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第千二百七話 新たなる始まりを(十九)

のまのら 1207



第千二百七話



 出雲基地は、央都出雲市大社町の中心からやや東側に位置している。

 当然ながら、戦団にとって極めて重要な施設であり、戦団本部と同等の重圧を放つ、要塞めいた建物だ。しかして、出雲基地がそのような作りに変わったのは、基地への直接的な攻撃が可能性としてありうることが判明したからだ。

 それまで、どれほど基地の近辺で幻魔災害が発生しようとも、魔法犯罪が起ころうとも、基地自体に被害が及ぶことは皆無だった。

 基地には、常に多数の導士が待機しており、膨大な魔力によって護られていたからだ。

 魔力は、重力。

 幻魔を引きつける要因だが、あまりにも膨大すぎる魔力は、幻魔をして、尻込みさせるようである。

 だが、〈七悪〉の暗躍は、そうしたこれまでの常識を覆してしまった。

 〈七悪〉に支配され、使役される幻魔は、その命令通りに行動する。基地がどれだけ莫大な魔力に覆われていようとも、死をも厭わず攻撃してくるのだ。

 そして、実際、各基地に被害が出たことで、戦団は考えを改めた。

 つまり、戦団における重要施設を大幅に改装、堅牢なものへと作り替えたのである。

「剣呑やなあ」

 出雲基地の外観を見遣りながらそんな言葉を漏らしたのは、味泥朝彦だ。躑躅野南が疑問符を浮かべる。

「なにがですか?」

「基地の外観がやな、どうにもひとを寄せ付けん感じがするやろ。それを剣呑と表現したわけやな」

「別にいいじゃないですか。要塞化結構。それで戦団の重要施設を守れるんですから」

「正論やな」

「なにがいけないんです」

「正しく、素晴らしい」

「なにか皮肉っぽく聞こえるんですけど」

「穿った聞き方をしとるだけやな。おれは素直に褒めてるよ」

「そうですか。それなら、いいんですが」

 南は、朝彦のその結論を言葉通りには受け取らなかった。朝彦がここのところ気が立っていることを理解しているし、いてもたってもいられないといった精神状態なのも把握しているからだ。

 長い付き合いだ。

 朝彦がどういう人間なのか、南以上に理解しているものがいるだろうか。

 そんな自負が、彼女にはあった。

 やがて、朝彦たちを乗せた車両が、出雲基地の威圧感たっぷりの正門を潜り抜け、駐車場へと移動する。自動操縦。故に、運転席の朝彦は、手持ち無沙汰で、他愛のない雑談に花を咲かせるしかなかったのだ。

 心の内のざわつきを抑えるには、部下たちとくだらないやり取りをするのが一番だった。

 これまでもそうだったし、これからもそうだろう。

 小隊長から杖長となり、筆頭杖長から軍団長になっても、それは変わりようがない。

(軍団長か)

 朝彦は、胸中でつぶやき、茫然とする想いだった。

 城ノ宮日流子の予期せぬ戦死は、この五年、不動の地位であった軍団長の座に空白を生んだ。

 軍団長という役職は、およそ五年前、光都事変後に行われた戦団大再編の折、部隊長に代わるものとして誕生している。

 部隊制から、軍団制へ。

 戦闘部そのものの在り方が見直されたことにより、十二の軍団が誕生、それぞれに軍団長が任命された。それが城ノ宮日流子を始めとする、十二軍団長であり、この五年、顔触れが変わることはなかった。

 それはつまり、軍団長が極めて優れた魔法士であることの証明であろう。

 軍団長といえど、前線に出ないことはあり得ない。

 軍団長こそ、戦闘部の最高戦力なのだ。出し惜しみをした挙げ句、被害が増大しては意味がない。大きな戦いが起これば、必ず軍団長が派遣された。

 そして、生き残ってきたのが、これまでだ。

 だが、ついに軍団長の中から戦死者が出てしまった。

 城ノ宮日流子の戦死は、盤石にして絶対不動と思われていた軍団長の座が、必ずしもそうではないことを知らしめたし、軍団長もまた、ひとりの人間であることを思い出させた。

 そして、空席となった第五軍団長の座は、これまで副長であった美乃利ミオリが軍団長代行として埋め合わせていたのだが、それでは軍団をまともに動かすこともままならないという理由から、新たな軍団長が選出された。

 それが、朝彦である。

 朝彦としては、寝耳に水、青天の霹靂というほかない出来事だったが、断る理由もなければ、受諾する以外の選択肢はなかった。

 第九軍団を離れることになるのは、少々、寂しい。なんといっても、この五年、苦楽を供にしてきた同僚や部下が数多く在籍しているのだ。

 師・麒麟寺蒼秀や、弟弟子・皆代統魔とも、そうそう会えなくなる。

 関係が変わることはなくとも、寂しくないといえば、嘘だ。

 とはいえ。

(軍団長)

 朝彦は、駐車場に止まった車両から降りると、部下たちを見た。南を始めとする、味泥小隊の面々である。高畑陽、宮前春猪ともに緊張感に満ちた面持ちだった。それはそうだろう。彼らは、ただ、軍団を移ってきたのだ。朝彦についていきたい、ただそれだけの理由で、だ。

 そんな彼らの申し出が朝彦には嬉しくて仕方がなかったから、三人の顔を見るたびに胸が熱くなった。何度となく死線を潜り抜けてきた間柄だ。愛着も湧くし、自分の体の一部のような感覚すらある。

 本来、第五軍団へ移籍するのは、朝彦だけだった。朝彦が軍団長に任命されたのだから、当然だ。しかし、南たちは、味泥小隊で在り続けたいといい、第九軍団への移籍を届け出たのだ。

 戦闘部内における軍団間の移籍は、それなりの頻度で行われている。各軍団には様々な色があり、空気がある。望み通りの軍団に所属できたものの、どうにも空気が合わず、故に本領を発揮できないといった問題は、起こりえた。

 魔法は、想像力に左右される。想像力とは、感情を源とするものであり、安定していれば安定しているほど、強力になる。故に、己が能力を十全に発揮できる軍団に所属することが望ましく、戦闘部内での移籍が自由なのも、そういう部分からだ。

 自身の全力を発揮してこその導士だ。

 そして、南たちもまた、朝彦の下でこそ、能力を発揮できるのだと確信しているからこそ、彼についていくことを決めた。南が言い出したわけではなく、朝彦の話を聞いたとき、三人同時に申し出たのである。

 それくらい、朝彦は部下に慕われていたということだ。

「お待ちしておりました、味泥軍団長」

 声に目を向ければ、戦団の制服に身を包んだ女性が歩み寄ってくるところだった。基地から車両が近づいてくるのを確認して、駐車場まで出向いてくれたのだろう。美乃利ミオリ。第五軍団の前身である第五部隊において、部隊長を務めた美乃利ミドリの娘であり、二十年もの長きに渡り、戦闘部導士を務めてきた人物。歴戦の猛者であることは、だれもが知っての通りだ。

「おおきにな。出迎えてくれて」

「当然でしょう。第五軍団の新たな軍団長を無視する部下が何処にいますか」

「まあ……な」

 朝彦は、ミオリの複雑な心中を察して、小さくいった。彼女は、いま現在、第五軍団の要といっていい。第五軍団に溶け込むのであれば、彼女の神経を逆撫でにしないように細心の注意を払う必要があるに違いなかった。

 なんといっても、ミオリは、第五軍団が誕生してから五年間、日流子の右腕だったのだ。

 第五軍団は、日流子を頂点とする集団だが、その集団を作り上げたのは、日流子だけではない。ミオリを筆頭とする部下たちが、日流子のために、日流子に尽くそうという意志の元、結束を強めていったのだ。

 故にこそ、日流子の戦死が軍団全体に与えた影響というのは、想像を絶するものがあったに違いない。



第千二百八話 


「そんなわけで、今日から第五軍団長になった味泥朝彦や。よろしゅうな」

「そんなわけって、どんなわけですか」

「そうですよ、そこのところをちゃんと説明しないとだれも慕ってくれませんよ」

「まったくです」

「きみら、おれに容赦なさすぎやないか。おれ、一応軍団長やねんけど……」

「一応じゃなくて、ちゃんとした軍団長でしょ」

「お、おう。せやな」

 朝彦と彼が第九軍団から連れてきた三人の導士たちとのやり取りは、第五軍団幹部たちを困惑させるものだった。

 幹部とは、副長と十名の杖長のことである。

 出雲基地の会議室に集められた十一名は、そこで新任の軍団長である朝彦と対面したというわけだ。無論、初対面ではない。別軍団とはいえ、同じ戦団、同じ戦闘部の同僚であり、杖長なのだ。

 杖長だけが集まって行われる杖長会議では、何度となく議論を戦わせた間柄だった。朝彦のひととなりについては、それなりに知っているつもりだ。

 関西弁で、白熱する議論に割り込んできては、なにやらボケたりツッコんだりする、お笑い芸人めいた杖長。筆頭杖長だけあって、杖長の中でも別格といっていいし、戦績も相応に素晴らしいことは知られている。

 だからこそ、第五軍団長に選ばれたのだろうが。

 第五軍団の幹部たちは、複雑な心中を隠さない。

 副長・美乃利ミオリ、筆頭杖長・人丸真妃、杖長・大黒詩津希、二見昴、福里文雄、別所晴樹、松江栄美、明南惠津子、稲荷陽斗、青木秀義、鴨子ヶ原麻弓――。

 そんな十一名の真っ直ぐな視線を受け止めながら、朝彦は、自分が軍団長に任命された経緯を説明した。一々説明するまでもないことだったし、この場にいるだれもが理解しているはずのことだが、しかし、いわずにはいられなかった。

 自分自身に言い聞かせる必要があるのだ。

 自分がなぜ、この場にいるのか。

 なぜ、自分が軍団長として、立っているのか。

 自分が本当に相応しいのか。戦団にとって、人類にとって正しい判断だったのか。本当は、もっと相応しい人物がいるのではないか。

 戦団最高会議の決定を受け、任命されたとき、朝彦はまず、混乱した。第五軍団長に選ばれるのは、副長のミオリだとばかり思っていたからだ。ミオリは、実績も能力も人格も、軍団長に相応しい人物だ。だからこそ副長を任されていたのだし、軍団長代行に選ばれたのだ。

 そのまま繰り上げ当選で良かったのではないか。

 それならば、第五軍団内で混乱が生じるようなこともなければ、最高会議の判断に不満や異論を持つものが現れようはずもない。

 だが、選ばれたのは、朝彦だった。

 理由は、単純。

『全軍団の杖長の中で、もっとも相応しいのがきみだった。ただ、それだけのことだ。なにか疑問でもあるかね』

 戦団最高会議の場で、戦団総長・神木神威の隻眼が朝彦を見据えたのは、記憶に新しい。

『お、おれよりも美乃利副長のほうが相応しいのでは?』

『美乃利ミオリくんか。確かに彼女の能力、人格、実績、いずれをとっても軍団長に申し分ないだろう。軍団長代行としても、よくやってくれている。実際、きみと彼女のどちらがつぎの軍団長に相応しいかで議論を戦わせたのは、事実だ。そしてその結果、きみに軍配が上がったというわけだ』

『なぜ?』

『ミオリくんは、前第五軍団長への想いが強すぎる――』

 朝彦は、ミオリの表情を横目に見て、それから、説明に舞い戻った。説明といっても、大したことではない。戦団最高会議の決定によって、第五軍団長を拝命した、というだけのことだ。それ以上でもそれ以下でもなければ、ほかにいうことはない。

「所信表明、忘れてますよ」

 耳打ちしてきたのは、南。彼女は、朝彦がいつになく緊張しているのを肌で感じ取っていた。そして、だからこそ、自分も緊張しているのだと自覚する。

「……せやな」

 朝彦は、小さく頷き、咳払いをした。

「あー……こうして軍団長に任命され、引き受けた以上は、第五軍団をこれまで以上に最高で最良の軍団へと作り上げていくつもりや」

「これまで以上……」

「せや。きみらも知っての通り、城ノ宮軍団長の第五軍団は、最高で最良やったやろ。おれは、城ノ宮軍団長やない。同じやり方、同じ手法、同じ考えでは動かれん。そもそも、おれは蒼秀はんの薫陶を受けてこそおっても、城ノ宮軍団長とは、たまにしか話せんかったしな」

「日流子様の薫陶ならば、わたしからいくらでもお伝えできますが」

「おう、それもええな」

 朝彦の安請け合いに南たちが戦々恐々とするも、ミオリは、ただ嬉しそうな反応を見せた。

 日流子を最高の軍団長と仰ぐ彼女にしてみれば、その考えを少しでも取り入れる気配を見せてくれるだけでも喜ばしいことなのだ。

「なんといっても、おれは軍団長としては新人で、第五軍団については右も左もわからんからな。わからんことがあったらきみらに聞くし、おれに意見があるならなんでもいってくれたらええ」

 朝彦は、そういって、杖長たちの顔を見回した。一癖も二癖もある人材ばかりなのは、周知の事実だ。

「もちろん、その意見を聞くかどうかは、おれが判断するけどな」

「それはそうでしょうとも」

 ミオリが、大きく頷く。

 軍団長とは、まさに軍団の長。第五軍団の支配者であり、指揮官であり、指導者なのだ。どれだけその意見が優れたものであっても、採用するかどうかを決めるのは、軍団長でなければならない。そして、意見が採用されなかったからといって、ふてくされるようなことがあってはならない。

 そんな当たり前のことをいまさら再確認するまでもないのだが。

「で、軍団長としての最初の仕事は、やな。南」

「はい。皆様、これをご覧ください」

「ん?」

「なんだ?」

「なになに?」

 南が朝彦に促されるまま机の上の演算端末を操作すると、立体映像が出力された。幻板と同じく、大気中の魔素に投影される映像は、戦団本部にある第五軍団兵舎を象っている。

 戦団本部には、十二軍団の兵舎が本部棟を取り囲むように並んでいるが、それぞれ軍団の特色が前面に押し出されるような形をしていた。たとえば、第七軍団は、氷の女帝の異名を持つ軍団長に由来する氷の城で、第六軍団は、忍者屋敷とも呼ばれる華やかな建物だ。

 では、第五軍団はといえば、光の塔などと形容される建物であり、それはまさに城ノ宮日流子の人間性や星将としての在り様に着想を得て、設計されていた。

「兵舎を改装する」

「はあ?」

「それはいったい、どういう……?」

「なんでまた」

 杖長たちの反応は、朝彦の想像通りのものだ。反発や反感、否定的な感情ばかりが、彼らの表情に現れている。

「兵舎は、軍団の顔。そして軍団の顔は、軍団長やろ。軍団長が変わったんやったら兵舎も改装するべき――っていうんは、上の意見でな」

「上の……」

「最高会議ですか?」

「せや。戦団最高会議の決定や。まあ、兵舎をどう改装するかは、おれらに任されてるからな。色々、考えていけばいい。納得は……できてなさそうやな」

「できるわけないじゃないですか。兵舎は、日流子様との想い出の場所なんですよ!?」

「そうだそうだ! 日流子様の兵舎を作り替えるだなんて、そんな横暴な……!」

「まあ……せやろな」

 朝彦は、杖長たちを見回し、その気色ばんだまなざしを受け止めた。彼らの気持ちは、痛いほどわかるのだ。

 彼らが軍団長とともに歩んできた時間は、兵舎とともにあるといっても過言ではない。

 兵舎には、数多の想い出が刻まれている。

 それを形だけとはいえ、作り替えるのだから、反発が起きたとしても仕方のないことだ。

 軍団長とは、軍団の顔であり、兵舎もまた、同じ価値を持つ。であれば、軍団に所属する導士たちにとって、掛け替えのないものであるはずだ。

 だからこそ、作り替えなければならない。

 軍団長が、変わったのだから。





第千二百九話 


「確かに城ノ宮軍団長は偉大な導士やった。導士の中の導士と呼べるんはあのひとくらいで、新人に手本にするなら城ノ宮軍団長がええ、って何度いうたかわからんくらいやからな。おれも尊敬しとる。蒼秀はんのつぎに、やけどな」

 とはいえ、朝彦の師であり、直属の上司であった麒麟寺蒼秀に次ぐほどの人物だということなのだから、話を聞いていた杖長たちもどこか誇らしい気持ちにもなったし、当然だという考えを持つものもいた。

 城ノ宮日流子への尊敬の念は、第五軍団の導士ならばだれもが等しく持つものだ。そして、それは杖長たち幹部からすれば当たり前の感情であり、それによって第五軍団の結束を強めていたと認識している。

 だからこそ、と、彼らは思うのである。

 日流子との想い出の場所である兵舎を改装するような人間を、今後、軍団長として尊敬することができるのだろうか、と。

 そもそも、朝彦は、つい先日まで杖長だった。杖長会議でくだらない話ばかりを繰り広げる人物であり、能力こそ、杖長の中で飛び抜けていたものの、だからといって上司に据えたい人間かといえば、そんなことはありえないというのが杖長たちの共通認識なのだ。

 そして、兵舎の改装。

 それが戦団最高会議の決定だというのであれば、杖長たちに反論も異論もなく、唯々諾々と従うよりほかはないのだが。

 感情は、それを認めない。

「軍団制になって、最初の第五軍団長。この五年。第五軍団が城ノ宮軍団長の色に染まってたことは知ってるし、きみらの気持ちは尊重したいと思ってる。でもな。それで第五軍団が城ノ宮軍団長を頂点とする組織であり続けることは許されへんのや」

「それは……そうでしょうね」

 朝彦の言に、ミオリは静かにうなずく。その通りだ。日流子は戦死した。その瞬間、日流子は過去のひとになってしまったのだ。現在を生き、未来を切り開くことに全力を尽くさなければならないのが、戦団の導士だ。特に戦闘部の導士ならば、それこそ、過去に囚われている場合ではない。

 そんなことは、この場にいるだれもが理解しているはずであり、だから、杖長たちも、朝彦の言葉を受け止めている。

「過去に囚われては、現在を生きることも、未来に突き進むこともままならへん。せやから、最高会議も兵舎の改装を提案し、指示してきたんやろな」

 日流子を象徴する兵舎を見ては、日流子に想いを馳せ、朝彦と比較するような導士が続出する――ということはないかもしれないが、そのようなことが起きては、せっかく動き出した新体制にケチがつけられかねない。想い出と現実の齟齬の中で、精神的に苦しむ導士が現れてもおかしくはない。

 皆がそうなるわけではないが、第五軍団の中の何名か、何十名かがそのような状況に至ったとしても、不思議ではない。

 それは、それだけ日流子が慕われていた証拠であり、そういう意味では素晴らしいことなのだが。

 朝彦の体制には、不要だ。

「ま、そうはいうてもや。兵舎の全部を想い出の中に仕舞い込むっちゅうんはあれやからな。南」

「はい」

 朝彦の指示に南が端末を操作すると、立体映像が追加された。それは、現在の第五軍団兵舎なのだが、どうにも質感がまるで違う。玩具のようだ。

「これは?」

「模型や。百四十四分の一スケールのな」

「模型……?」

「大きさは、百四十四分の一。百分の一もあるで。特殊合成樹脂せいやから、長持ちすること請け合いや。完全受注生産やから、欲しかったらすぐに申し込んだ方がええ。もちろん、戦団の人間しか手に入れることのできん、限定品やで」

「……なんなんですか、いきなり」

「想い出は、ただ心に仕舞い込んでおくだけやったらなんか味気ないやろ。だから、形にしたんや」

 朝彦は、副長や杖長たちが目を丸くする様を見つめながら、告げた。

 城ノ宮日流子との想い出が詰まった兵舎を全面的に改修するとなれば、彼らの心も穏やかではなくなることくらい、朝彦にも理解できる。もしも、朝彦が第九軍団に所属した状態で、同じ目に遭えば、多少なりとも反発を覚えたに違いないのだ。

 兵舎には、軍団長との想い出だけでなく、導士たちの様々な記憶が刻まれている。

 しかし、だからこそ、変えなければならない。

 未来に進むためには、過去に囚われてはならない。

 そして、その未来とは、百年先、千年先の未来なのだ。

 わずか五年間の軍団長との想い出を千年先にまで繋いでいけるかといえば、そんなことあるわけもない。

 百年後ならばまだしも、千年後も生き続けられるわけもなければ、軍団長は何代、何十代、いや何百代と代替わりしているに違いないのだ。

 日流子の兵舎のままであり続けることは、断じてない。

「面白いことを考えるんですね」

「面白いんだけが取り柄やからな」

 朝彦とが笑えば、ミオリは、微笑した。見れば、既に南の周囲に人集りができている。杖長たちが、兵舎の模型を注文しようとしているのだろう。

「……これで、少しは兵舎の改装問題は落ち着きそうやな」

「就任早々、難題でしたでしょう」

「まあな。せやけど、難しいのはこれからやで」

「まあ……そうでしょうね」

「おれは、杖長やったからな」

 筆頭とは言え、杖長は杖長だ。

 戦闘部十二軍団に杖長は百二十名いる。杖長に選ばれるのは、各軍団における実力者たちだ。そして、杖長の実力は拮抗している。もちろん、星象現界の使い手と、そうではない魔法士の間に隔絶した差があることはいうまでもないが。

「皆を認めさせるのは、大変そうやで」

「簡単ですよ」

「うん?」

「実力を見せつければいい」

「簡単にいってくれるなあ」

 まあ、しかし、それ以外に方法はない、と、朝彦はミオリの言葉にうなずくのだ。

「……そういえば、第九軍団の杖長はどうなったのでしょう? 軍団長が抜けられて、席が空いたはずですよね」

「おう。杖長は十人必須やろ。せやから、推薦しといたんや」

「推薦……だれをです?」

「だれやと思う?」

 朝彦は、ミオリに茶目っ気たっぷりに笑いかけた。


 大和基地の会議室は、いつにも増して緊張感に満ちていた。

(違うな)

 統魔は、胸中頭を振ると、この緊張を感じているのが自分ひとりなのだと考えを改めた。

 会議室には、軍団長を始めとする第九軍団幹部が勢揃いしており、統魔だけがどうにも場違いだった。統魔は、小隊長に過ぎない。

 そんな人間がなぜ、軍団会議の場に呼ばれたのか。

 皆代小隊のだれかがなにか問題でも起こしたのか、と、一瞬脳裏を過ったが、そんなことがあれば真っ先に報告があるはずだった。

「軍団長、皆、揃いました」

 そういって、麒麟寺蒼秀に促したのは、八咫鏡子。第九軍団の副長である。

「うむ。では、さっそくだが、皆代統魔。きみに辞令だ」

「辞令……ですか?」

 統魔は、蒼秀のまなざしの厳かさと、杖長たちの視線が自分に集中する感覚の中で、目の前に幻板が浮かび上がるのを認めた。そこには、確かに辞令と書かれていた。

「皆代統魔。きみを第九軍団の杖長に任命する。これは第九軍団幹部の総意だ」

「じょ……杖長!? おれが!? ですか!?」

「そうだ。きみが、杖長だ」

「杖長……」

 統魔は、ただただ茫然としていたし、杖長たちからの拍手や祝福の声が聞こえていても、記憶に残らないくらいだった。驚きと衝撃、困惑と興奮、様々な感情がない交ぜになっている。

 朝彦が第五軍団長となり、第九軍団の杖長の席に空きができたことは知っていた。

 しかし、そこに自分が加わるなど、想像したこともなかったのだ。

 それはそうだろう。

 統魔は、まだ戦団に入って二年目の若手導士なのだ。

 入団二年目での杖長など、前例がない。



第千二百十話 


 実感が、沸かない。

 杖長に任命され、辞令を受け取り、杖長証を手渡されたが、しかし、現実感がどうにも薄かった。まるで夢の中にいるような、そんな感覚。

(しっかりしろ、おれ。おれの夢は、こんなもんじゃないだろ)

 内心、叱咤するも、しかし、頭の中がぼやけていて、まっすぐ歩けているかどうかすら判然としない。

「統魔!」

 呼び止められたのは、その声の大きさと勢いが、頭の中の霧を吹き飛ばすほどだったからだ。立ち止まり、振り向いたときには、ルナに抱きつかれている。その勢いで倒れそうになったが、どうにか堪える。

「ずっと待ってたよお……!」

「お、おう……」

 ルナが胸に顔を埋めてくるのはいつものことなので、統魔は、とりあえず態勢を整えた。それから、ここがどこなのかと周囲を見回す。

 見れば、大和基地本営の会議室を出てすぐの廊下だということがわかる。しばらく歩いていたような記憶があるのだが、曖昧で不確かだ。ルナが会議室の手前で待っているはずもないので、少しは歩いたはずだが。

「思っていたより早かったな。どんな会議だったんだ?」

「そうそう、たいちょが呼び出されるなんてさ」

「なにかとんでもないことでもあったんじゃないかと戦々恐々としてたんだよね」

「わたしは、まったく心配していませんでしたが」

 枝連、香織、剣、字――皆代小隊の面々が統魔を取り囲んでいた。統魔は、彼らの顔を見回し、それによって落ち着きを取り戻すと、場所を移動するように目で促した。

 会議室の目の前で屯するのは、いくら杖長とはいえ、許されることではあるまい。

「で、なにがあったのよ? いまの統魔、なんだか変な感じ」

「そうですね。いつもの隊長とは違いますね」

「さっすがルナっちにアザリンだね。たいちょのこと、なんでもお見通しって感じだ」

「それくらい、ぼくにもわかるよ」

「そこ、対抗心を燃やさない」

「別にそういうつもりじゃなくて」

「じゃあ、どういうつもりなのさ」

「ええと……」

 いつものように香織と剣が言い合いからの取っ組み合いを始めようとしたのだが、枝連が間に入って事なきを得る。

 ようやく、会議室が遠のいた頃合いだった。

「……これ、わかるか?」

 そういって、統魔が皆に見せたのは、一種の星印だった。星印とは、戦団から導士に授与される星形の印章で、所属と階級を示す、いわば階級章である。所属は、星の色で、階級は星の形と数で現され、統魔の本来の星印は、黒を基調とする四角星で、戦務局の煌光級三位を意味する。

 さて、統魔が皆に見せた星印は、ただの星印ではない。

 本来の星印に、杖の紋章が付与されており、その杖こそが重大な意味を持っていた。

「え?」

「それってまさか……」

「杖長証!?」

「なんでたいちょが!?」

「杖長に任命されたのか?」

 五者五用――とはいかないまでも、様々に驚いた反応を示した部下たちを見て、むしろ、冷静さを取り戻したのが、統魔だ。

「味泥さんが軍団長になって、席が空いただろ。だから、そこにおれが収まった……らしい」

「らしいって、杖長証を渡されたってことは、確定でしょ?」

「まあな。辞令も受けとったよ。おれは、正真正銘の第九軍団杖長だ」

 統魔は、改めて杖長証と向き合い、目を細めた。実感が、いまになって沸き上がってくる。それもこれも、皆代小隊の面々が現実感を思い起こさせてくれたからに違いない。

「まあ……そうだな。第九軍団を見回しても、隊長以上に杖長の座に相応しい導士はいない」

「うんうん、あたしもそう思うな!」

「そうだね、その通りだよ」

「実力も、実績も……そして、おそらく人格面でも相応しいからこそ、隊長が選ばれたんでしょうし、そこに異論もなにもありませんね」

 皆代小隊の面々からすれば、驚くべきことであると同時に、ある種当然の結果のように思えてならなかった。

 統魔の魔法技量は、同世代だけでなく、全世代を含めた上で上位に位置するほどのものだ。特に規格外の星象現界は、星将にすら通用するものであり、他の上長候補を圧倒するに足るものだ。実績も十分。そして、人格面。こればかりは、字たちには正確に判定できないものの、杖長に選ばれたということは、問題ないと判断されたということだ。

『いまや杖長の最低条件が、煌光級だ。そして、きみは煌光級三位。杖長になるための最低条件を満たしている。これは、わかるな?』

 統魔の脳裏を過るのは、第九軍団幹部会議の一幕。

 統魔を杖長に任命したのは、第九軍団幹部の総意である、という。

 つまり、会議室にいた全員が、統魔が杖長に相応しいと認めてくれたということだ。だが、会議中、統魔は、その事実に感動する余裕すらなかった。

『さらにきみは、星象現界の使い手だ。この時点で、並の杖長を圧倒する魔法技量の持ち主なのだから、杖長の末席に加えることになんの問題もない。だれも、きみが杖長に相応しくない、などとはいえないというわけだ』

『もし、あなたが若く経験不足であり、故に反対するというものがいるのだとすれば、それは結局のところ、あなたを正しく評価していないだけのこと。あなたは、正しく評価され、杖長に任命されたのです』

『うむ。きみは若いが、経験不足とは思えない。確かに杖長として、数多くの導士の上に立つには、まだまだ経験しなければならないことも多いだろうが、そんなものは、杖長になったばかりのだれもがそうだ』

『まったくです。杖長ほどの立場を経験することなど、通常あり得ないんですから、皆代煌士ほどの導士ならば、一刻も早く杖長となり、経験を積んでいくほうが重要でしょう』

 蒼秀を始め、第九軍団の幹部たちは、皆、統魔が冗長になることを前向きに受け入れていた。

 九名の杖長たち。薬師英理子、大和和明、六甲緑、入江美奈、島原千世、菊水香耶、御所瑠璃彦、小松里穂、佐比江結月。

 統魔は、第九軍団幹部からの熱烈な歓迎を受けて、杖長となった。

 ちなみに、この会議では、筆頭杖長も選ばれている。

 筆頭杖長は、杖長の纏め役のことであり、同時に実力者でなければならない。

『実力だけでいえば、皆代杖長に筆頭を任せるのも面白いかもしれないが』

 などと、杖長のひとりがいえば、何人かがそれを支持したものだから、統魔は、呆然とするほかなかった。

 もちろん、統魔が筆頭杖長に選ばれることはなかった。

 選ばれたのは、佐比江結月。星象現界の使い手であり、杖長の中でも頭抜けた魔法技量の持ち主だからだ。

「まあ……なんだ」

 統魔は、現実に回帰すると、隊員たちを先導するように歩き始めた。なんだか頭の中がぼんやりしているが、問題はない。

「杖長になったからといって、皆代小隊が解散することはないし、みんなは、いままで通りやってくれればいい」

「味泥さんもそうだったもんね」

「ああ」

「軍団長になったら、そうはいかないだろーけど」

「大変だろうなあ、軍団長」

「日流子様の後任だからな」

「そうですね。本当に……」

 皆代小隊の話題が味泥朝彦と第五軍団に向けられるのは、自然の成り行きといっていい。

 皆代小隊にとって、朝彦の存在はこの上なく大きかったのだ。

 なにかにつけ、朝彦に教わることが多ければ、朝彦と共同任務を行うことも多かった。朝彦のひととなりを知れば知るほど、彼のためにも強くなりたいと思ったものだ。

 そんなひとだからこそ、軍団長に向いているのではないか、などと、統魔は思ったりした。

 自分は、軍団長には向かないだろうが。

 ひとには、向き、不向きがある。

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