第百二十一話 幸多と統魔(二)
皆代引越小隊の活躍によって、幸多の引越作業はあっという間に終わってしまった。
幸多は、ただ指示するだけでよかったし、その指示も持っていかないものを指定するというだけのことであって、特別なことはなにもしなかったのだ。
ほとんど見ているだけだった。
それでもなんの問題もなかったのは、皆代小隊の導士たちがいずれも優れた魔法士であり、ミトロ荘の建物自体に一切傷つけることなく全ての作業を終えることができたからだ。
見ていて、安心感があった。
「さすがだね、皆代小隊」
「当たり前だろ。おれたちは生粋の魔法士だぜ」
幸多が素直に褒め称えると、統魔は当然だと言わんばかりの表情をした。
幸多と統魔がいるのは、天風荘三階の一室であり、統魔が住居としている部屋である。
広い部屋だった。
さすがは高給取りの導士が住居として選ぶだけのことはある、などといったのは、新野辺香織だ。皆代小隊の面々は、統魔の部屋に入るのは今回が初めてであり、引越作業のついでに部屋中を探検しては統魔に怒鳴られていた。
いま現在、幸多と統魔が寛いでいるのは、居間だ。居間には小さな円卓と長椅子が置かれていて、統魔は長椅子のふかふかのクッションに体を沈み込ませている。
幸多は、ミトロ荘から運んできた自分用の座椅子に座って、統魔と向き合っていた。
居間以外にも、部屋が二つある。一つは元々統魔が自室として使っている部屋であり、もう一つの部屋が幸多の部屋として割り当てられた。荷物もなにも入ってなかったため、ミトロ荘の幸多の部屋から運び込まれたもののほとんど全てが押し込まれている。
台所、洗面所、風呂、便所――普通の生活に必要な設備は全て揃っている。どれもこれも最新の設備であり、機能性も抜群だ。そしてなにもかもが綺麗過ぎて、生活感がなかった。
統魔が長椅子に沈み込んでいる様を見て、ようやく生活感というか、そういう空気感が出てきたほどだ。
本当にここで一年以上生活していたのか、と疑いたくなるくらいの生活感のなさは、導士という仕事上、仕方のないことなのかもしれない。
この家で過ごす時間というのは、限られている。
日中は任務で市内を飛び回ることもあれば、暇さえあれば訓練所に籠もって鍛錬を重ねており、衛星任務で央都を離れることも少なくない。
となれば、この家で生活する時間は、限りなく短くなるだろう。
幸多が感じた生活感の薄さは、そうした理由からくるものに違いなかった。
「統魔はほとんどなにもしてなかったけど」
「あいつらが騒ぎすぎなんだよ。もっと静かにゆっくりやればいいのに。おかげで注目を浴びてる」
そういって、統魔は、携帯端末の幻板を空中に投影して見せた。そこに映し出されたのは、皆代小隊による夜の引越作業の模様だ。誰かが記録した映像をネット上に流したに違いない。
皆代小隊は、央都有数の有名人であり、市民期待の超新星である皆代統魔率いる小隊だ。その小隊がなにやら大騒ぎで作業をしているとなれば、注目を集めるのは当然だったし、そうした映像等がネット上に流されたとしても致し方のないことだった。
幸多は、苦笑するしかない。
「人気者は大変だ」
「おまえも、すぐにこうなるさ」
「どうかな」
「どうかな、じゃないだろ。これくらいの人気者になるくらいの気概を見せろよ、幸多」
「うーん」
幸多は、首を捻る。人気が欲しいわけじゃない。そんなもののために戦団に入りたかったわけではないし、入ったわけでもない。もちろん、統魔の言いたいこともわかっている。
「導士として任務に着き、活躍する。そうすれば、自然と市民に顔を知られるようになるし、場合によっては、人気が出てくる。なにもしなくともな」
「統魔みたいに?」
「おれほどの人気者はそうはいないぜ?」
「すっごい自信だ」
「どうでもいいんだけどな、そんなものは。でも、こうした人気を実感するたびに思うよ。おれは戦団に入って良かった、って」
「そんなに人気者になりたかったっけ?」
幸多が茶化すと、統魔は半眼になって彼を見据えた。
「……あのな、誰がそんなことをいってんだよ」
「ごめんごめん」
統魔の真剣なまなざしに気づき、幸多は即座に謝罪する。
統魔は、それでよしとすると、話を続けた。
「央都百万市民といわれるようになったばかりだが、この人類生存圏には、それだけの人が住んでいて、それぞれ精一杯に生きている。彼らには幻魔と戦うだけの力はないから、生きるだけでも十分すぎるくらいに頑張っているんだ。こんな地獄のような世界で、それでも生きていかなきゃならない。これは絶望的な現実だけど、だからといって、生まれ落ちた以上は生きていきたいだろう。誰だって、そうだ」
「うん」
「おれは、そうした人々からの声援を受けるたびに思うよ。この人達を一人として死なせたくない、おれたちと同じ目に遭わせたくない、って」
「ぼくたちと同じ目……」
幸多は、統魔のその言葉を反芻するようにつぶやく。その瞬間脳裏に過ったのは、誕生日の日、目の前で父が幻魔に殺される光景だ。
その光景は、網膜に焼き付いていて、一生離れることはないだろうと確信している。そしてそれこそが、幸多の原点であり、原動力だった。
その光景を思い出す度に、ふつふつと沸き上がってくるものがある。
怒りだ。
限りない怒りが心の奥底から、魂の深奥から噴き上がってきて、全身を灼き尽くさんばかりになるのだ。暑くもないの全身が汗を噴き出しのも、その所為だろう。
統魔は、そんな幸多の様子の変化を自分のことのように見ている。統魔の網膜にもまた、同じ光景が焼き付いていて、離れることはない。憤怒と絶望と憎悪と怨嗟が、あの瞬間を思い出す度に吹き荒れる。体が燃えるように熱い。
今すぐ暴れ回りたくなるくらいだ。
「そうだろう。だから、おまえも戦団に入ろうと想った。違うか?」
「違わないよ」
幸多は、統魔に問われて、静かにうなずいた。内心の怒りを静めるように、小さく、深く。
「そうだ。そうなんだ。ぼくは、そのために戦団に入った。戦団の、戦闘部の導士になって、きみとともに幻魔と戦い、少しでも犠牲を減らすために」
「少しでも、じゃない」
統魔は、力強く断言した。
「一切の犠牲をなくすんだ」
それが途方もなく困難であることは、一年先に戦団に入り、数え切れない死線を潜り抜けてきたであろう統魔が一番よくわかっていることだ。しかし、そう断言したくなる気持ちは、幸多にはよくわかることだった。
それこそ、夢だ。
幻魔のいない世界。
幻魔災害に脅かされることのない世界。
そして、それはまさに戦団が標榜とする人類復興を果たすためには、必要不可欠な要素に違いなかった。
幻魔は、人類の天敵だ。幻魔が存在する限り、人類が繁栄することはありえないのだ。
この地球という星の大半が幻魔の領分と成り果てた今、人類が再びかつてのような栄光を取り戻すためには、人類生存圏を拡大していくためには、幻魔を討ち滅ぼしていく以外に道はない。
実際、央都はそうして拡大してきている。
最初から、そうだった。
約五十年前に実行された地上奪還作戦は、地上を跋扈する幻魔から人類の領土を取り戻すための作戦であり、その結果、央都の基盤が出来上がった。
それからも人類と幻魔の間では、幾度となく死闘が繰り広げられており、数多くの亡骸の上に、現在の人類生存圏が存在している。
幻魔殲滅。
それは、人類共通の夢であり、大目標と言っても過言ではなかった。
「もちろん、簡単なことじゃないのはわかってるし、おまえがおれについてこられるかどうかはまったくの別問題なんだがな」
「そうだね」
「そこは、やってみせる、っていうところだろお」
統魔は、呆れ果てたような顔をして、笑った。幸多の素直すぎるところは、嫌いではなかったし、むしろ好きだったが、だからといってこういうときまで素直になることはない。
「でもさ」
幸多は、そんな統魔の反応を見つめながら、それでも自分に嘘はつけなかった。
「ぼくは完全無能者だから、どれくらいのことができるものか、わからないよ」
「できるさ。おまえなら」
「そうかな」
「少なくとも、おまえはこれまで何体もの幻魔を倒してきたっていう事実があるんだ。それを積み重ねていけば、いまよりもっと強くなれる。おれはそう信じているよ」
統魔の確信に満ちた言い方に対し、幸多は、聞き入るほかなかった。
統魔の声は力強く、聞いているだけで不思議な力が湧き上がってくるかのようだった。