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第千二百十二話 新たなる始まりを(二十三)

『死にたかったんだ』

 雪乃ゆきの耳朶じだに、鼓膜こまくに深々と刻まれているのは、流人りゅうじん遺言ゆいごんそのものたる音声情報、その解析結果だ。

 戦団最高幹部たちが取り上げ、議論を白熱させた部分とは大いに異なるその一点にこだわっているのは、きっと、雪乃だけだろう。

 戦団最高会議が終わり、ひとり、防壁拠点の基地司令室に取り残された彼女の胸中は、どうしようもない哀しみと痛み、そして絶望にも似た感情に埋め尽くされようとしていた。

「流人……」

 つぶやいても、返ってくるものはない。

 広い広い執務室。いるのは、軍団長代行の雪乃ただひとりだけであり、彼女の声に耳を傾けてくれるものもいなければ、聞き耳を立てているようなものもいない。

 軍団長は、孤独だ。

 軍団の頂点に君臨し、千人以上の軍団員が下についているものの、だからといってそのすべてが常に側にいるわけもない。いや、軍団長の側にいることのできるものなどいないというべきか。

 副長ですら、余程よほどのことがなければ側にはいられない。

 いや、むしろ、副長のほうがほかの軍団員よりも軍団長との距離があるのではないか。

 特に衛星任務中は、そうならざるを得ない。

 衛星任務は、ひとつの軍団が二カ所の衛星拠点を担当することになっており、軍団をふたつに分けた場合、それぞれに指揮官を立てる必要があった。それが軍団長と副長なのだ。つまり、一ヶ月に及ぶ衛星任務中、軍団長と実際に会って話す時間など皆無であることが大半なのだ。

 一年間のうち、半年が衛星任務だと考えれば、同じ空間にいることができるのは残りの半年のうちのどれほどだったか。

 雪乃は、かぶりを振る。

 過去に、とらわれている。

 流人が残した音声情報は、最高幹部たちにとてつもない衝撃を与えるものだった。それこそ、時代を動かしかねないほどのものであり、神威かむいは、解析結果を総合して、こう評価したものだ。

相馬そうま軍団長が最後の力を振り絞り、導衣どういに音声情報を封じ込めた理由も、どうにかして導衣だけでも送り届けようと足掻あがいてくれた理由も、これで明らかになった。彼は、我々が人類復興の大願を成し遂げてくれることを信じているのだ。そして、それができるだけの情報だった。革新だよ。そう、つまりこれは、新たな時代の始まり――』

 流人の遺言が星将せいしょうたちに与えた衝撃は凄まじく、天地を引っ繰り返すほどのものといっても過言ではなかったし、それこそ、混沌を撹拌かくはんし、新たな世界を創造するのに等しいとまで評価する声があったほどだ。

 だが、雪乃は、遺言のことばかり考えてしまう。

 遺言。

 そう、遺言だ。

 流人が死んだ証が、そこにある。

 彼がオベロンを討滅とうめつする際に発した言葉は、おのれの生を見切みきり、死を受け入れたものだった。たとえその後サタンが現れなくとも、命が尽き果て、燃え尽きるものだと確信しているかのような、そんな声。

 そんな言葉。

 雪乃は、流人がまだどこかで生きていると信じていた。いや、信じたかった。導衣こそ彼の死を記録しているものの、流人の亡骸なきがらは確認されず、死を看取みとることができなかったのだから、最後まで認めたくなかった。諦められるわけがなかった。

 流人は、彼女のすべてだったのだ。

 だが、死んだ。

 死んでしまった。

 遺言が、それを証明する。

 サタンに悟られることなく導衣に音声情報を封印しただけでなく、その部分をどうにかして元の座標へと転送したのだ。

 遺言を、人類の希望を、戦団に伝えるために。

 そのために力を尽くし、力尽きたというのは、火を見るより明らかだ。

 あれだけの戦いをして、さらに、本来得意ではない空間転移魔法を発動したというのだから、そこでせうべての力を使い切ったというのであれば、納得するしかない。

 認めるしかない。

 流人は、死んだ。

 雪乃の絶望は、戦団が得た人類の希望の眩しさすら認識しえないほどに深い。


「ふむ……」

 ルシフェルが難しい顔をして、下界を覗き見ている。

 ロストエデンの増改築が天使たちによって推し進められる中、熾天使してんしたちは相も変わらず暇を持て余しているのだが、ルシフェルだけは地上のことが気になって仕方がないらしい。

 それが、ラファエルにはわからない。

「約束のときは、まだではないのか? それこそ、百年、いや千年先の未来の話だと聞いたが」

 ラファエルが小首を傾げれば、ルシフェルが地上の様子を映し出した魔法球を見せつけるようにした。

 少し前までは神殿の廃墟そのものだったというロストエデンだが、いまや、荘厳そうごんなる楽園の如き様相ようそうていし始めている。ルシフェルの命令に従う数多の天使たちが、休むことなく働き続けているからだ。

「その通りだよ。遙か先……それこそ、千年先の未来の話さ。でも、だからといって、彼らを注視しないわけにはいかないだろう。彼らが約束通りに動くのはわかりきっているけれど、そのためならばなにをしたっていいと考えるのが、悪魔というものだからね」

「そういうものか」

「そういうものだよ」

 ルシフェルはうなずき、魔法球を睨み据える。

 魔法球には、恐府きょうふの様子が映し出されていた。央都おうとの、人類生存圏の北東部に君臨する巨大な〈クリファ〉。鬼級幻魔オトロシャの〈殻〉にして、現在の兵庫地域における最大規模の〈殻〉。

 先頃、戦団の攻撃によって、オトロシャ三魔将さんましょうの一、妖魔将ようましょうオベロンが滅び去った。

 オトロシャは、予期せぬ大打撃を受けたのだ。これにより、オトロシャは方針転換を迫られ、いまごろ頭を抱えているのではないだろうか。

 オトロシャが央都に興味を持っていることは、明らかだった。

(いや、人類にかな)

 人間に興味を持つ幻魔の存在は、別段、不思議なものではない。

 なんといっても、幻魔の大半は、人間の死の瞬間に発生する魔力を苗床なえどことして誕生しているのだ。サナトス機関の幻魔製造工場で量産されている造魔ぞうま以外のすべての幻魔が、そうだ。

 つまり、幻魔にとって人間とは、命のもとだったというわけだ。

 そして、幻魔には、人間に関する情報が記憶として残っている。

 鬼級ほどの知性を持って生まれてくるものの中には、そこに興味を抱いたりしたとしてもおかしくはない。

 そして、その結果、オトロシャは央都にちょっかいを出した。水穂みずほ市を掌握しょうあくしかけたのだ。それは、オトロシャが央都制圧に乗り出す前触れであり、故に戦団は恐府を攻撃し続けていた。

 オトロシャを恐府に釘付けにするために。

 そして、オベロンを撃滅げきめつすることに成功したのだから、戦団にとっては喜ぶべき状況だろう。

 たとえそのために星将をひとり失ったのだとしても、だ。

 オトロシャは、迂闊うかつに動けなくなった。

 少なくとも、ルシフェルはそう見ていたし、サタンも、そう見ているようだった。

 サタンが、恐府を闊歩かっぽしている。

 

 黒禍こっかの森を歩いている。

 かつて妖魔将オベロンが領土としていた恐府南部は、どす黒い結晶樹けっしょうじゅが群生しており、それらが禍々《まがまが》しい気配を放っていることから、黒禍の森と名付けられたのだろう。単純にして明白。だれもが簡単に思いつくような名前だ。

 いかにも、幻魔らしい。

「――と、わたくしは、そう思うのですが」

「うん。案外、良い線いってるかもね」

 サタンは、アスタロトの考察を適度に聞き流しながら、相槌あいづちを打った。アスタロトは、おしゃべりだ。思いついたことを口に出さずにはいられない性分らしく、ハデスに置いていると、ほかの〈七悪しちあく〉たちが困り果てるので、仕方なく連れ歩いているのだ。

「まあ、でも」

 黒い結晶樹を見つめていると、それらが不気味に蠢動しゅんどうし、形を変え始めた。

「歓迎は、されていないね」

 サタンは苦笑し、頭上に重力を感じた。

 仰ぎ見れば、オトロシャの異形いぎょうがあった。


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