第千二百四話 新たなる始まりを(十六)
第一軍団長・相馬流人戦死の報せは、戦団に凄まじい衝撃を与えた。
戦闘部を、いや、戦団を支える柱の一本が折れたのだ。
同じく軍団長だった城ノ宮日流子が戦死してからまだ三ヶ月も経っておらず、以来、空席となっていた第五軍団長に味泥朝彦が任命されたばかりである。
そして、魔暦二百二十三年が始まり、その祝賀の空気が央都四市を、双界全土を包みこんでいた頃合いだった。
当然、双界の空気は一変した。
軍団長は、戦団の顔なのだ。戦団が支え、戦団によって成り立っている社会ならば、その顔役のひとりが戦死することにだれもが衝撃を受け、不安を覚え、恐怖すら感じるのは当たり前のことだろう。当然の帰結。道理といっていい。
「――オベロンの討滅は、喜ぶべきことだ。オトロシャの腹心たる三魔将、そのうちの一体が斃れたとあれば、オトロシャもうかうかと外征に打って出れまい。ましてや、戦団がその気になれば、鬼級幻魔を斃すことも不可能ではないと思い知ったのだ」
「それも、己が腹心の死によって、な」
「ああ。これは大きい」
「はい。オベロンの死は、オトロシャにとっても予期せぬことだったはずです。その証拠に、恐府内で大きな変化があったとの報告があります」
「ここのところ、牽制攻撃部隊の成果は上々、損害も軽微。それもこれも、オベロンを撃破したことの余波に違いないだろうな」
「うむ……」
護法院の長老たちが議論を戦わせる中、神威は、いつもにも増して険しい顔をしていた。視界に浮かぶのは、暗澹たる幻想空間。長老たちの会議場。
星将がまたひとり、散った。
鬼級幻魔と戦うということは、つまり、そういうことだ。だが、しかし、流人の直接の死因は、そうではないのだ。
オベロンを撃滅し終えた直後、どこからともなく現れたサタンに連れ去られたことが、彼の死因だった。
サタンによってどこか別の場所へ転送され、そして、死んだ。
死は、流人の導衣が残骸となって回収されたことで、確認された。導衣が記録していた生体情報が、彼の死を確定事項としたのだ。
亡骸は、回収されなかった。
彼の死んだ証は、導衣に残された記録だけだ。
それ以外、彼の死を証言するものはいない。
たとえ、サタンに囚われ、姿を消したのだとしても、それを以て戦死と断定することはでいまい。しかし、導衣が死を証明した以上、彼の生存を望み、足掻き続けることはできない。
戦団は、だ。
個人がどのように受け止め、どのような考えを持ち続けるかは、自由だ。
たとえば、流人の死を否定し、どこかでまだ生きていると信じることも許される。
もっとも、そんなことになんの意味もないことは、神威自身が一番よく理解しているのだが。
鬼級幻魔が、人間を生かしておく理由はない。
「よって、オベロンの死が、我々に多少の猶予期間を与えてくれるだろう。それがどれほどの時間かはわからないが……その間に第一軍団を再編せねばな」
「一先ず、副長の一色雪乃に軍団長を代行させるが、よろしいな?」
「ああ。それでいい」
「……ふむ。しかし、彼女はまだ、諦めていないのではなかったか?」
とは、相馬流星。相馬流人の祖父、相馬流陰の双子の弟である彼は、その発言の通り、甥孫の死を受け入れている。報告の直後は、信じなかったのだが、導衣の記録を紐解き、全情報を確認する過程で納得していったという。
流星もまた、護法院の長老である。
この五十年余り、数多くの死を看取ってきた。それこそ、数え切れないくらいに。戦闘部の導士に死はつきものだ。だれもが覚悟の上で、戦場に臨み、幻魔と対峙する。後方にいるものもまた、それだけの覚悟を持たなければならない。
ただ、それだけのことだ。
無論、そう簡単に受け入れられるわけもなく、彼にはめずらしく感情を露わにし、涙すら流していたが、それくらいは許されてしかるべきだ
人間らしい感情を失えば、護法院でいる必要はなくなる。
護法院は、機械ではない。
機械にすべてを任せるというのであれば、ノルン・システムやユグドラシル・システムに一任してしまえばいい。
統合情報管理機構ならば、合理的かつ冷静に、そして冷酷無比にすべてを判断してくれるだろう。
だが、戦団はそうしてこなかった。システムを活用こそすれ、システムに依存してこなかったのだ。
だからこそ、どうにかやってこられているのではないか。
そんな風に、神威たちは考えている。
こんな世界だ。
人間が人間であり続けることを諦めるのは容易いが、そうなってしまえば、人類復興を目標に掲げる意味も、幻魔殲滅のために戦い続ける意義も、失われてしまう。
ひとがひとであるためには、感情を失ってはならないのだ。
「……彼女は、相馬軍団長の同期でしたから、特別な思い入れがあったとして、だれがそれを否定できましょう」
「そうだな」
麒麟の言を受けて、神威も頷いた。
機械的ではないからこそ、戦団は戦団たりうるのだ。
感情が想像を生み、想像が魔法を紡ぐ。
感情をなくした機械には、魔法を生み出すことはできまい。人間が魔法士になれたのも、感情豊かな生き物だからだ。無感情な魔法士など、存在しない。感情という波があって初めて、魔素は昂り、魔力となって、魔法を生み出す。
魔法学の基本だ。
「それでは、つぎの議題ですが――」
そういって話題を転換したのは、魔法局長・鶴林テラだった。
彼女が会議場の幻板に表示したのは、ある記録である。
相馬流人の導衣に残された音の記録。
彼が残したもの。
相馬流人の葬儀は、それこそ、大々的に執り行われた。
軍団長といえば、戦闘部を代表する導士である。そして、戦闘部は、戦団の顔だ。なんといっても、戦団の実働部隊が戦闘部なのだ。幻魔と戦い、討ち滅ぼすのが戦闘部の役割ならば、戦団の活動の大半を占めるのが戦闘部だ。
そして、戦闘部十二軍団の長たる軍団長が、戦闘部に数多いる導士の中でも特に名を知られ、人気を集めるのも当たり前のことだろう。
軍団長ともなれば、飛び抜けた魔法技量の持ち主であり、それに裏打ちされた戦歴と、軍団を纏め上げる人格者でなければならないことはいうまでもない。
流人の戦死は、第一軍団の導士たちを悲嘆に暮れさせ、絶望を感じるものすらいたほどだったし、その哀しみの波動は、戦闘部全体、いや、戦団全体にまで波及した。
葬儀に参列する導士の数たるや、城ノ宮日流子のときと変わらず、哀しみの深さや重さもまた、変わらなかった。
だれもが偉大なる星将の死を悲しみ、嘆き、悼んだ。
その死が戦団にとって大きな勝利をもたらすものだと、だれもが信じたし、自分の決意を表明するものも後を絶たなかった。
相馬流人の部下であったことに誇りを持ち、その名に恥じぬ活躍をして見せると息巻くのは、第一軍団の導士たちだ。だれもが流人の薫陶を受けていたし、流人の手解きによって強くなれなかった導士はいないと自負していた。
第一軍団の団結力は、十二軍団の中でも随一だと評判だったが、その一因が流人の面倒見の良さにあるという。
流人は、新たに入団した導士には、必ず一対一で訓練を行った。
自分は非才だから、直接ぶつかり合うことでしかわからないことがある――というのが、流人の言い分であり、だからこそ、彼の部下は、彼を支持した。流人のやり方は、いつだって、一般人の目線に立ったものだったからだ。
『際立った魔法技量を持っていなくとも、努力さえ怠らなければ一人前の導士になれる。自分がそうだからね』
それが流人の口癖だったし、彼に倣うことで実際に一人前の導士になったものが数多くいた。
流人が慕われるのも必然だ、と、彼女は想うのだ。
一色雪乃。
喪服めいた黒一色の導衣に身を包んだ彼女は、流人の葬儀を最初から最後まで見ていた。葬列の長大さが、葬儀に参列するひとびとの感情の奔流が、流人の功績の素晴らしさを伝えてくる。
彼女自身は、流人が死んだとは想っていない。いや、現実的には、流人が生きている可能性は、ひとつとして存在しないのだが、しかし、生きていると信じたかった。
藁にも縋る想いだ。
なんといっても、流人は、彼女にとっての全てだったのだから。
人生を賭して、彼とともにあろうとした。
彼の穢れなき魂とともにあることこそ、自分の心を安んじる唯一の方法だったのだ。
雪乃が流人と知り合ったのは、物心つく前の話だ。
そのころ、流人の兄、流天が魔法士としての才能を開花させ、周囲を大騒ぎにさせていたが、流人も雪乃もそんなこととは無縁だった。流天ほどの才能がなかっただけのことだが、だからこそ、雪乃は流人のことが気になったのかもしれない。
やがて成長した流人が、己と兄の才能の格差に打ち拉がれ、悲嘆に暮れ、絶望に落ちていく隣で、彼のその魂の純粋さを知ったのだ。
雪乃は、葬儀が終わるまで、いや、終わってもなお、涙を流さなかった。
流人が生きていると信じる彼女には、この葬儀に身を委ねてはならなかったからだ。