなく、故に城の子供たちの手によって好き放題されていた。真っ白なはずの壁が、その白さを奪い取られるほどに落書きだらけだったし、室内のそこかしこに子供たちの玩具が転がっている。
そうした落書きや玩具の数々を片付けることなく放置しているのが、いかにも静馬らしかった。
静馬は、子供たちになにかを強制するということがない。
「待っていたよ」
静馬は、執務机に向き合っていて、なにやら仕事をしている様子だった。だから、真白と黒乃は少し気後れした。仕事の邪魔をしたくはないからだ。
とはいえ、静馬に呼ばれたというのであれば、待っていたというのであれば、進み出るしない。
仕方なしに室内を歩いて行けば、静馬も席を立った。
「少し、話をしよう」
そういって、静馬は執務室の片隅にふたりを促した。そこに応接用の椅子とテーブルが配置されているからだ。九十九兄弟は、促されるままに席につくと、静馬が腰を下ろすのを待った。食事会とは打って変わった緊張感があるのは、ここが執務室という前提があるからだろうが。
「話って……なんです?」
「特になにがあるというわけじゃないんだ。ただ……きみたちも気になっていることがあるんじゃないかと想ってね」
「気になること……」
「昨年は、きみたちにとって躍進の年だったね。大躍進といってもいい。最初こそ手間取っていたけれど、第七軍団に移ってからは面目躍如の大活躍。わたしを含め、機関のだれもが誇らしく思っていたはずだよ」
「誇らしく……」
「そう思ってくれたのなら、嬉しい……かな」
真白も黒乃も、静馬の言葉のひとつひとつが嬉しくて仕方なかった。胸の奥から暖かくなって、全身に喜びが満ちていく。細胞という細胞が熱を帯び、魔素が大量に生産されているような感覚さえもあるほどだ。それがたとえただの錯覚なのだとしても、この感覚は記憶に留めておきたい――そんな風に真白は想うのだ。
静馬は、父親だ。血の繋がりはなくとも、自分たちにとっての天地の柱なのだ。すべての規準であり、規範。根源にして、目標。
真白も黒乃も、静馬のような人間になりたかったし、なるべきだと考えていた。
「そして、いまや押しも押されぬ導士になったふたりにならば、真実を明かしてもいいとわたしは考えた」
「真実?」
「なんのこと?」
静馬の発言は、ふたりにとって予期せぬものであり、きょとんとした。虚を突かれるとはまさにこのことではないか。真実。その言葉が意味するところは、なにか重大な秘密があるということにほかならない。
では、どのようなことに秘密があるというのか。
九月機関にか。
妖精の城にか。
自分たちにか。
そのすべてに、なのか。
真白と黒乃の頭の中がぐるぐると渦巻き、混乱さえ始める。
「紫と黄緑がなぜ、きみたちをあのように罵るのか、その原因のひとつはそこにあるんだと思う」
「原因……」
「それは、いったい……」
真白と黒乃は、静馬の発する言葉を一片たりとも聞き逃すまいと耳を澄ました。固唾を呑んで、その唇が動く様を凝視する。
静かだった。
部屋の外の騒がしさなど、室内には一切伝わってこなかったし、無音にも等しい静寂が空間を支配していた。自分たちの鼓動だけが次第に大きくなっていく。血の流れる音すらも聞こえるのは、気の所為などではあるまい。
「九月機関は、知っての通り、わたしが立ち上げた研究機関だ。わたしが元々戦団の研究員だということは知っているね。魔導強化法の研究に携わっていたことも、聞いているはずだ。わたしが話したかもしれない」
静馬は、どこから話すべきかと考えながら、言葉を紡いでいく。
自分と、この研究機関に関する秘密を。
彼らが知るべきことを。