第千二百十話 新たなる始まりを(二十二)
実感が、沸かない。
辞令を受け取り、杖長に任命され、軍団長直々に杖長証を手渡されたが、しかし、現実感がどうにも薄かった。まるで夢の中にいるような、そんな感覚がある。だが、確かに現実的な重圧も感じていて、だから不安定なのだ。
混乱している。
(しっかりしろ、おれ。おれの夢は、こんなもんじゃないだろ)
胸中で叱咤するも、しかし、頭の中がぼやけていて、まっすぐ歩いているのかどうかすら不確かだった。
「統魔!」
呼び止められたのは、その声の大きさと勢いが凄まじく、彼の頭の中に立ち込めていた霧を吹き飛ばしてしまったからだ。立ち止まり、振り向いたときには、ルナが胸の中にいる。その勢いで倒れそうになったが、どうにか堪え、彼女を抱きとめることに成功した。
いつものように。
「ずっと待ってたよお……!」
「お、おう……」
ルナが胸に顔を埋めてくるのもいつものことなので、統魔は、とりあえず態勢を整えた。それから、ここがどこなのかと周囲を見回す。
見れば、大和基地本棟の会議室を出て、しばらく進んだ先の通路だった。ちょうど十字路になっていて、その角にルナたちが身を潜めていたのは間違いない。会議室に向かう途中までついてきていたのだ。さすがに会議室の前で待ち構えるわけにもいかず、少し離れたこの場所で待機していたというわけだ。
「思っていたより早かったな。どんな会議だったんだ?」
「そうそう、たいちょが呼び出されるなんてさ」
「なにかとんでもないことでもあったんじゃないかと戦々恐々としてたんだよね」
「わたしは、まったく心配していませんでしたが」
枝連、香織、剣、字――皆代小隊の面々が、統魔を取り囲んでいた。統魔は、彼らの顔を見回し、それによって落ち着きを取り戻すと、場所を移動するように目で促した。
会議室から少し離れた場所とはいえ、通路のど真ん中で立ち話をするのは、いくら杖長とはいえ、許されることではあるまい。
「で、なにがあったのよ? いまの統魔、なんだか変な感じ」
「そうですね。いつもの隊長とは違いますね」
「さっすがルナっちにアザリンだね。たいちょのこと、なんでもお見通しって感じだ」
「それくらい、ぼくにもわかるよ」
「そこ、対抗心を燃やさない」
「別にそういうつもりじゃなくて」
「じゃあ、どういうつもりなのさ」
「ええと……」
「待て待て」
いつものように香織と剣が言い合いからの取っ組み合いを始めようとしたのだが、枝連が間に入って事なきを得る。
大和基地本棟の一角にある休憩所。一面ガラス張りで、外の景色が見えた。晴れやかな空は、冬の気配を色濃くしていて、冷ややかささえ錯覚させる。もっとも、基地内の気温は、冬とは思えないほどに温かなのだが。
「……これ、わかるか?」
そういって、統魔が皆に見せたのは、星印の一種だ。
星印とは、戦団から導士に授与される星形の印章で、所属と階級を示す、いわば階級章である。所属は星の色で示し、階級は星の形と数で現される。統魔の本来の星印は、黒を基調とする四角星で、戦務局に所属する煌光級三位の導士であることを証明している。
さて、統魔が皆に見せた星印は、ただの星印ではない。
本来の星印に杖の紋章が連なっているという意匠で、その杖こそが重大な意味を持っていた。
「え?」
「それってまさか……」
「杖長証!?」
「なんでたいちょが!?」
「まさか、杖長に任命されたのか?」
五者五用――とはいかないまでも、様々に驚いた反応を示した部下たちを見て、むしろ、冷静さを取り戻したのが、統魔だ。
「味泥さんが軍団長になって、席が空いただろ。だから、そこにおれが収まった……らしい」
「らしいって、杖長証を渡されたってことは、確定でしょ?」
「まあな。辞令も受けとったよ。おれは、正真正銘、第九軍団の杖長だ」
統魔は、改めて杖長証と向き合い、目を細めた。実感が、いまになって沸き上がってくる。それもこれも、皆代小隊の面々が現実を思い起こさせてくれたからに違いない。
彼らこそ、統魔の現実なのだ。
統魔の世界そのものといっても、過言ではあるまい。
「まあ……そうだな。第九軍団を見回しても、隊長以上に杖長の座に相応しい導士はいない」
「うんうん、あたしもそう思うな!」
「そうだね、その通りだよ」
「実力も、実績も……そして、おそらく人格面でも相応しいからこそ、隊長が選ばれたんでしょうし、そこに異論もなにもありませんね」
皆代小隊の面々からすれば、驚くべきことであると同時に、当然の結果だと考えざるを得ない。
統魔の魔法技量は、同世代だけでなく、全世代を含めた導士の中でも上位とされるほどのものだ。特に規格外の星象現界は、星将にすら通用するものであり、他の杖長候補を圧倒するに足るものだということは、だれの目にも明らかではないか。
実績も十分。
そして、人格面。こればかりは、字たちには正確に判定できないものの、杖長に選ばれたということは、軍団長たちに問題ないと判断されたということだ。
『いまや杖長の最低条件が、煌光級だ。そして、きみは煌光級三位。杖長になるための最低条件を満たしている。これは、わかるな?』
統魔の脳裏を過ったのは、第九軍団幹部会議の一幕。
統魔を杖長に任命したのは、第九軍団幹部の総意である、という。
つまり、会議室にいた全員が、統魔が杖長に相応しいと認めてくれたということだ。だが、会議中、統魔は、その事実に感動する余裕すらなかった。
『さらにきみは、星象現界の使い手だ。この時点で、並の杖長を圧倒する魔法技量の持ち主なのだから、杖長の末席に加えることになんの問題もない。だれも、きみが杖長に相応しくない、などといえるわけがないということだ』
『もし、あなたが若く経験不足であり、故に反対するというものがいるのだとすれば、それは結局のところ、あなたを正しく評価していないだけのこと。あなたは、正しく評価され、杖長に任命されたのです』
『うむ。きみは若いが、経験不足とは思えない。確かに杖長として、数多くの導士の上に立つには、まだまだ経験しなければならないことも多いだろうが、そんなものは、杖長になったばかりのだれもがそうだ』
『まったくです。杖長ほどの立場を経験することなど、通常あり得ないことですから、皆代煌士ほどの導士ならば、一刻も早く杖長となり、経験を積んでいくことのほうが遥かに重要でしょう』
『経験は全てに勝る』
『案ずるより産むが易し、ってね』
蒼秀を始め、第九軍団の幹部たちは、皆、統魔が杖長になることに賛成していた。それどころか、後押しさえしてくれていたのだ。
九名の杖長たち。薬師英理子、大和和明、六甲緑、入江美奈、島原千世、菊水香耶、御所瑠璃彦、小松里穂、佐比江結月。
統魔は、第九軍団幹部からの熱烈な歓迎を受けて、杖長となった。
ちなみに、この会議では、筆頭杖長も選ばれている。
筆頭杖長は、杖長の纏め役のことであり、同時に実力者でなければならない。
『実力だけでいえば、皆代杖長に筆頭を任せるのも面白いかもしれないが』
などと、杖長のひとりがいえば、何人かがそれを支持したものだから、統魔は、呆然とするほかなかった。
もちろん、統魔が筆頭杖長に選ばれることはなかった。
選ばれたのは、佐比江結月。星象現界の使い手であり、杖長の中でも頭抜けた魔法技量の持ち主だからだ。そして、その決定に対する異論はなかった。
「まあ……なんだ」
統魔は、現実に回帰すると、窓の外の空に向けていた視線を下ろした。大和基地内を二十二式戦闘装甲車両カラキリが移動していたり、導士たちが走り回っている様子が見て取れる。
基地内の日常風景。
「杖長になったからといって、皆代小隊が解散することはないし、みんなは、いままで通りやってくれればいい」
「味泥さんもそうだったもんね」
「ああ」
「軍団長になったら、そうはいかないだろーけど」
「大変だろうなあ、軍団長」
「日流子様の後任だからな」
「そうですね。本当に……」
皆代小隊の話題が味泥朝彦と第五軍団に向けられるのは、自然の成り行きといっていい。
皆代小隊にとって、朝彦の存在はこの上なく大きかったのだ。
なにかにつけ、朝彦に教わることが多ければ、朝彦と共同任務を行うことも多かった。朝彦のひととなりを知れば知るほど、彼のためにも強くなりたいと思ったものだ。
そんなひとだからこそ、軍団長に向いているのではないか、などと、統魔は思ったりした。
自分は、軍団長には向かないだろうが。
ひとには、向き不向きがある。