第百二十話 幸多と統魔
夜の闇が迫る中、戦団本部の敷地内を照らす無数の光に包まれるようにして、皆代統魔が一人立ち尽くしていた。
皆代小隊一同での訓練を終えたからだろうが、周囲には彼の部下は一人もいなかった。
ただ一人、ぽつりと立っている。
こちらに気づき、手を挙げてきたものだから、幸多は彼に駆け寄った。統魔は、呆れるような顔で幸多を見た。
「ずっと訓練してたのか?」
「うん。真くんに誘われちゃってさ」
「すっかり仲良しだな」
統魔が歩き出したので、幸多もそれに倣って歩き出した。鞄は互いに背負っている。
戦団の支給品である鞄は、手に持つこともできるし、背負うこともできる優れものだ。
「どうだろ。ぼくとしてはそういうつもりもあるけど」
幸多には、仲が良い、と断言できるまでの関係性を真との間で構築できた、という感覚はなかった。真が人懐っこいだけではないか、と思うのだ。しかし、統魔が苦い顔で告げてくる。
「……おれはあいつに嫌われているらしい」
「だろうね」
「否定しないのかよ」
「本当のことだし」
幸多は、小さく笑った。真の統魔嫌いは度を超していた。決勝大会を経て、憑き物が落ちたような、人が変わったかのような真だが、その本質や全てが変わり果てるなどありえないことだろう。人当たりが良くなったのは間違いないし、身に纏う空気も、表情ひとつ取っても、以前の彼とは大違いなのだが。
統魔は、頭の後ろで手を組みながら、いった。
「おまえもあいつも似たもの同士だよ、ったく」
「統魔もね」
「おれは似てねえっての。おれとおまえは似ても似つかねえって、あいつのお墨付きだ」
「そうなの? どうしてそうなるんだろ」
幸多には、とても納得の行かない結論だった。
「あいつにとっておまえは良い奴で、おれは興味のない相手、なんだろうよ」
「そっか。そういうことか」
「そしてそれは、別に悪いことじゃない。誰だってそうだ。おれだって、興味のない人間のことまで深く知ろうとは思わないからな」
「そうだね。ぼくもだ」
幸多は、統魔の意見をただただ肯定した。
それはある種の真理だろう。
この世にはたくさんの人間がいる。もちろん、人類の最盛期に比べれば、あまりにも少ないが、とはいえ、央都だけで百万人の市民がいるのだ。それら全ての人間のことを詳しく知ろうなどとは、余程の物好きでも思わないだろう。
自分と深い関わりを持つ人、とりわけ好意的な人のことは知りたいと思うだろうが、そうでもない相手の場合は、そうはならない。
真にとって、統魔とは、そこまでの興味を持てない相手だったのだろうし、これからもそうなのかもしれない。
「で、なんで待ってたの?」
「引っ越し、するんじゃなかったのか?」
「ああ、そういえばそうだった」
「忘れてたのかよ」
統魔が呆れ果てたようにいう側で、幸多は笑うしかなかった。
幸多は、現在、葦原市東街区鼎町にあるミトロ荘に住んでいるが、これは天燎高校に通うためだった。
天燎高校に在籍している三年間で対抗戦で優勝し、戦団に入る――それが幸多の当面の目標だった。
一年目の今年に優勝できるとは、最初は思ってもいなかったのだ。
対抗戦部として実力を付けていき、最終的に優勝できれば、それでよかった。まさか一年目に優勝できるだなんて夢にも思わなかった。
とはいえ、法子や雷智という強力無比な助っ人がいて、圭悟たちが本気だったこともあり、また、予選免除権という予期せぬ事態もあって、優勝を目指す以外にはなかったのだが。
そして、優勝した。
であれば、当初の予定通りに行動するべきだ、と、統魔が考えるのは当然のことだった。
その当初の予定というのが、引っ越しだ。
ミトロ荘のある鼎町は、葦原市の南東に位置する。ミトロ荘から戦団本部までの距離は、ミトロ荘から天燎高校に行くまでの距離と然程変わらないのだが、そうはいっても、だ。
戦団本部には極めて高性能な訓練施設があり、その移動時間を訓練に費やせることを考えれば、戦団本部により近い場所に引っ越したほうが効率的であり、合理的だ。
統魔は、戦団本部に程近い場所に住んでいる。それも、いつでもすぐさま戦団本部に行けるように、という理由からだった。
そういう理由だけならば兵舎に寝泊まりするという選択肢もあるのだが、統魔は、集団での生活が苦手だった。
家族との生活は、なんの問題もなかった。だから、集団生活も問題ないだろうと高をくくり、星央魔導院の寮生活に挑んだのが、三年前だ。そして、そこで勝手の違いというものを思い知ったのだ。
だから一人暮らしという選択肢を取り、今日に至っている。
そんな統魔に倣って、幸多も戦団本部に程近い場所に引っ越すことにしようと考えていると彼に相談したところ、どうせなら一緒に住めばいい、と、統魔が提案した。
そうすれば、二人の母・奏恵からしても安心感が増すだろうし、幸多にしてみても、一人暮らしよりは余程気楽だろう、というのが統魔の意見だった。
幸多もその意見に賛同し、計画を立てた。
つまり、戦団に入団することができれば、ミトロ荘から統魔の住居に引っ越す、ということだ。
当初からそのつもりだったのだが、対抗戦に熱中するあまりすっかり幸多の頭の中から抜け落ちていた。
六月中は統魔が衛星任務で葦原市にいなかった、というのも大きいのだが。
「すっかり忘れてた」
「こっちの準備は万全だが、明日以降にするか?」
「ううん、できるなら早いほうがいいかな」
幸多は、統魔の気遣いに感謝しながら、そういった。それから、思わず聞き逃していた言葉にはっとなる。
「って、準備?」
「おう、準備」
統魔は、にやりとして、戦団本部内の駐車場まで幸多を案内した。
広々とした駐車場内には、戦団が保有する輸送車両が無数に並んでいる他、戦団職員の自動車も並んでいる。
そんな駐車場の一角には、一台の小型輸送車両が、統魔の到着を待ち構えていた。
「待たせたな、本日の主役の御到着だ」
統魔は、輸送車両の運転席に向かって手を挙げた。
「遅かったな」
「待ちくたびれた-」
「さっきまで寝てたじゃないですか」
「それはいわないお約束-」
「足が痺れて仕方がないんだけどな」
「可哀想なたかみー、あたしが癒やしてあげるね」
「いや、香織さんのせいなんだけど」
皆代小隊の面々が輸送車両の運転席や後部座席で賑わいを見せる中、幸多は、目を丸くした。運転席には六甲枝連の姿があり、その隣には上庄字が座っている。後部座席では高御座剣と、彼にのし掛かっている新野辺香織の姿が見えた。
「どういう?」
「皆がおまえの引っ越しを手伝ってくれるんだと」
「いいの?」
「明日も非番だし、暇なんだよ、あいつら」
「たいちょーが泣いて手伝ってくれっていうから手伝ってあげるんでしょー」
「だれが泣いたよ」
「頼んだのは否定しないんだ」
「うるせえ、さっさと乗れよ。おまえんちまでいって荷物を運び込むまなきゃなんねえんだぞ」
「こんな時間に近所迷惑すぎない?」
「安心しろ、いついっても迷惑だ」
「どういう……?」
確信を持って断言してきた統魔に対し、幸多は怪訝な顔をするほかなかった。
が、すぐにわかった。
幸多と統魔を後部座席に迎え入れた輸送車両は、戦団本部を出発すると、中津区本部町から河南町に入り、東街区鼎町へと至る。
その間、輸送車両の後部座席は、新野辺香織の独壇場といった有り様であり、幸多は、統魔が彼女の対処に困り果てている実情を思い知った。
そして、ミトロ荘に到着したのは、午後七時頃だ。
幸多は、まず管理人の見土呂明子に挨拶した。彼女には、ミトロ荘に住むことを決めたとき、将来引っ越すことになる可能性について言及していることもあって、すぐさま理解してくれた。
ミトロ荘から戦団本部に通うよりも、戦団本部に程近い場所に住むほうがいい、というのは、見土呂明子の意見でもあった。
それから、幸多の部屋から必要な荷物を輸送車両の荷台に運び込む作業になったのだが、これはまさに魔法士ならではという作業となった。
魔法を使えば、窓から荷物を放り出してもなんの問題もないからだ。わざわざ重い荷物を持って、玄関から通路を通り抜け、階段を降りていく必要がない。
次々と窓から放り出される荷物が、吸い込まれるようにして荷台に収まっていく。
幸多は、そうした光景を眺めながら、魔法の素晴らしさを実感していた。
大騒ぎでは、あった。
近所の住人が外に出てきて、この大騒ぎの様子を眺めるくらいには、騒がしい時間帯だった。
近所迷惑この上なかったが、しかし、この近所では既に幸多の存在は有名になっていたこともあり、幸多の引っ越しを応援する声も少なくなかった。
その大騒ぎは、引っ越し先でも開催された。
引っ越し先は、葦原市中津区本部町にある天風荘である。
天風荘の三階に統魔の部屋があり、統魔は窓を全開にして、地上から投げ入れられる荷物を受け入れ、室内に配置していった。
元々、一人暮らしには広すぎる部屋だったこともあり、幸多の決して多くもない荷物が収まって、ようやく人心地がついたような、そんな気さえした。
「皆さん、ありがとうございました」
あっという間に引っ越し作業が片付いたことに驚く暇さえもないまま、幸多は、皆代小隊の面々に深々とお辞儀をした。
そんな礼儀正しい幸多の姿に、字と剣は顔を見合わせる。それから統魔を一瞥し、幸多に視線を戻した。兄弟とは思えない、と、二人は思ったのだ。
「いいえ、これくらいならなんのことはありませんよ」
「そうですよ、気にしないでください」
「うん。なにより、尊敬する隊長のお願いだからな」
「ぐっへっへ、礼なら体で払ってもらおうかなあ?」
「おまえはなんなんだよ、いったい」
統魔は、幸多に絡み出した香織を全力で引き剥がすと、剣に預けた。
こうして、幸多の引っ越し瞬く間には、終わった。
魔法を使えばなんだって簡単だ。
これが魔法社会の恩恵であり、魔法社会の実情であり、魔法社会の一端なのだ。
幸多も、その恩恵を多分に受けている。




