第千二百十八話 九月機関の子供たち(一)
この室内の空気が妙に重いと感じているのは、きっと、自分たちだけなのだろう。
真白と黒乃は、自分たちだけがその重圧を感じているという事実に気づいていたし、その感覚を共有していることも理解していた。生まれてから今日に至るまで、ほとんどずっと一緒に育ってきた双子の兄弟なのだ。喜び、悲しみ、怒り――ありとあらゆる感情を共有してきたといっても過言ではない。
性格は、正反対。
だが、感情の根源は、同じだ。
出力の仕方が違うだけだろう――とは、研究員たちの言葉であり、それにはふたりも同意見だった。
あることに怒りを覚えたとき、怒鳴り散らす形で発露するのが真白ならば、大粒の涙を流すのが黒乃なのだ。同じ感情でも、表現する方法が違う。ただ、それだけのことだ。
それだけのことが、周囲の人間には伝わらないし、余計な混乱を生むらしい。
自分たちのことをよく知る研究員たちならばともかく、知る由もない導士たちとの生活が苦痛以外のなにものでもなかったのは、結局、そういうところにあるのではないか。
いまや、過去の話だが。
さて、この空気の重さを感じているのが自分たちだけだと判断するのには、理由がある。
この大きく広いテーブルを囲むほかのひとたちの表情が、明るく、安定しているからだ。
九月機関総合研究所の敷地内、妖精の城と呼ばれる施設、その広間に呼び集められたのは、九月機関出身の導士ばかりだ。それも、戦闘部に所属し、年始休暇を取ることができたものだけが、この場に集まっている。
戦闘部に所属する九月機関出身者は、九十九兄弟だけではない。
もっとも有名なのは、第十二軍団副長の水谷亞里亞だろう。彼女が、九月機関出身者の魔法技量を見せつけ、有用性を認めさせたことが、戦団が九月機関の魔法士を積極的に採用するきっかけとなった。
亞里亞は、魔法技量だけでなく、人格的にも優れた人物だ。第級軍団の副長に抜擢され、竜ヶ丘照彦の片腕として重宝されているという事実からも明らかだったし、多くの導士に慕われ、弟子入りを志願するものが後を絶たなかった。いまでは彼女には何人もの弟子がいて、水谷一門だの、水谷流などと呼ばれる一団が形成されつつある。
導士に必要なのは、魔法技量だけではない。
人格面もまた、導士を構成する上で重要な要素だ。
そういう意味では、九十九兄弟が問題児として処分されなかったのは、魔法技量があればこそだった。もし魔法技量がいまよりもずっと低ければ、即座に退団させられていたかもしれない。
つぎに第八軍団の杖長ふたり、矢井田風土と南雲火水。双極属性を使いこなす唯一無二の魔法士たちは、その魔法技量と、やはり人格面を評価され、第八軍団の杖長に任命されている。そして、ふたりが軍団長の天空地明日良から厚い信頼を得ていることは、九十九兄弟もよく知るところだ。
九十九兄弟が最初第八軍団に所属することになったのは、ふたりの推薦があったかららしい。そして、ふたりの元でなら上手くやっていけるのではないかという淡い期待が、真白と黒乃の中にあったのも否定できない。
だが、上手くいかなかった。
上手く第八軍団に溶け込むことができず、ふたりに迷惑ばかりかけてしまった。
そのことは、いまならば反省できるし、自分たちが如何に愚かだったのか、はっきりと理解できるし、反省もしている。
幸多と出逢い、真星小隊の一員になれたからこそ、自分たちが想像していた導士に近づきつつあるからこそ、過去の過ちを認めることができるようになったのだ。
九十九兄弟がもし第八軍団に所属したままならば、周囲との不和が増大し続けただろうし、結果、別の軍団へ移籍する羽目になったのは間違いないだろう。そして、移籍先でも問題児として扱われていたのではないか。
幸運にも自分たちの居場所を見つけることができたから良かった、などとはいまい。過去の所業を見つめ直すことも大切なことだ。
もっとも、風土と火水のふたりは、九十九兄弟の活躍を喜んでこそすれ、過去のことについてとやかくいってくるようなことはなかったが。むしろ、過去に目を向けるよりも、未来に向かって邁進するほうが導士らしい、と励ましてくれたくらいだ。
だから、真白も黒乃もふたりが大好きだった。
それから、八十八紫と九尾黄緑。その視線は、九十九兄弟に向けられているのだが、目つきはいつも以上に鋭く、敵愾心に満ちていた。研ぎ澄まされた刃のようだ。
このふたりは、亞里亞と同じく第十二軍団に所属しており、亞里亞の前では大人しくしているのだが、しかし、九十九兄弟を目の前にすると露骨に態度が悪くなった。
亞里亞と九十九兄弟が揃っている場所ではどうか。
いや、そもそも、この食事会の主宰者である高砂静馬の前なのだから、真白たちを責め立てるようなことはするはずもないのだが。
ほかにも十名以上の導士たちが、大きなテーブルを囲んでいて、高砂静馬と新年を迎えられる喜びを全身で表現していた。
だれもが静馬を自分たちの父であると考えていたし、そのことに疑問を持つものもいない。皆、孤児である。九月機関に拾われ、教育を受け、魔法を学び、戦団に入ることができたのだ。九月機関に拾われなければ、まともに生きられたものかどうかも怪しい。
特に真白と黒乃は、自分たちの性格を直視すると、そう思わざるを得なくなる。
だから、九月機関には感謝していたし、父・静馬の壮健ぶりに安堵するのだ。
「……こうして皆が無事に顔を揃えることができたのは、なにごとにも代えがたい喜びだ。なにより、この一年、導士として、央都守護、人類復興、そして幻魔殲滅のため、全力を尽くしてきたきみたちには、心の底からの感謝の言葉を贈らせて欲しい。ありがとう。きみたちが日夜、戦ってくれているからこそ、わたしたちは生きていられる。すべて、きみたちのおかげだ」
静馬は、深く、静かに、けれどもこの場にいる全員の耳に届くように、伝えた。
父の言葉を聞けば、テーブルを囲むだれもが感動した。涙すら流すものもいた。だれもが静馬を父と慕い、静馬に育てて貰った大恩があるのだ。その恩返しとして、戦闘部で働いているものもいる。自分の命のすべてを静馬に還元しようというものもいる。
真白と黒乃も、静馬に心の底から感謝していたし、どうにかして還元したいと考えているのだ。それが戦団の導士として、戦闘部の一員として任務を果たすことだというのであれば、そうしよう。事実、そうして日夜任務に明け暮れている。
そして、その結果、静馬が喜んでくれているのならば、いうことはない。
「いや……本当に、良かった。昨年は、激動の一年だったからね。多くの導士が英霊となった。星将すらも、そうだ。きみたちが今日ここに集まることができたというのは、幸運以外のなにものでもないのではないか」
「まったく、仰る通りです」
「特に、そこのふたりはね」
「まじでそれ」
静馬の発言に亞里亞が同意すれば、黄緑と紫が九十九兄弟を見遣り、冷笑して見せた。すかさず亞里亞がふたりを一瞥するも、それが抑止力になることはなく、わざとらしく困ったような素振りをする。真白たちへの悪意を隠せないとでもいわんばかりの態度だ。
静馬も、そんなふたりを注意しようとはしない。子供たちのすることだ。父たる静馬がわざわざ注意する必要があるとは、考えてもいない。
とはいえ、注目を集めた九十九兄弟に話題を振るのも、悪くはない。
「……真白と黒乃は、昨年導士になったばかりだったが、どうだったかね? きみたちにとって、二十二年は、どんな一年だったかな?」
「……ぼくたちにとっての二十二年……」
「そうだな……」
静馬のまなざしは柔らかく、優しい。だからだろう。黄緑と紫の悪意に満ちた言動など、あっという間に掻き消えてしまった。
それが黄緑と紫には面白くないのだが、しかし、亞里亞に注視されている手前、暴れまわることなどできるわけもない。いや、そもそも、静馬の手前、そんなことをするつもりもなかったが。仕方なく、聞き役に回るだけだ。
そして、そのことに苛立ちを覚えることもない。九十九兄弟の話だ。
「最初は……なんていうか、問題だらけだったかな。周りが、じゃなくて、自分たちが、って意味だけど」
「うん……ぼくたちのせいで、周りのひとたちに迷惑ばかりかけてしまって……それで……」
「結局、自分たちのことしか見てなかったんだなって、いまなら反省できるんだけどさ。そのころは、本当にもう精一杯で」
「うん、精一杯だったな……」
「精一杯か。でも、それはなにも悪いことじゃない。だれだって最初はそうだ。そうだろう、亞里亞くん」
「はい。わたしも最初は自分のことしか見えていませんでした。新人ですから。周囲のことなんて考えられるわけもなくて、なりふり構わず、自分のことに集中していましたよ。次第に戦闘部での、導士としての在り方がわかってきたのは、本当に最近のことといってもいいかもしれませんね。そういう意味では、ふたりは十分以上にやれていますよ」
だから、安心していい――と、亞里亞は、九十九兄弟に向かっていった。
亞里亞は、現在、戦団に所属する九月機関出身者の中で最年長である。
皆の姉のような気分が彼女の中にはあったし、半分以上は正しい感覚のはずだ。
少なくとも、九月機関出身者のだれもが、彼女を姉と慕ってくれている。
真白と黒乃も、そうだった。