第千二百十三話 防壁任務(一)
大境界防壁。
あるいは、護法の長城。
人類生存圏と魔界を分断する長大な防壁は、央都を囲う結界といっても過言ではない。
それまでは衛星拠点という十二の点によって央都を護っていたのだが、それだけではどうにも頼りないということは、常々、懸案事項として上がっていたことである。
故に、戦団は、長大な防壁で央都を囲うことを計画し、ついに形となったのが、先日のことだ。
大境界防壁とは、まさに衛星拠点という点を結ぶ線なのである。
というのも、大境界防壁の各所に設けられた防壁拠点は、各衛星拠点に程近い場所にあるからだ。衛星拠点の配置を元として、大境界防壁が設計され、建造されたというわけである。
そして、それはこれまでの衛星任務と同じ感覚で、同じような意識で任務に当たることができる利点となった。
「で、今月の任地は、第七、第八防壁拠点か」
「なんだか説明口調だね」
「うるせ」
真白が黒乃をどやしつけるのは、真星小隊にとって実にありふれた日常風景だから、幸多は特になにもいわなかった。たとえ真白が黒乃を口汚く罵ろうとも、兄弟喧嘩にすら発展しないじゃれ合いなのだから、関与する必要がない。
真白が黒乃を溺愛しているのは、だれの目にも明らかだ。真白の言動から、その愛情の深さを疑うほうが難しいだろう。
無論、そんなことを真白にいえば、彼は恥ずかしさのあまり怒鳴り散らした挙げ句、黒乃に強く当たりかねないので、幸多も義一も彼をからかうような真似はしなかった。
さて、第七防壁拠点は、護法の長城における最南端に位置している。第七衛星拠点同様、水穂市の南方に位置し、東はミトラ領、南は海の向こうのシヴュラ領を監視しつつ、周辺の空白地帯を警戒するのがその役割である。
今現在もっとも警戒するべきは、もちろんのことながら、ミトラ領だ。シヴュラ領は、海を越えた先、かつて淡路島と呼ばれた場所にあり、仮に央都に攻め込んでくるのだとしても、地続きのミトラ領よりも対応しやすい。
その上、ミトラ領にもっとも近い第六防壁拠点が、ミトラ領の三倍から四倍近い領土を誇るアガレス領も監視しなければならないため、ある程度は第七防壁拠点がミトラ領を受け持つ必要性があるのだ。
基本的に各防壁拠点には五百名から六百名の導士が詰めているが、常にその全員を動かせるはずもない。拠点防衛、周辺警戒、哨戒任務――やるべきことはいくらでもある。
真星小隊がミトラ領方面にカラキリを走らせているのも、そのためだ。
二十二式戦闘装甲車両カラキリ。
これまで戦団が利用する車両といえばイワキリだったが、カラキリが増産され始めると、各防壁拠点に優先的に配備されていった。
イワキリは、輸送車両の名の通り、輸送に特化した車両だ。万能走行車両ともいわれるように、あらゆる地形に対応し、走破可能な車両であり、輸送や移動を目的とするのであれば十分だったのだが、激しい戦闘に耐えられる代物ではなかった。
少なくとも鬼級幻魔の存在する戦場で走らせるには、あまりにも心許ない。
故に開発されたのがカラキリだ。
カラキリは、殻切と書く。まさに〈殻〉を切るようにして、幻魔の大群の中を突き進むことを想定しており、物資や人員の輸送を目的とするイワキリとは設計思想の段階から違っているのである。
車体を覆う魔法合金製の装甲は、イワキリよりも遥かに分厚く、重量級の幻魔と衝突してもびくともしないほどだ。そして、擬似霊場発生機構イワサカが擬似霊場を構築すれば、幻魔の接近そのものを許さない。
もちろん、幻魔は支配者の命令を最優先に行動するため、状況次第ではあるのだが。
そんなカラキリの車内は広々としており、運転席に座った義一以外は、周囲を警戒しつつも、くつろいでいた。
真星小隊はいま、哨戒任務の真っ只中だ。
カラキリに乗って、空白地帯を駆け巡り、野良幻魔を発見すれば撃滅し、殻印持ちならば警戒しつつ、指示に従い、攻撃、殲滅する――それが哨戒任務だ。ダンジョンを発見したのであれば、乗り込み、内部の幻魔を一掃することもある。
頭上は、晴れやかだ。
一月上旬。
冬の寒さなど何処吹く風なのは、ここが空白地帯で、魔界のただ中だからだろう。
魔界の気候に規則性など存在しない。
魔界に満ちた莫大極まる魔素は、遥か遠方で発生した大魔法の影響を受けて変化し、気候そのものを変動させ、ときには異常気象となって吹き荒れる。
央都四市の気候が安定しているのは、霊石結界によって魔素が安定しているからにほかならない。もし霊石結界がなければ、央都内であろうと常に気候が荒れ狂い、安定した日常生活を送ることすら困難だったことは疑いようもない。
それは、ともかく。
「ミトラ領の動きは、他に比べて緩慢だという話だけれど、それもいつまでも続くものじゃない。幻魔に道理なんてものはないからね」
「そうだね」
義一の意見に幸多は同意する。
状況が、動いた。
時代そのものが、新たな一歩を踏み越えたといっていい。
オトロシャ領恐府における戦闘の結果、妖魔将オベロンが斃れ、第一軍団長相馬流人が戦死した。戦団にとってはとてつもない損失だったが、それは同時にオトロシャに対する大いなる警告となった。
戦団の戦力を思い知ったオトロシャは、もはや迂闊に動くことができなくなったからだ。
そしてその事実は、恐府近隣の〈殻〉にも多大な影響を与えたに違いない。
これまでほとんど動かなかった――動いたとしても精々《せいぜい》斥候を送り込んでくるのが関の山だった――ミトラになにかしらの変化があったとしても、なんら不思議ではない。
故に、戦団もミトラ領への警戒を強めており、真星小隊のみならず、いくつかの小隊が駆り出されているというわけだ。
〈殻〉の警戒に赴くのだ。
一個小隊では、あまりにも物足りない。
万が一、ミトラが大戦力を繰り出してきた瞬間に鉢合わせすることでもあれば、全滅は必至。
そのような状況に陥らないためにも、四個小隊、つまり中隊編制でもって哨戒任務に当たっているのである。
『じきにミトラ領だよ。各小隊、警戒を怠らないように』
『はいっ!』
中隊長からの忠告には、小隊長たちが威勢良く返事をする。
中隊長を務めるのは、第七軍団筆頭杖長・宮前彰である。気さくな人物で、部下に対しても一切気負わせることのない人柄から、人望を集めている。煌光級三位ながら筆頭杖長に任命されるだけのことはある――とは、だれによる評価だったか。
ともかく、宮前中隊は、ミトラ領を目前にして隊伍を組んでいた。
四小隊がいずれも異なるカラキリを利用しているのは、積載量に限りがあるからにほかならない。
そして。
「ヤタガラスから報告が入ったよ。ミトラ領南西部に幻魔の軍勢を確認。いずれもミトラの殻印持ちだって」
「軍勢?」
「千体はいるみたい」
「結構な数だな」
「お披露目には、ちょうどいいんじゃないかな」
「お披露目ねえ」
幸多の発言に真白がなんともいえない顔をしたが、黒乃も同感だった。
この計画が上手く行けば、いずれ魔法士などこの世からいらなくなるのではないか。そんな気がしなくもないからだ。
自分は、魔法士だ。
魔法を使って、幻魔と戦えることだけに価値がある。それ以上でもそれ以下でもないことは、つい数日前に明らかになっている。
黒乃は端末を握り締める力が強くなっていることに気づいて、顔を上げた。進路に目を向ければ、宮前小隊を乗せたカラキリが走っており、その遥か遠方に膨大な土煙が上がっているのが見えた。
千体以上もの幻魔の大群。
『妙だね』
宮前彰が怪訝な表情をしている様子が、幸多の脳裏に浮かんだ。
『明らかに変だ』
「なにがです?」
『あの軍勢、こちらに向かっているんだよ』
「それのなにが変なんだ?」
真白には、彰の考えがわからない。
「ミトラが軍隊を動かすのはわかる。でも、だとすれば、その進路は北か西、あるいは東……南西以外のいずれかになるはずなんだよ」
「なんで?」
「ミトラの〈殻〉からシヴュラの〈殻〉は遠すぎるし、なにより海を越えなきゃならないでしょ。南西方向に軍隊を差し向けるとすれば、ぼくたちに反応したとしか思えない。そしてそんなことは、考えにくいんだ」
「うーん……?」
「殻主たる鬼級が人間の動きに反応するだなんて、いままでならありえないことだったんだよ」
幸多は、義一の断言にうなずきながら、前方の車両が停止するのを見た。
そして、後部ハッチが開放されたかと思えば、白銀の巨人たちが飛び出す様を目の当たりにする。
クニツイクサである。