第千二百十七話 防壁任務(五)
ミトラ軍の大部隊が潰乱し、生き残ったわずかばかりが〈殻〉に逃げ帰ったのは、戦闘開始からわずか十分足らずのことだった。
導士たちの消耗は少なく、戦死者はひとりとしていなかった。故に、余裕を持って哨戒任務を再開することができたというわけである。
真星小隊はといえば、戦闘終了後、戦場に残されたクニツイクサ改修型を回収、防壁拠点へと帰投後、速やかに任務へと戻っている。
巡回するは、防壁拠点周辺の空白地帯。
青ざめた空と赤黒い大地が織り成す対比が、目に痛い。地上は起伏に富み、昨日までの地形とは様変わりしていることが記録情報と照合するまでもなく明らかだ。
魔界とは、それだ。
常に変化をし続ける天地。一定の形に留まることを知らない、まさに混沌そのものたる世界。空白地帯のただ中で一夜を過ごすようなことがあれば、自分の現在地もわからなくなってしまうのではないか。
もっとも、戦団の導士が遠出するにしても半日以内に帰ってこられる範囲だったし、そもそもネットワークの範囲外に導士を差し向けることなど、余程の事態でもない限りありえないというのが実情だった。
いまやレイライン・ネットワークは、この旧兵庫地域全体を覆い尽くしているのだが――だからといって、戦団が遠征を計画することは考えにくい。
央都の守護と人類生存圏の拡大こそが戦団の当面の目標であり、使命なのだ。仮に遠方の〈殻〉を落とせたとして、そんなことになんの意味があるというのか。央都から遠く離れた場所に飛び地を持つということは、戦略上、ありうべからず愚行でしかない。
人類に破滅を呼び込みかねない所業というべきか。
それはともかく。
「すごかったね、改修型」
幸多は、空白地帯の沈黙に包まれたような雰囲気を感じ取りながら、いった。クニツイクサ改修型の大破した様子が脳裏に浮かぶ。ヴァルキリーソードの直撃を受ければ、さすがの魔法合金製の重装甲も一溜まりもなかったのだ。
幸多たちが難なく凌ぎきれたのは、真白の防型魔法が並外れて高性能だからにほかならない。
「ヴァルキリーが相手にならなかったもんな」
「うん。でも……オオクニヌシだっけ? 使いどころが難しそう……」
「難しそうっていうか、難しいに決まってるだろ。今回は実戦での機能試験だから使用しない理由もなかったんだろうしな」
「そうだね。今回は、改修型が現実世界でどれくらい機能するか、オオクニヌシがどの程度力を発揮できるのか……そういったことを確かめるためだったんだ」
だから、二十体のヴァルキリー相手にオオクニヌシを使用した。
二十体。
たかが二十体だ。
しかも、妖級幻魔である。
霊級、獣級とは比較にならない魔素質量を誇り、得意とする攻撃魔法ヴァルキリーソードの威力は物凄まじいものがあるものの、筆頭杖長・宮前彰の相手ではない。
彰が星象現界を発動すれば、それだけで蹴りがついただろうことは、火を見るより明らかだ。ヴァルキリーたちは、為す術もなく殲滅されたに違いない。
しかし、クニツイクサ改修型は、一度起動すれば最後、最大五分間で燃料を使い切り、活動限界を迎えることになるというシステム、オオクニヌシを使わざるを得なかった。
そうしなければ、クニツイクサ改修型だけで妖級幻魔を撃滅できなかったからだ。
そして、実際にヴァルキリーを殲滅して見せたのだが、その戦いぶりが一方的なものだったことは、評価に値するだろう。
「二十体とはいえ、あれが三十体でも四十体でも、結果に大きな差はなさそうだったかな」
幸多は、前方に大きく隆起した地形を発見すると、義一がカラキリを減速させるのを認めた。地上数十メートルはあろうかという台地。
右手には海岸線があり、死そのものを体現したかのようなどす黒い海が、その強大さを見せつけている。台地は、海岸線の途中、真星小隊の進路を阻むように聳え立っており、義一がカラキリを減速させたのは、台地の上に異様な反応を見たからだ。
真眼の反応。
「でもよお、一度起動したら最後、あっという間に使い物にならなくなるようなシステムを使わないと、妖級幻魔とまともに戦えないってのはどうなんだ?」
「クニツイクサの利点は、遠隔操作の無人兵器という点だよ。クニツイクサが全壊したとしても、操者たちにはなんの影響もないんだ。導士とは違ってね」
「それはわかってるっての。おれがいってるのは、だな。改修型だとしても……っと」
真白は、幸多との討論に熱中しかけたところで、はっとした。前方の地面に巨大な魔力体が突き刺さり、光の柱が立ち上ったからだ。
「妖級幻魔ヴァルキリーを確認」
「ヴァルキリーだって?」
「なんで、こんなところに……」
「ミトラ領も近いからね。ミトラが大量のヴァルキリーを配下に抱えてるっていうのなら、考えられないことじゃない」
幸多は、助手席の扉を開き、飛び出しながらヴァルキリーが剣を掲げる様を見た。刀身が光を帯びるということは、ヴァルキリーソードが来るということにほかならない。
「煌城!」
瞬時に構築された多層構造の光の結界が、流星の如く落ちてきたヴァルキリーソードを受け止めた。余波がカラキリを激しく揺らすが、そのときには、真星小隊の全員が車外に飛び出している。
「さっすが真白!」
「おう、もっと褒めてくれたっていいんだぜ!」
「本当もう最高だよ!」
「あ、いや、そこまでは別に……」
「兄さん……」
なにやら照れ臭がっている兄の横顔を見つめつつも、黒乃は律像を練り上げていく。攻撃的で破壊的な律像。複雑に絡み合う幾何学模様が、黒乃の創造性を見せつけていくかのようだった。
その間にも、幸多は鎧套・銃王弐式を身に纏い、つぎつぎと武装を転送、即座にヴァルキリーに対し弾丸の雨を浴びせていた。対するヴァルキリーは、呼吸をするかのように魔法壁を張り巡らせており、弾丸の尽くを受け止める。
雷撃が、ヴァルキリーの巨躯に絡みつくも、それもまた容易く切り飛ばされた。
「黒乃!」
「任せて」
兄の信頼に応えるようにして、黒乃は、真言を唱えた。
「――大破壊!」
瞬間、ヴァルキリーの胸の辺りの空間が歪んだかと思うと、それは物凄まじい速度で巨大化した。暗黒の破壊の渦。加速度的に成長するそれは、周囲の空間ごとヴァルキリーを飲み込み、破壊の限りを尽くしながら膨張していく。
蹂躙。
いや、蹂躙という言葉ですら生ぬるい事象であり、ヴァルキリーが吼え、どうにか抵抗しようとするも、虚しく、意味を為さなかった。
黒乃の攻型魔法は、一級品だ。
特に破壊力という一点においては、戦闘部の導士の中でも最上級に近いのではないか。それも同世代に限った話ではなく、全世代の導士を含めて、だ。中でも大破壊は、黒乃が編み出した攻型魔法の中でも最大威力の魔法であり、放たれれば最後、ヴァルキリー程度にどうにかできるものではない。
破壊の渦がヴァルキリーの強固な魔晶体を粉々に打ち砕き、飲み込んでいく様は、圧巻というほかなかった。
だが、それこそが黒乃の黒乃たる所以だから、真白はこの上なく誇らしく思えたし、断言したのだ。
「大破壊を逃れる術はない。最初に狙うべきは、黒乃だったってこった」
「兄さん……」
「うーん、さすがは九十九兄弟」
「妖級が一体……いや、二、三体程度、もっと多くても、ふたりで対処できそうだね」
「当ったり前だろ。おれも黒乃も、そのために生まれたんだからな」
大破壊の消滅とともに断末魔すら残すことなく消え去ったヴァルキリーの最後を見届けると、真白は、力強く言い切って見せた。
黒乃は、そんな兄の横顔を見ている。
言葉とは裏腹にその表情には、複雑な心中が浮かび上がっていて、黒乃は、どうしようもない気持ちで一杯だった。
妖級幻魔を撃滅できる力があるというのに、どうして、こんな気分にならなければならないのか。
話は、年の始まりに遡る。