第千二百十五話 防壁任務(三)
松波桜花は、カメラ越しの妖級幻魔を睨みつけていた。
汎用人型戦術機クニツイクサ、その操縦席である神座の中にあって、操者の視界は、クニツイクサと完全に同期している。
クニツイクサの頭部にある二つの目から覗く世界は、人間の視界よりも遥かに広く、高精細だ。カメラアイなどと呼ばれる超光学感知機構は、最新技術の結晶なのだ。神経接続技術を利用していることもあり、操者が意識すれば数百、数千メートル先に焦点を合わせ、拡大表示することも可能であり、超高速で飛び回る幻魔や魔力体を捕捉することも容易い。人間ならば死角になるであろう角度すらも見通すことができるのが、この機械の巨人の目なのだ。
そして、その目によって、幻魔の軍勢を認識し、一方的に攻撃していたのが先程までだ。
「さすがに妖級ともなると、一筋縄ではいきませんね」
「ああ。そうだな」
桜花は、部下の発言に静かに同意した。
十六機のクニツイクサ改修型が織り成す弾幕は、獣級以下の幻魔ならば瞬く間に撃滅できるのだが、ヴァルキリーが構築した光の壁は傷つけることはできても、突破できないでいた。わずかばかりの傷では、瞬時に復元されてしまうからだ。堅牢強固な魔法防壁をいかにして突破するかが勝負の分かれ目なのは、なにもいまに始まったことではない。魔法士同士の戦闘もそうだ。
いかに相手の防御手段を打破できるか、そこにすべてがかかっている。
ヴァルキリー。
北欧神話に登場する戦乙女と同じ名をつけられた妖級幻魔たち。光を帯びた幻想的な甲冑を纏い、剣と盾を手にするその姿形は、神話の具現といっても過言ではない。全長三メートルほど。全身が高密度の魔素の結晶である怪物たちは、しかし、その美しさを見せつけるようにして、光の魔法を拡散し続けている。そして、それにうよって強力無比な結界が形成されているのだ。
銃撃も砲撃も爆撃も、その光の渦に飲まれて無力化されていた。
そして、攻撃である。
ヴァルキリーたちの後方から飛来してきた無数の魔力体が、クニツイクサの陣形を乱し、攻撃を中断せざるをえなくなった。
クニツカミ改修型を駆るは、機動戦闘大隊クニツカミ第一分隊の隊員たち。第一分隊長が松波桜花であり、彼の指揮によって散開した巨人たちは、起伏の激しい地形をものともせずに滑走しながら、弾丸をばら撒いていく。
弾丸の向かう先は、ヴァルキリー。
この二十体もの妖級幻魔こそが、いま戦っている幻魔の軍勢を指揮しているのは間違いない。つまり、ヴァルキリーさえ撃滅すれば、指揮系統は崩壊し、獣級以下の幻魔たちには為す術もなくなるはずだ。壊滅するのも難しくなくなるし、それ以前に速やかに瓦解した軍隊が建て直されることはなく、ミトラ領に撤退するに違いない。
故に、ヴァルキリーに攻撃を集中させるのだが、光の壁を突破するには、少々火力が足りない。
改修型は、武装も強化されているはずなのだが、どうして、ヴァルキリーの防御魔法は、並大抵のものではなかった。
『手間取っているようですし、ここは協力して事に当たりましょうか』
「それもひとつの手ですが」
『ふむ?』
第七軍団筆頭杖長・宮前彰からの申し出に対し、桜花は、少し考える素振りを見せた。それが宮前彰には解せないことはわかりきっている。
だが、今回、桜花たちが彼らとともに出撃することになったのは、クニツイクサ改修型の機能試験を実戦で行うためなのだ。
いまのところ、すべてが順調だった。
この戦闘の中で記録されたあらゆる数値が旧型を陵駕しているのは無論のこと、操作性も飛躍的に向上しているのだ。
まず、反応速度が違う。
元より幻想体のように自分の体を動かしている感覚だったのだが、改修型にはわずかばかりの誤差もなかった。ネットワークを介して遠隔操作しているにも関わらず、一切の遅延を感じない。
思うがまま、望み通りに動けている。
獣級幻魔が相手ならば、たとえ何十倍、何百倍の数が相手だろうと後れを取ることなどあり得ず、大破する可能性すら見いだせなかった。
それは、万能感に近い。
神の如き力を手に入れたのではないかという錯覚。そう、それは錯覚だ。事実誤認であり、盛大な勘違いに違いない。だが、しかし、クニツイクサ改修型が、旧型よりも遥かに強力な機体であり、人類にとって偉大な力であることは疑いようがないというのも確かだ。
そしてそれがクニツイクサ改修型の全力ではないという事実が、桜花たち操者の精神状態を昂揚させるのだ。
「ここは、我々に任せて頂きたい」
『……今回の哨戒任務は、改修型の機能試験も兼ねてますからね。では、御武運を』
不承不承といった風な宮前彰の返答に、桜花は、通信を切ってから苦笑した。導士からすれば、クニツイクサの台頭ほど面白くないものもないのではないか。
これまで、彼ら導士がその身ひとつで切り開き、守り抜いてきたのが人類生存圏だ。クニツイクサが導士と同等以上の力を手にしたとなれば、自分たちの存在意義が危ぶまれること間違いない。
しかし、クニツイクサの存在意義とは、まさにそこにある。
導士は、その身ひとつで、この魔界を切り開こうとしている。それは死との戦いであり、いつ滅びに曝され、いつ終わりに飲まれるのか、わかったものではなかった。
央都の人口は、ようやく百万人を超えたところだ。ネノクニを含めた人口は、およそ百三十万人。このうち二万人が導士であり、戦闘部は一万二千人ほど。そして、戦闘部の導士たちは、日々、命を削っている。大きな戦いとなれば戦死者がつきものだったし、つい先日、軍団長とともに百名以上の死者を出している。
戦団は、日々、戦闘部の人数を確保するべく、人材発掘に躍起になっているという話だが、それでも昨今の状況では、減り続けるのも無理からぬことだ。
故に、クニツイクサなのだ。
遠隔操作の機械巨人たちは、たとえ大破したところで、操者が死ぬことはない。操者たちは、戦場から遠く離れた場所におり、戦闘に巻き込まれることがないからだ。
無論、資源にも限りがあり、無制限にクニツイクサを製造できるわけではないにせよ、だ。
クニツイクサは、人体よりも遥かに頑丈であるというだけでなく、傷つき、破壊されることを恐れる必要がなかった。
導士たちもまた、死を恐れない。
だが、戦闘のたびに導士を失っていては、戦団にとって、人類にとって、致命的な事態になりかねない。
戦団有数の実力者である星将を二名も立て続けに失ったという現実がある。
鬼級幻魔を討滅するためには、相応の犠牲を払う覚悟をしなければならない。とはいえ、そのために星将を失い続けては、人類復興など夢のまた夢ではないか。いくら幻魔殲滅を目標に掲げていても、その対価として最高戦力を失い続けるのは、絶望的としか思えない。
「その点、クニツイクサは気楽だな」
「さすがにこの間は怒られましたけどね」
「全機全壊じゃあね。怒られても仕方ないよ」
「うん。だが、今回は機能試験だ。多少の無茶は許されるさ」
桜花は、部下たちにそのように告げると、五体のヴァルキリーが上空から降ってくる様子を認めた。残る十五体は、未だ遥か上空にあって、光の結界を維持し続けている。堅牢強固な光の結界。突破するには、十六機の攻撃を一点集中させる以外にはないだろうが、それも困難だ。そして、一点に集中できないからこそ、砲撃によって亀裂が入ったつぎの瞬間には元通りになってしまっている。間断なく攻撃するには、敵の攻撃が激しすぎた。
一方で、敵の攻撃も、こちらに致命傷を与えられずにいる。
膠着状態に等しい。
だからこそ、ヴァルキリーたちが降り立ったのだろうし、剣を掲げたのだろう。剣から放たれる光が、そのまま長大な刀身を形成していく。
桜花は、そのうちの一体を標的と定めた。
「全機、集中!」
桜花の号令により、十六機のクニツイクサ改修型の全兵装が咆哮した。三十二丁の撃神と、六十四門の崩神による一斉射撃。無数の銃弾と砲弾がヴァルキリーに殺到し、直撃と同時に凄まじい爆発が起きる。天地が晦冥したかと思うほどの爆光と激震。衝撃波が機体を揺らし、反動が操者に伝わってくる。直後には爆煙が視界を埋め尽くしたかと思えば、光芒一閃、巨大な光の刃が桜花の視界を掠めた。
直撃は、避けられた。
ただし、桜花は、だ。
『広尾機、中破!』
『中西機、小破!』
『坂元機、大破!』
「――攻撃中止、全機、散開!」
損害報告が響き渡る中、桜花は命令し、みずからも全力で後方へと跳躍した。眼下を光の刃が通り過ぎていく。水平を薙ぎ払う長大な光芒。ヴァルキリーが得意とする光属性の攻撃魔法だ。
人類側がつけた名称は、ヴァルキリーソード。
「あれがヴァルキリーソード……さすがの改修型も、直撃を受ければ一溜まりもないか」
それもこれも、攻撃に集中していたからにほかならない。
つまりは、失態ということだ。
桜花は、冷ややかに分析しつつ、光刃によって爆煙が吹き散らされ、ヴァルキリーたちが再び光の剣を形成していく様を見た。